2011年06月17日

文先生の強烈な霊界体験とは?〜私の行った自叙伝書写講演会1〜


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☆訓読会を終え夫人を抱擁される文先生ーハワイ・コナ キングガーデン☆


新しく教会に来られた方に対して、
自叙伝セミナーを不定期的に行っています。

今回は、霊界に関心のある方でしたので、
そのことを含めてお話をさせていただきました。

実は、文先生の自叙伝「平和を愛する世界人として」には、
《霊界》という言葉は、一つも出てきません。
代わりに、《霊魂》という言葉が何度か出てくるくらいです。

文先生ご自身は、霊界の存在を確信しておられるし、
地上生活は、霊界に行くための準備期間であると
強調しておられますが、何故、霊界に関する記述がないのか、
それは、自叙伝を出版した会社の社長が
熱烈な仏教徒であるからだと思います。

それでも、表現を変えて、霊界の存在に対して、
いくつか説明しておられます。

文先生は、12歳の時、ある強烈な体験をして、
死後の世界に対して、関心をもたれるようになりました。
それは、ひいお爺さんが亡くなったときのことです。

曽祖父の墓を移葬する時に、その場に参加した文先生は、
白い骨になった曽祖父の姿を見たのです。
その時の衝撃をこのように表現しておられます。

『曽祖父も生きておられた時は、
みんなと全く同じ姿をしていたはずなのに・・・。
そうすると、父や母も亡くなれば曽祖父のように
白い骨だけが残るのか。
自分も死ねばそうなるのか。
人はみんな死ぬけれど、死んだ後は何も考えられず、
そのまま横たわってばかりいるのか。
思いはどこにいくのか・・・・』
そうした疑問が頭を離れませんでした。
(自叙伝59ページ)


人間はどんなに元気に生きていても、
結局このようになってしまう。
しかし死によって全てが終わるとは思えない。
思いはどこかにいくはずだ。
このことをはっきり知らなければ、
人間は幸せになることは出来ない。

先生は人生に対して深く探求されるようになります。
さらに衝撃的な出会いがもう一つあります。
それがイエス様との出会いです。

祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、
イエス様が私の前に現れました。
風のように忽然と現れたイエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、
神様はあまりにも悲しんでおられます。
地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」
と語られたのです。
その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、
その声をはっきりと聞きました
(同62〜63ページ)

イエス様から特別な願いを託された先生でしたが、
ここで、印象的なのは、
悲しい顔のイエス様をはっきりと見、
その声をはっきりと聞きました

というところです。
幻想や夢想でのイエス様ではなく、
霊界におられるイエス様が顕現されたのです。

さらにもっと具体的な表現をしておられる箇所があります。

本当に恐ろしくてたまらず、
何とか辞退しようとして、
私はイエス様の服の裾をつかんで泣き続けました
(同63ページ)

イエス様の服の裾をつかんで
というところは、実感のこもった表現です。
現実に体験しておられるがゆえに
このように書き記されているのです。

ひいおじいちゃんの姿、そしてイエス様との出会い、
さらに多くの霊的体験を積み重ねながら至った結論が、
霊魂・霊界は、実在するのであり、
死は霊界に対する出発である

ということなのでありました。

人は亡くなって、永遠の眠りにつくのではなく、
霊界に行って永世するという、永遠の人生観を
文先生は、身をもって体験された土台で
私たちに、はっきりと示してくださっています。

では、地上において、
私たちはどのような生き方をすればいいのでしょうか。
また次の機会にお話したいと思います。


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posted by ten1ko2 at 09:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする