2018年06月18日

立派な服がなくても幸せ?! ※お父様直伝、不信した時の3つの秘策 《金元弼先生》



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心が不信仰に陥るときには、
三つのことを試してみなさい。

1.初めてこの道に入った時の
感動の心を思い出しなさい

2.人々にみ言を伝えなさい

3.できないときには、
必ずよく奉仕をしなさい


真のお父様



金元弼(ウォンピル)先生
質問の回答、続編です。



祈りの必要性


私たちには立派な服がないかもしれません。
しかし、世の中の人たちの服は、
自分のために着られている服ではありませんか。
自分のために稼いで着た服です。

しかし私たちは、自分が稼いで着た物を
自分のために使わなかったとしたら、
この服とその人たちの服とどういう話し合いをするでしょうか?

一方は自分のためにある物で、
自分のためにある人に着られているのです。
しかしもう一方は、神のために、
人類のために生きる人に着られているのです。

その服に、「幸せですか?」と聞いたら、
前者は「私は幸せではありません」と言い、
後者は「私は幸せです」と言うでしょう。


肉と霊があります。
この肉というのは、一種の土として考えてください。
次に霊、霊人体または心というのは、水として考えてください。

日常生活をすることは、これを振り回すことと同じなのです。
そうすると、この水の色はどうなるでしょうか?
濁った暗いものになるのです。

しかし、私たちが日常生活を終えて、静かな時間をもつとします。

そうしたらこの土がどんどん沈んでいき、
今度は清い水が浮かぶのです。
このきれいな水というのは霊界と同じ構成要素ですから、
霊界と授受作用ができるのです。


私たちが日常生活に振り回されているときには、
静かな時間を取ってお祈りするのです。

そのような心をもっていくとするならば雑念が静まり、
清い心が浮かび上がります。
そうすると何が大切かということが、はっきりと分かるようになるのです。

ですから二千年前のイエス様も「常に祈りなさい」と言われたのです。

また先生も常に祈る時間をもたれました。
ですから私たちも、常にこういう心をもっていかないと
何も分からなくなってしまいます。
私よりも他の人のほうが、もっと幸せなように見えてきます。


このように、他の人が問題ではなく、私が問題なのです。

先生も常に
「心が不信仰に陥るときには、三つのことを試してみなさい」
と言われました。

まず第一に
「初めてこの道に入った時の感動の心を思い出しなさい」と。

二番目は、「人々にみ言を伝えなさい」と。
そうすることによって、自分自身が生き返るからです。

三番目は、
「できないときには、必ずよく奉仕をしなさい」と言われました。





「心が落ちている時ほど、為に生きたらいい」
まだ信仰の幼い時、お世話になったアベルから、
そんなアドバイスを受けたことがありました。
お父様の三つのアドバイスも、
まさにそのようなことだと思います。

心が落ちているときは、
自分の殻に閉じこんでしまうものです。
そういう時ほど、
外に目を向けることが大事なのだと思います。





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posted by ten1ko2 at 08:09 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

死んで霊界に行ったら神様から会いに来る人 or 恥ずかしいことが多い人?! 《史吉子先生 霊人体5》



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史吉子(サ キルジャ)先生のみ言、
「原理に関するみ言の証」より、
『霊人体の成長と完成』の続編です。


お父様がおっしゃるには、
そんな(霊人体が明るい)人が地上から霊界に行く時に、
子供が父(神)を訪ねていく前に、
父が先に訪ねて来て
その子供を連れて行くと言われました。

「愛する息子よ!娘よ!
地上ではお前と親しく過ごせなかったが、
お前は神様を愛し、
人間を愛し、万物を愛し、
多くの精誠を尽くして来たのだなあ。
もう永遠に私から離れないで、
私と一緒に暮らそう」
と言いながら連れて行かれるそうです。

ですから、神様は公平であられるのです。
たとえ地上ではお父様の近くで侍って
暮らすことはできなかったとしても、
霊界では一緒に暮らすことができるのです。


このみ言は、地上で一度も父母様に
侍れなかった食口たちには、
大変な慰労となり、激励となるでしょう。

皆さんは若いので、お父様に
お目にかかることのできる機会は多いでしょうが、
年がいった人はそうではありません。
それで、年がいった人たちは、
父母様をどれほど恋しく思っているかわかりません。


私たちが肉身を脱いで霊界に行くと、
いくら田舎の名も無い人であっても、
神様に精誠を尽くしたら、
霊人体の光が明るくなるのです。

それで私が霊界に行くとき、
明るい光を持つ霊人体を持っていくために、
どれくらい準備したかということが最も重要です。

霊人体の完成は、個性完成、人格完成、
つまり愛の完成だそうです。

ですから、これから原理をもって生きるようになるときは、
人間が罪を犯そうにも犯すことができないのです。

最近の世間は、罪を犯さず生きることのほうが大変ですが、
原理の世界が来れば、
罪を犯すことができないそうです。


430家庭の中で、一度死んで生き返った人がいますが、
彼女が霊界に行って審判されているのを見ると、
二つのことが一番恥ずかしかったそうです。

一つは、借りを作ったことだそうです。
心情の借りや経済的な借金、
そして世話になったことが、とても恥ずかしかったそうです。
そして二つ目は、人を憎んだことが、
また恥ずかしかったそうです。



今は、真のお父様は霊界におられます。
また、お母様は地上におられますけれど、
直接侍ることのできる人はごくわずかです。
そういうことを考えると、
お父様のみ言は福音です。

霊界は永遠の世界です。
地上で直接、真の父母様に侍れないことは、
とても残念なことかもしれませんが、
しかし、直接侍る心情で生活するならば、
神様がそのことを記憶してくださるので、
私たちは神様、真の父母様に
侍る心情を持つことが重要だと感じます。

さらには、内外の負債、人を憎む生活はご法度である、
そのことも肝に銘じていきたいと思うのです。







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2018年06月16日

ダンベリーの面会室が天国に変わった?! 《お母様の証し:元補佐官》2



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金孝律(ヒョウユル:ピーターキム)先生の
真のお母様の証し、「刈り入れ人のお母様」続編です。


最初はお父様と神山会長だけだった「お迎えの摂理」が、
日がたつにつれて次第に華やかになっていきました。
ある時は十人余りの(囚人の)弟子たちが共に立ってお母様を迎えたりもしました。

お父様は囚われの道を自ら求めていかれ、
地獄の底までお救いになる摂理的な条件を積んでおられたのですが、
毎朝そのように外に出てこられてお母様をお待ちになるというその日課が、
本当に価値あることだったに違いありません。

限られた自由圏内ではありますが、それでも毎日誰かを待つことができ、
愛する妻に会うことができるというのは、囚われの身となっていたお父様にとっては、
最も価値があり貴い日課だったに違いありません。

面会室での姿が今でも私の目に鮮やかに浮かびます。

50坪足らずのセメントコンクリートのフロアに三流飲食店で見かけるような
テーブルと椅子が30個余りあちこちに置かれており、
片方には自販機が2台置かれていました。

ドアをあけて入ると看守が座っており、
持ってきた所持品などをいちいち調べたりしました。


ぎくしゃくしていた初めの数日間が過ぎると、
そこの看守たちも穏和で慈愛に満ちた姿に感化されて、
お母様に対してはそれなりの配慮を示し始めました。

とくに情進様のかわいらしい愛嬌には、
彼らも警戒の心をほどくしかありませんでした。

自販機でジュースを一つ買って、とことこ*歩いていって、
「Hi, Mr. Tinell! You want this?
(ティネルおじさん、このジュース召し上がりますか?)」
と言いながら、看守のおじさんの半ば硬直した顔に
ぱっと笑いを与えたりした3歳の情進様でした。

その当時、ダンベリー刑務所は、全国的に散在している
45ヵ所の連邦政府所属刑務所の中の一つであり、
服役囚の数は1000人余りでした。

その中で麻薬犯が35パーセントを越えていたので、
面会室を守って監督する看守の責任もたやすいものではありませんでした。

面会に来るすべての人々の所持品をいちいち検査して、
麻薬類や銃器の流入を防いで、できれば面会者たちと
服役囚たちとの対話までも耳を傾けなければならない
二重の責任を負っている彼らでした。

今はどうか分かりませんが、その当時、
ダンベリー刑務所の収監者たちの平均年齢は34歳で、
お父様がいらっしゃったキャンプには
とりわけスペイン系の人がたくさんいました。
ほとんどが麻薬犯でした。

このような雰囲気(見ようによっては凄じい)の中で、
お母様と情進様の出現はすべての人々の喜びであり羨望の的でした。
私たちは情進様を平和の天使と呼びました。


面会室には一切食べ物を持って入ることができませんでした。
朝8時30分には間違いなく面会室に入られるお父様! 

刑務所の中で床掃除をなさったり、台所の掃除をされて、
歩いて出てこられる憔悴したお父様を見るたびに、
私は我知らずどっとあふれる涙を隠すために、
席から立ってトイレに隠れたりしたことが思い出されます。

まして、そのようなお父様を拝見しても、
つねに一貫して笑顔で接しておられた
お母様の心はどれほどだったでしょうか。

もしかしてお父様が心を痛められるのではないかと、
込み上げてくる悔しさと怨めしさを抑え、毎朝、
自販機の紙コップのチキンスープに人参エキスをたっぷり入れて、
明るい笑顔とともにお父様に差し上げていたお母様のその姿! 

お父様が全部飲まれずにコップを置かれたならば、
再びコップを持ってお父様に最後まですべて飲むように勧められた、
そのお母様の細やかで愛らしい姿に、私は天国を見ました。

生きておられる聖霊が、現れたメシヤを
どのように侍られるかを数多く目撃して感激しました。


このようにダンベリーの時期のお母様は、
あらゆる悔しさと怨めしさを内にかみしめ、
ひたすらお父様の慰安と健康のために心血を注がれた
慈愛に満ちたお母様であり、完璧で絶対的な妻でした。

刑務所の規則のために、お母様が面会にいらっしゃらない日のお父様の姿は、
どこか寂しく見えて、面会室までがらんとしたような気分でした。

横でお供をして過ごす私も、ただただ身の置き所がなく、
たじろぐことが一度や二度ではありませんでした。
お母様の代わりにサンドイッチとチキンスープを買って差し上げる私の手は、
申し訳なさと恥ずかしさばかりで、全く自然なところがありませんでした。

お伺いしたことはありませんが、お父様は今でもダンベリーの時期を考えれば、
たぶん一番先にお母様のその細やかで愛らしいお姿が浮かぶのではないでしょうか。

3歳の情進様の手を握って明るく笑われ、お父様が慕わしくて
坂道を急いで登っていかれたその愛らしい妻の姿ではないでしょうか。

面会を終えて坂道を下りていかれながら、
涙を飲んで再び後ろを振り返られ、
愛情いっぱいに手を振られた
情の深い恋人のその姿、お母様ではないでしょうか。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『刈り入れ人のお母様』)

*元の翻訳は「よちよち」
文責:ten1ko2


ダンベリーで、お父様のお姿を見つめ、
笑顔で対されるお母様。。。
お父様の前では、決して涙を流さなかったけれど、
陰では、どれだけの涙を流したお母様だったでしょうか。
お二人のやり取りを想像するだけで、
胸が熱くなります。。。

どんな時にも完全投入され、
さらには、真の愛を貫いていかれた真の父母様。
どんな環境にあっても、
み言を実践していかれる
真の父母様に心から感謝いたします。






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金孝律(キム ヒョウユル):ピーターキム先生
1947年全羅南道長興に出生、1965年入教、
フィリス・キム(Phyllis Kim)さんと777家庭祝福を受ける。
1966年から牧会と協会本部文化部に勤め、
1970年から文鮮明先生の補佐官として仕事をする。
1990年以後には世界巡回講演など公的な席上で先生の英語の通訳を務め、
1994年からは米国ニューヨーカーホテルの社長として経営能力を発揮される。


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posted by ten1ko2 at 09:42 | Comment(0) | お父様・お母様の路程 証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする