2011年04月20日

「神様、私は大丈夫です」〜神様を解放する道(3)〜


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昨日の続きです。

文先生の道のりもイエス様と同様
迫害と苦難の道でありました。

1948年平壌の地において、
南から来たスパイと疑われ、
社会を乱したという罪により、
5年の刑が言い渡されました。

その時の文先生の心情がどのようなものだったでしょうか。
文先生は次のように語られています。

「神がこのような悲惨な道に愛する者を送ろうとするとき、
そのような所に『行け!』 と命令する神様よりも、
行かせねばならない事情を持っていた神様を先に考えた」


神様の事情、心情を思っていかれた文先生は、
次のように悟られます。

「地獄のような所へ行かねばならない自分も
苦しい立場であるけれど、
それ以上に苦しまれるのは、
愛する者をそのような所に
送らねばならない神様である」

自分の苦しみを思うこと以上に、
神様を何よりも慰めていかれたのです。
そして神様に祈りを捧げていかれます。

「神様、心配しないで下さい。私は大丈夫です」

このように、自分の苦しみ以上に
父なる神様のことを考えていかれた文先生でした。

このようにして、すべての思いを超えて、
感謝の境地に至り、神様を慰める道を歩まれている
勝利した師がおられるがゆえに、
その師を慕う私たちも同じ道を行くことが出来るのでしょう。

ですから、おとといの記事において、
「神様は私を見捨てた」と思った婦人が、
さらに神様を求めて、祈りを捧げたのちに、
むしろ今抱える苦しみを超えて、
神様を慰め、解放していこうと悟っていかれた世界は、
すでに勝利された方がいるがゆえに、
到達できた境地だと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 08:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする