2011年04月19日

現代の「弁明しなかった主人公」とは誰なのか〜神様を解放する道(2)〜


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昨日の記事で最後にこのように書きました。

『私が置かれた環境、境遇がいかなるものであっても、
既に越えていかれた方、
勝利された方がいらっしゃるがゆえに、
感謝して越える道が与えられているのだと思います。』

勝利された方、
それが誰かとするならば、
2000年前においていうならば、
イエス様でありました。

文先生はこのように語られています。

イエス様は宇宙的な使命を持って
この地に来られましたが、
一生の間、苦難を受けられました。
しかし、その悲しみのために祈るのではなく、
かえって心を痛めて心配なさる父を慰められました。
そうしながら地を眺めて、
人間の無知を容認してあげるために
苦しまれたイエス様だったのです。
み旨を完全に成し遂げようとして
来られたイエス様でしたが、
十字架に亡くなることになったからといって、
腐心や失望はしなかったイエス様でした。
死の場まで行っても、
イエス様は自分について弁明しませんでした。
ピラトの法廷を通過し、
ゴルゴダの山頂を経て十字架に
釘付けにされて亡くなる立場まで行きながらも、
イエス様は弁明しなかったのです。
弁明しなかった主人公でした。


(1956年12月23日の礼拝説教から抜粋)


イエス様の道のりは、
神様が2000年かけて準備した基台が崩れ、
多くの苦難を受けなければなりませんでした。
そのため、悲しい心情を何度も通過しましたが、
悲しみのために祈るのではなく、
かえって心を痛めて心配なさる父を慰められました。

これが、真なる神の子女として歩まれた
イエス様の勝利の道であったと思います。

初期キリスト教時代において、
多くのクリスチャンたちが殉教の道を行きました。
しかし、苦難の中、それでも信仰を持ち続けたのは、
何故だったのでしょうか。
それは、イエス様と同じ道を歩むことが出来た誇りと、
さらに、殉教する時にイエス様の心情世界を
通過したばかりか、
霊的にイエス様に出会ったからだったに違いありません。

そして、このイエス様の深い心情世界を
詳しく語られている文先生ご自身も
同じ道を通過されたということは、間違いありません。

ですから、現代の「弁明しなかった主人公」と言えるのです。

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posted by ten1ko2 at 07:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする