2011年03月31日

「信仰の道は、悲しみの谷間を通る道である」文先生の日本への御言葉


doreガリラヤ湖を行くイエス.jpg


文先生は、日本の責任者とともに、
東京のある教会から、
たくさんのメンバーが来たことをとても喜ばれました。
「日本が地震で大変なときによく来てくれた。
今日は歌と踊りにしよう」
と語られながら、歌を歌わせました。
ともに『み旨の応援歌』 を歌われ、
ご自身も歌を歌われました。

神様の願いを果たすことが出来ず、
心が悶々として、葛藤が起きて、
自分ではその思いをどうすることも出来ないとき、
文先生は、教会員に歌を歌わせながら、
ご自身の心を落ち着かせることがあります。

今回も、地震によって多くの方たちが
命を失われてしまったことに対して、
血の涙を流されていた文先生でしたので、
そんな気持ちを日本から来たメンバーたちとともに、
心を癒していかれたのだと思います。

その場で、文先生は次のような話をされました。

信仰の道は、悲しみの谷間を通る道である

神様が歩んでこられた歴史は涙の歴史でありました。
神様は栄光の神様、崇高なる神様ではなく
涙の神様であったのです。

そんな神様を実感するには、
悲しい道を行かなければならない
ということなのです。

愛の神様でありながら、
何で神様は愛してくれないのか、
という思いが湧いてくることがありますが、
実はそういう時ほど、神様が近くにおられる
ということなのだと思います。

『足あと』 いう有名な詩を
ご存知の方も多いと思います。

自分の人生を振り返った時、
神様と二人で歩いた道が
足あととして残っていました。
しかし、一番苦しい時、
足あとはひとつだけでした。
『神様は苦しいとき、ともにいなかった』
と思っていましたが、
神様の声が聞こえてきました。
『お前が苦しいとき、私はお前を背負って歩いたんだ』と。

日本が今とても試練を受けています。
『神様がいるなら、何でこんな仕打ちを・・・』
という思いを持ってしまうようですが、
むしろこういう時であればあるほど、
神様がともにいらっしゃるのだと思います。

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posted by ten1ko2 at 08:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・食口の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

日本のため、血の涙を流される神様


天使に慰められるイエス。カール・ハインリッヒ・ブロッホ.bmp


東日本大震災で、多くの命が失われました。
自分の家族を奪われた人の心の痛みはいかばかりでしょうか。
「神様を恨みます」といっていた人がいました。

しかし、その神様ご自身が
何よりも心を痛めておられるのです。
神様は人類の真の親であられるので、
子供を失った親が味わう悲しみを
同じように味わっておられるのです。

どれだけ助け出したいと思ったことでしょうか。
しかし、神様はどうすることも出来ずに、
血の涙を流すしかなかったのです。


教会長が参加した報告会で、日本のある責任者が
次のような話をされたそうです。


私は、文先生に呼ばれました。
すると、会ったらすぐ私の手をしっかり握って、
私も握って2分以上いました。
お父様は血の涙を流されたのです。
手をしっかり握って一言もおっしゃいませんでした。
幹部たちも初めて見る場面でした。
お父様の心情が、日本がこのようになって楽ではないでしょう。
それで、お父様は日本を握っていらしたのです。
呼ばれたのも日本を呼ばれたのです。
私は代身者に過ぎません。
お父様は「私がどのように過したか分かるか?」
私は、「すみません、すみません」
というしかありませんでした。


文先生は、日本を本当に愛しておられます。
神様は人類の親でありますが、
その神様が日本を愛する以上に
もっと日本を愛されているのが
文先生ではないかと思うほどです。

ですから責任者の姿を通して、
日本を思い、血の涙を流されたのです。


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posted by ten1ko2 at 07:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月29日

「震災で私も死んだ」ヨナの如く証かす時!


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今回の震災を通して、
日本のある責任者の方は、祈りを捧げながら、
「自分も死んだのだ」 と悟られました。
そして「死んで生かされた立場である」と感じられました。

この話を聞きながら、
さらには、福島の教会長の証しなどを通して、
ニネベの町で叫んだ
ヨナの姿を改めて思いました。

ヨナは、神様からニネベに行くように言われ、
悔い改めるように叫びなさいと命令されました。
しかし、彼は神様の命令に背いて逃げてしまいました。
何故なら、ニネベはイスラエルの敵国であったからです。

ヨナは船に乗って逃げました。
しかし、乗った船が嵐に遭い、
船乗りたちは、誰が乗ったことによって嵐が起こったのか、
そのことを決めるためにくじ引きをしました。

くじ引きに当たったのは、ヨナでした。
彼は、自分が神様の命令を守れず、
逃げてこの船に乗ったことを話しました。
そして、自分を海に投げ入れれば、嵐は止むといいました。
嵐は一向におさまらなかったので、
船乗りたちは、ヨナを海に投げ込みました。

ヨナは大きな魚に飲まれ、三日後、陸地に吐き出されました。
彼は、勇気を持って、ニネベに向かいました。
そして、王様や民たちに叫んだのです。
王様も民たちも意外にも素直にヨナの言葉を
神様の言葉として受け入れました。
心から悔い改めて、断食をして祈りを捧げ、
ニネベの町は滅びなかったのです。

神様を信じ、文鮮明先生を真の父と信じる私たちは
そのことを堂々と証しする立場です。
しかし、過去の自分の姿を見ても、
ヨナのように、逃げる立場ではなかったか、
と反省させられます。

一度、大きな魚に飲まれましたが、
再び蘇ったヨナのごとく、
もう一度生かされた立場なのです。

ニネベの民たちは、ヨナが叫んだので、
悔い改めることが出来ました。
ですから、私たちが文先生の自叙伝を通して、
あるいは、さまざまな媒介を活用して、
いまこの時、神様と真の父母様を、
声高らかに叫ぶ時であると改めて感じています。

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posted by ten1ko2 at 09:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする