2021年09月28日

真のお母様は、未来がはっきり見えている 学んでも学んでも到達できない心情世界 《文ヨナ様》



210927-2015.1107.jpg
中和文化祭東日本大会2015.11.7


2015年10月10日、千葉で語られた
姸娥(ヨナ)ニムのメッセージ。
少し長いですが、後半の内容をまとめてご紹介します。


  お母様は天一国の歌を聴きながら精誠の一日を出発される

真の父母様が心から願われているのは、
「世界中にいる祝福家庭、愛する子女たちが、
父母がいなくても保護を受け、真の父母と天の父母様の
原則を伝統のとおりに守りながら、幸せに暮らすこと」です。

今はそのことを心配しながら、
準備していく過程にあるのだと私は感じました。

真のお母様の生活をそばで拝見すると分かりますが、
お母様はとても早く起きられます。
午前1時、2時、3時になれば、
既にお母様の一日が始まるのです。
私たちは眠っている真っ最中でしょう。

まだ外は真っ暗な中、真のお母様は、天一国(てんいちこく)の歌を
何度も何度も聴きながら一日を出発されます。

世の中には美しい音楽、良い音楽がたくさんあり、
健康になるための音楽、瞑想(めいそう)のための音楽もたくさんあるのに、
なぜ天一国の歌なのでしょうか?
しかも、毎日同じように聴かれるのです。

私もそうですが、皆様も、いくら良い歌だとしても、
毎日繰り返し聴けばうんざりすることがあるでしょう。
いくら良い食事でも、毎日そればかり食べなさいと
言われれば、逃げ出したいでしょう。

それなのに、真のお母様はなぜ天一国の歌ばかり
聴いていらっしゃるのでしょうか?
お母様は、それが天の父母様と、真のお父様の
願いであることをご存じだからであると、私は思うのです。


世の中では、同性婚を合法化するという動きもありますし、
男女が平等ではない夫婦関係は
離婚して解消しなければならないとも言っています。

もちろん、夫婦が互いに尊敬し、愛することは重要です。
しかし、家庭よりも個人が優先されるのが、今のこの世界です。

アダムとエバの堕落以降、何千万年たったか分かりません。
人類が誕生し、堕落して以来、数千万年、探し求め、
さまよわれた天の父母様のご苦労の結果、皆様がここにいるのです。

そんな私たちが、保護を受けられず、
再びこの世界に押し流されていくとすれば、
それはどれほど悲惨で、胸の痛いことでしょうか。

数千万年の時を経て探し出し、出会った子女なのに、
保護してやれる国がなくて、彼らが再び苦しみ、
遠ざかるとすれば、どうでしょうか。

彼らが親子の情も知らずに生きなければならないとすれば、
それはどれほど胸の詰まる悲劇でしょうか。

ですから真のお母様は、子女が永遠に
天の父母様の基準を持って共に通じ合いながら暮らせる国を、
ご自分が地上にいらっしゃる間に探して立てたいと
思っていらっしゃるのです。

体系づけ、準備してあげたくて、
毎日、天一国の歌を聴きながら、考えに考え、
精誠を尽くして、一日を出発されるのだと思います。

真のお母様は、世の中に良い音楽があることを
ご存じではなくて、天一国の歌ばかり
聴いていらっしゃるわけではありません。

全て皆様のためなのです。
皆様が、そのようなお母様の思いを感じ取り、
理解してくだされば幸いです。

 
私は777双の祝福家庭に生まれた子女、二世です。
40歳を超えました。
「お姉さんです」と言いたいのですが、おばさんの年齢です。(笑い)
ここにいらっしゃる先輩がたにとっては、妹のような年齢です。

このような自分が、この場に立って皆様の貴い時間を
頂くことが心苦しくもあり、申し訳なくもありました。

そのうえ、きょうは家族連れで集まってくださいました。
もしかしたら、親が手をつかんで「行かなければならない」
と言うので、ついてきた子供さんもいるかもしれません。
それとも、来たくて来ましたか?
ありがとう。

真の父母様をそのように慕ってくださり、ありがとうございます。
きらきら輝くかわいい顔で座っている子供たちを見ると、
このように話ばかりして申し訳なくも思います。

しかし、それでも、真のお父様の聖和(ソンファ)以降、
真のお母様のおそばで侍り、そのお姿を拝見しながら、
私がどのようなことを感じたのか、どのように変わったのかを
申し上げなければならないと、強く感じます。(拍手)

なぜなら、おそばにいる私がきちんとお母様について
お伝えできなければ、皆様はお母様について知るために、
より多くの時間を費やし、さらに苦労しなければならないからです。

また、私が誤解し、間違って伝えれば、大きな過ちを
犯すことになります。それも実際、心配です。

 
過去3年間、私は夫を霊界に送った者として、
真のお母様のお気持ちが少しは分かると思っていました。
傲慢だったのです。

しかし、真のお父様の聖和2周年が過ぎて、
そうではないことに気づきました。
孝進様が霊界に行かれた後の私と、
真のお父様が霊界に行かれた後の真のお母様では、
まず心の持ち方が違い、生活態度が違いました。

お母様は常に前進されました。
全世界の子女のために、ご自分は何を準備するかを
考えながら、日々、精誠を尽くして過ごされました。

一方私は、個人的に愛すべき5人の子女をまともに
守ってやることもできず、「とにかく生きなければならない。
まずは自分自身がしっかりしよう」と考えながら、
多くの時間を費やしていたのです。

そんな私も、5、6年過ぎる頃から落ち着いてきました。
そして「孝進様が霊界に行くことによって、
私の子供たちは心情的、心理的に、母親まで一緒に失ってしまったのだな。
私が子供たちを孤児にしてしまったのだな」と、ようやく気づいたのです。


真のお母様を拝見していると、
真のお父様は霊界に行かれましたが、
「お母様は私たちに関心もない。
お母様はご自分のことだけを考えながら生きていらっしゃる」
とは全く感じません。

お母様はお目覚めになれば、いつも一日の始まりとして、
「全世界の子女たち、祝福家庭はどのように過ごしているか」
について報告を受けられます。

五大洋六大州、多くの大陸の至る所で食口(シック)が努力していること、
喜ばしいこと、悲しいことを全て聞かれながら、
お母様も喜んだり、悲しんだりしていらっしゃいます。
本当です。

きょうの皆様のことも、真のお母様は
きょう遅くか明日には耳にされるでしょう。

「集まりはどうだったの?
どのようなことを感じたと言っていたの?
元気に帰っていったの?」と、
お母様は興味津々に聞かれるのです。
そのように生活していらっしゃるお母様です。

真のお父様が霊界に行かれた後、私たちが
お父様のことが慕わしくて胸を痛めていたときも、
真のお母様は絶えず前進されました。

それは、お父様を失った悲しみなどないからでしょうか?
違います。違うのです。


孝進様が霊界に行かれた後、私が食口の前で
涙を流さなかったからといって、
私が孝進様を愛していないのでしょうか?

私が笑っているからといって、
孝進様が亡くなったことを忘れて、
楽しく過ごしていたのでしょうか?
全く違います。

何も言わないでいると、誤解されます。
周りの人から、
「あまり笑わないほうがよいのではないか」
と言われたときは、天が崩れるような気がしました。
深く傷つきました。
「私が足りないからだ」とも思いました。

そのように忠告してくれるのも、私に対する愛ゆえであると
受け止めなければならないのですが、当時は
「どうして、これほどまでに私の気持ちが分からないのか」
と悲しくもなりました。


私は今も、先のことを考えて不安になることがあります。

ところが真のお母様は、
「あなたは10年後、20年後、
30年後の心配をなぜするの?
そのとき私たちはもっと発展しているから、
心配することはない」
と言われます。
確信していらっしゃるのです。

なぜでしょうか?
中心がはっきりしているからです。

天の父母様のみ旨がはっきりしており、
天の父母様の目的がはっきりしており、
天の父母様の摂理的な原則がはっきりしているので、
ただそのとおりに行けば、私たちは発展せざるをえないからです。

私が心からそのように感じられるようになったのは、
最近のことです。

聖和2周年が過ぎて、真のお母様について改めて学び、
勉強し、認識を新たにしたと思ったのですが、
3周年が終わってから再び、「私はまだまだだ」と感じています。


  真のお母様のなさる全てのことの背後にあるのは「愛」

私たちは、そのような真のお母様の子女ですから、
お母様に似なければならないでしょう?
真の父母様に似なければならないでしょう?(「はい」)

ですから、私たちもお母様のように前を向いて、
「私たちはどのようにすれば、さらに大きく発展できるか」
ということを真剣に悩まなければなりません。

具体的には、「私の生活、私が勉強する分野、
私が責任を持つ分野において、どのようにすれば
さらに改善していけるか」を考え、努力していかなければなりません。
私はそのことを皆様にお願いしたいのです。

私たちが「家庭連合」として出発できるようになることも、
誰が予想していたでしょうか?
しかし、実際にそうなったでしょう?

私たちはそれに対して、「確実にそうなる」と信じていましたか、
「そうなればよいが、ならなければしかたない」
と思っていませんでしたか?

真の父母様はいつも「うまくいく、発展する」と考えて歩まれます。
真のお父様もそうでしたし、真のお母様もそうです。
当然です。

私たちの中心はどなたでしょうか?
天の父母様です。
天の父母様が滅びることがありうるでしょうか。
その偉大なる愛で全てを包むとき、
その愛から人間が逃げ出すことができますか? できないでしょう?

協力し、助け合いながら、希望を持って進みましょう。
「私たちが足りないから問題が起こるのだ」と考えるのではなく、
「私たちの現在の段階はこのぐらいだが、
ここからさらに良い方向に発展させ、改善するためには、
何をすればよいだろうか。
どのようにすれば、もっとうまくいくだろうか」と、
日々、肯定的な気持ちと希望を持って歩むことができればよいと思います。

なぜでしょうか?
真の父母様がそのようなおかたであり、
真の父母様が感じ、学び、経験した天の父母様が、
そのようなおかたであるからです。

私たちはその子女である祝福家庭ですから、
当然、父母に似なければなりません。

 
ですから皆様、真の父母様がなさることに対して、
その内的な事情、歴史、心情、願い、目的が何か、
本当に精誠を込めて祈り、訓読を通して学んでいくようにお願いします。

私たちは、父母の事情と心情と願いを知り、
真の父母様が見詰められるとおりに私も見詰め、
真の父母様が感じられるとおりに私も感じ、
全く同じ考え、全く同じ感覚、全く同じ目標を持って
努力することができなければなりません。

それが正に、真の父母様が生涯、
天の父母様を見詰めながら実践された生き方です。
私たちはそのような真の父母様を見詰めながら、
真の父母様の生きざまを通して、
天の父母様の前に進み出ることができるのだと思います。

私は、真のお母様がなされる一つ一つの背後に愛を感じます。
祝福家庭の皆様や未来を担う子供たちに対して、
希望と愛、関心を持っていらっしゃるのです。
お母様がなされる全てのことは、
お母様が霊界に行かれた後に残される子女たちのための準備だと思います。

私はその切実さを目撃したので、
皆様のもとに来て、お話しするのです。

今後、多くの困難と誤解が生じることがあるかもしれません。
しかし、私は自分が見て感じたとおり、
私がみ言と真の父母様の生涯について勉強し、
学んだとおり、この道を行こうと思います。
逃げることはできませんから。

弟、妹の皆様、一緒に行きますか?
一緒に行きましょう!(拍手)
お兄さん、お姉さん、先輩の皆様、私と一緒に歩んでくだされば幸いです。

私は今後も学ぶべきことが多くあります。
学んでも学んでも、真のお母様の心情世界には到底、
到達できないと感じていますが、
まだ幼い次世代に伝えるために努力したいと思っています。

共に手を取り合い、真の父母様と心が通じ、事情が通じて、
同じ目的を見詰めながら進む私たちになれれば幸いです。

愛しています。

第14地区特別集会
2015年10月10日
(『世界家庭』2016年1月号「文姸娥様のメッセージ
学んでも学んでも到達できない真のお母様の深い愛と心情の世界」より)

私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
学んでも学んでも到達できない真のお母様の深い愛と心情の世界(3)(4)
(blessed life)
一部割愛しています
文責:ten1ko2


今回のみ言は、一度紹介したことがあるので、
覚えておられる方もいらっしゃると思います。

姸娥様のみ言を訓読するたびに、
お母様に対する見つめ方を教えていただけることが、
何よりも感謝でなりません。

天一国の歌を何度も聴かれるお母様。
お父様のことを語られなくとも、
常にお父様を思い、
その願いを果たそうとされているお母様。

本当に天一国が一歩一歩近づいています。
私たちも小さな歩みであったとしても、
歩調を合わせ、心情を合わせ、一つになって
歩んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 07:10 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月27日

妻を伝道、そのために立てた凄まじい精誠とは 《北谷先生・死んだらわかるけど、それでは遅い》



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北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
今回は、『百日の精誠で妻を伝道』です。


こうして一九八三年、私は家庭連合の信仰を持つことを決めました。
ところが、妻は乗り気ではありませんでした。

結婚から一年が過ぎ、妻はようやく私の家の神道の信仰や
儀式に慣れてきたばかりで、「この神道の宗教のままで
いいんじゃないの?」という反応だったのです。

家庭連合の人から
「あなたは結婚しているんでしょ。
この道は一人ではなくて、夫婦で、 家庭で歩む道です。
奥さんも子供も一緒でないといけません」と言われ、
私もそのとおりだと思ったので、妻を伝道することを決意しました。

そして私自身の一生のことなので、
確信を持つためにも百日間の精誠条件を立てることにしました。
条件は、一日の十分の一を神様に捧げるという意味で、
毎日二時間二十四分、祈祷することにしました。

当時、私は片道一時間半かけて仕事に通っていました。
通勤だけで一日三時間です。
そういう中で、一日のうちの十分の一、二時間二十四分を、
妻を伝道するための条件に当てたのです。

ところが、そう決めるや否や、仕事帰りに上司や友人から
「一杯、行こう」と酒席に誘われるようになりました。
不思議なことに、それが毎日のように続くのです。

「あ、これはサタンがいるな」とすぐに感じました。
それで私は、「すべて受けて、とことん付き合おう」
と腹をくくりました。もちろん、酒は飲まずに、です。

そうなると、帰宅は早くて夜の十時、十一時になります。
遅いときは午前三時を回ったこともありました。

すると、「日付が変わると、条件は失敗ではないか」とか、
「今から祈祷したら、二時間しか寝られない。明日の仕事に差し支える」
など、様々な思いが湧いてくるのでした。

それでも私は、とにかく「いったん座ってお祈りをする」
ということを、 やり続けたのです。

祈るといっても、当時の私には簡単ではありませんでした。
神道で祈りに当たるものといえば祝詞ですが、
祝詞は同じ言葉を十回、百回、千回と、繰り返すもので、
自分の言葉で自由に祈ることはありません。

自分の言葉で祈るというのは、とても大変なことだったのです。
それで、この期間は、最初に「神様、今からお祈りします」
と宣言し、祈りの言葉が出 てこないときには聖歌の録音テープを流したりしました。

そのようにしながら二時間二十四分を過ごした後、
「これで終わります」と言って立ち上がる――。
それが精一杯でした。

結果的に、この百日は、人間に条件を立てさせまいとする
サタンの業をものすごく実感する期間となりました。

それでも屈することなく、幼い頃から教えられた
「神様、との約束は守る」という一点で、形だけは全うすることができたのです。


そうして百日を終えたその朝方、夢を見ました。
旧約聖書のアブラハムのイサク献祭の場面でした。

ユダヤ教やキリスト教で「信仰の父」と尊敬されている
アブラハムは、神様からその子イサクを
燔祭(はんさい)として捧げなさいと命じられます。

燔祭というのは、供え物の動物を刃物で 裂いて、火で焼くというものです。
アブラハムが大事な一人息子のイサクを燔祭として捧げようとします。
アブラハムがイサクに手をかけようとしたその時、
神様が天使を遣わしてとめさせるのです。

そして、「あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記9章2節)
とおっしゃる、あの場面が出てきたのです。

そして続いて、「これからあなたの人生には様々なことが起こるだろう。
だが、必ず最後は私が導く」という声が聞こえたのです。
これが神様との初めての出会いでした。


するとその朝、驚いたことに、妻の気持ちが百八十度変わっていたのです。
妻は百日間の私の姿を見ながら、
「この人は一度決めたら変わらない。
しゃあない、私もやるしかないと思った」と言っていました。

こうして、夫婦で新しい信仰の道を出発したのです。
ほどなくして私は、会社を退職しました。
そして妻に「一年間だけ、私に時間をくれないか」と相談しました。

「一年間、『統一原理』の勉強をしたい。
勉強して原理講義をできるようになりたいのだ。
神様が私を必要としてくださるのなら、私を用いてくださるだろう。
もし神様が私を必要としていないということだったら、
そのときはもう一度、勤めながら信仰するようにする」

そのようにして信仰を出発したのです。

光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より


100日間、凄まじい精誠条件をされたんですね。。。
1983年当時のことですから、今から考えれば
とても激しい条件を立てる時代でしたが、
それでも、2時間24分の祈祷を捧げるということは、
半端ないですね。

睡眠時間を削って精誠を立てていくことは、
命を削ることになりますから、
命懸けの精誠ともなり、
それを100日間やり続けることを通して
サタン分立されたのだ、と思います。

愛する伴侶を伝道する、というのは、
簡単なことではありませんが、
だから激しい条件が必要なんだ、というよりは、
その背後の心情、動機を天が取られたと思います。

小さい頃からの霊界の訓練のたまものでもありますね。
そのような必死な心情と決意、
あきらめずに続けてやり遂げていくことが
重要なんだ、と思わされました。





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2021年09月26日

こんな私も幸せになっていい! 自己牧会プログラム「つまみ食い」段階ですが・・・



210926.jpg
天正宮の花❁


自己牧会プログラムの体験談、
「幸せになっていいなんて……」

(女性 30代)

私は、幼い頃に両親が復帰され、
信仰二世として育ちました。

ずっと「統一原理って厳しい! 許しがない!」
と感じていて、「〜ねばならない」
という思いで自分を追い込んできました。

そしてとうとう最近は、
「もうやってられない」という気持ちになっていました。

ところが自己牧会プログラムに出合って、
改めて「統一原理って素晴らしい」
と思えるようになったのです。


自己牧会プログラムで一番心が引かれたのは、
「否定するものは何もありません。
全てを許して愛して一つになり、
幸福を感じながら生きましょう」と教えている点です。

こんなことは考えたこともありませんでした。
私は、「み旨が成就するまで
幸せになってはいけない」と思い込んでいたのです。

天一国時代を迎えて創造本然の歩み方をしていい時代に
なったのに、旧態依然たる考え方のままだったことを、
自己牧会プログラムは気付かせてくれました。

今の私は、教会の公務と家事・育児に追われていて、
まだ自己牧会プログラムについては“つまみ食い”の段階です。

心に残ったことを生活の中で思い出してやってみるという程度で、
実践の証しを聞いても、まだ感覚的に
よく分からないこともあります。

でも「私が求めていたものはこれだ!」
という確信はあります。
これからもっと学んで、
生活の中に生かしていきたいと思っています。

私の心の中にいる神様 85
幸せになっていいなんて……


統一原理は、「霊肉の救い」を提唱している、
特異な理論ではないか、と思います。

復帰摂理においては、
穴埋めをしていく時代もありました。

しかし、天一国時代を迎え、
本当の幸せを求め、実現できる
そういった時代が到来したのです。

神様を知ること、真の父母様を知ることも、
本当の幸福を得られる近道を
与えられているのだと思います。

そういった意味においては、
今回、証しをされている内容は、
まさにごもっともなことだと思うのです。



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