2011年05月26日

文先生の幸せの定義【参考:自叙伝書写講演会】


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☆スイス・アルプスでの文先生ご夫妻(ツーショット)☆


人は誰しも幸せを求めて生きています。
原理講論の総序にも
人間は何人と言えども、不幸を退けて
幸福を追い求め、それを得ようともがいている
とあります。

そして、誰が幸せになればいいのかと言えば、
もちろん、「私自身が幸せになりたい」
このように答えるでしょう。

さらには、私以外誰が幸せになればいいのか、
と質問されれば、
「家族が幸せであればいい」
こう答えると思います。

子供が遠足に行きました。
集合写真を撮って、その写真が出来上がった時、
まず確認するのは、自分の子供の顔であって、
隣の子供がどんなによく映っていても関係ありません。

幼稚園に通っている子供がいて、
いつも乗っている幼稚園バスが事故に遭った、
そう連絡を受けたとき、誰のことを心配するでしょうか。
他人の子供をまっさきに心配する親は一人もいないというのです。
まず心配するのは我が子のことです。

もちろん、私たちが持つ、自然の情の発露です。
ところが、実際は自分と自分の家族だけを愛したら、
本当の意味で幸せになることが出来ないというのです。

文先生の自叙伝「平和を愛する世界人として」
239ページにこのように書いてあります。

私さえ幸せに暮らせばよい、
私の家庭さえ守ればよい」
という言葉は、私の辞書にはありません。

私と私の家族だけ考える、その先に幸せはないのです。

動物と人間の違いは何でしょうか?
食べているだけなら、人類も爬虫類も同じです。

人類は有機体なのだというのです。
世界に住んでいるたった一人の人が悲しんでいれば、
私一人の幸せはないのであって、必ず私に伝わるのです。
人類は離れられない糸でつながっている、神の家族なのです。

ですから、先生の中には、
全世界の人類の最後の一人が幸せにならなければ、
私の幸せはないのだ。
このような思いを持って、生活しておられるのです。

この高貴なる先生の精神を相続するのは、
あまりにも基準が高いように思えますが、
それでも今の私でも出来ることがあるといいます。
また次回にお伝えしたいと思います。

*今日の内容は「自叙伝書写」講演会の内容を
参考に、再構成させて頂きました。
浅川節の再現は無理なので
このような形の構成になりましたこと
ご容赦ください


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posted by ten1ko2 at 09:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする