2011年04月07日

『受け入れ上手』と『感謝力』、両腕のない尼僧大石順教〜コミュニケーションセミナーより


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昨日、本部の先生をお迎えして、
コミュニケーションセミナーを行いました。
とても感動的なところがありましたので、
紹介したいと思います。

コミュニケーションセミナーでは、
幸せな人間関係づくり、人生づくりのアドバイスを
さまざまな例題を挙げながら
わかりやすく教えてくださいます。

そのうちのひとつに『感謝力』があります。

相手を受け入れること、
環境を受け入れること、
さらには人生を受け入れることなど、
『受け入れ上手』になることは
豊かな人間関係、有意義な人生を歩みにおいて
とても重要なのです。

すべてのことを
感謝の心で受け入れるのが
『感謝力』であるというのです。

感謝した人生を歩みきった一人として、
先生は大石順教(おおいしじゅんきょう)を挙げていました。

尼僧となった女性の人生です。
17歳のときに、ある凄惨な殺人事件に巻き込まれ、
命は助かりましたが、両腕を切断されてしまいました。
しかも、誰によって切断されたかというと、
自分を育ててくれた、養父だったのです。

多感な時に、父親から殺されそうになり、
両腕を失った心の傷はいかばかりでしょうか。
しかし、彼女は強くたくましく生きていきました。

結婚をして、娘二人を育て上げました。
腕がない代わりに、足を使って、
育児と家事を見事にこなしたといいます。

さらには、こういう自分でも
人に役立つことは出来ないかと考え、
口で筆を執って書や絵を書きました。

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二人の娘が成人になったあと、
順教は仏門に入り、出家して尼僧となりました。

尼僧になってから、順教は
『禍福一如(かふくいちにょ)』という話をしました。
「禍(わざわい)と福はひとつである」という意味だそうです。
順教は、
「両手がないことがマイナスなのではない。
心の持ち方で一つの出来事が
幸せになったり、
不幸になったりする」
と悟るのです。

そして、彼女が弟子に対して、
いつも話していた言葉に心を打たれました。

「また生まれ変われるなら、
手のない状態で生まれたい」

この境地に至るまで、
相当な苦労と困難の人生を送ったと思います。
それをすべて乗り越えて、
腕のない体でありながらも
多くの恩恵を受けた実感があるからこそ
このような言葉が出るのだと思います。

親から腕を切られたことに対する
恨みや憎しみの思いなど、すべてを超えて
感謝しきった人生を送った大石順教。

私たちが見習うべき姿であると思います。

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タグ:大石順教
posted by ten1ko2 at 07:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする