2011年05月02日

究極の親孝行の姿とは?〜ある大先輩の証しより〜


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愛は与えて忘れなさい



もう10年以上前になりますが、
韓国の大先輩の証しを聞いたことがあります。
少しうろ覚えのところもありますが、
結論的な部分だけは間違っていないので、
その点をご理解ください。

文先生の御誕生日にプレゼントをしたいと思い、
少しずつお金を貯めて、アクセサリーを買いました。
ある機会にそれを直接渡すことが出来ました。
先生はそれを身に着けましたが、
すぐに側近の人にあげてしまったのです。

ここで、文先生が側近に渡したとき、
そのことを一番喜んだ人は誰だったのでしょうか。

そうです。
プレゼントをもらった側近の方ではなく、
文先生のためにプレゼントを準備した
大先輩だったのです。

私たちの感覚からすれば、
自分が真心を込めて、準備して捧げたものを
プレゼントしたすぐあとに、他の人に渡ってしまったら、
どんな風に思うでしょうか。

「私が買ったものは、気に入ってくれなかったんだ」
とか、
「わざわざ、私の目の前で他の人にあげなくてもいいじゃないか」
とか、
だいたいそんなことを思うのではないでしょうか。
いわゆる「愛の減少感」というものを感じてしまうのです。

ところがこの先輩は、喜ばれた。
これはすなわち、文先生の心情世界を
完全に共有しているからに違いありません。

プレゼントを捧げ、文先生が受け取られた時点で
自分が捧げた思いは完結し、
そのあとは、先生が側近の方にプレゼントをあげて、
喜んでいる姿を見て、先輩も喜んでおられたのです。

まさに究極の親孝行の姿だなぁと感じました。

そして、この方が誰かというなら、
真のご家庭や、功労を捧げた古い先輩たちが眠っておられる
坡州元殿(パジュウォンジョン)の地を守っている
任教会長様であられるのです。

重要な立場をもう10年以上任されておられるのも、
やはり深い信仰と心情があっての賜物だと思います。

天に捧げたら、それで良しとする信仰。

まだまだここまで到達していない自分の姿を
感じざるを得ません。


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posted by ten1ko2 at 07:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする