2011年04月21日

神様を解放する道(4)


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師を仰ぐ人がいるとするなら、
誰もが、その人を慕い、尊敬するがゆえに、
その人に似たい
その人の生き方を相続したい
という風になるのではないでしょうか。

み旨の道に次のようなみ言葉があります。

信仰生活の基準はメシヤである。
メシヤに似ることが信仰である。


私は、文鮮明先生を
再臨主として、真の父母として、
信じ、慕っている者であります。

ですから、文先生の生き方を相続することが
信仰生活の基準であるというのです。

自分に限界が来たとき、
とうてい乗り越えられない壁にぶち当たった時、
既に同じような道を乗り越え、
勝利された方がいるのです。

すなわち、文先生が歩まれた道を振り返るとき、
自分では越えることが出来ない道を
既に越えておられるので、
恨みを持って越えるのではなく、
感謝して越えることが出来るし、
そこで生きた神様との出会いがあるというのです。

上記のように日々過ごせればいいのですが、
実際はそのようにならないのが現実ではありますが。。。
ですから、統一教会の問題は、
文先生にあるのではなく、
文先生を慕っている者たちにあると言えるのかも知れません。

そんな足りない者ではありますが、
それでも、試練を越えて来たが故に
この道に残っている自分でもあるというのです。

そのことを堂々と誇ることの出来る
私でありたいと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 08:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする