2011年06月28日

「神様を信じない」牧師たち〜拉致監禁・強制改宗の背景〜


ルイス・トリスタン《法悦の聖フランチェスコ》.jpg


教育部長さんの「拉致牧師がいう『本当の信仰』とは」
を読んで、いろいろと書きたいことが出てきました。

拉致牧師のM氏が神様を信じていないとあります。
もしかしたら、M牧師は日本基督教団ではなく、
他の教団に属している牧師なのかも知れないのですが、
それにしても、ハッキリと
「私は神を信じていない」と言い切っています。

牧師というのは、試験を受けて合格すれば
資格を得ることが出来るので、
神様を信じていなくても、牧師になれるのです。

しかも教育部長さんによれば、
アメリカでも当たり前の話であり、
むしろ神様を信じていない牧師の方が多いといいます。

神様を知るための学問である、神学を学べば学ぶほど、
神様から離れ、遠くなっていくのです。
神様を信じない牧師が増えていく現実。
神様にとって見れば、これほど悲しいことはないでしょう。


拉致牧師の全員が神様を信じていないとは言いません。
しかし、私の拉致に携わった牧師も、
「本当にこの人、神様を信じているのかな?」
と思うような発言を何度も繰り返していました。

ある意味では、神様を信じていないからこそ、
拉致監禁が平気で出来るのであり、
左翼弁護士とも平気でお付き合いできる、
そう考えることも出来るでしょう。

キリスト教の根本精神をもってして、
なおかつ、拉致監禁をするというのは、あり得ない話です。

何故、このようになってしまったのでしょうか。
原理講論の総序には、その理由が記されています。

初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、
全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、
飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、
彼らに対する救いの喊声は、
天からではなく地から聞こえてきたのであった。
これがすなわち共産主義である。
神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、
その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、
このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、
反旗を翻す者たちが現れたとしても無理からぬことである。
このようにして現れたのが唯物思想であった。
かくしてキリスト教社会は唯物思想の温床となったのである。


イエス様の生涯を相続すべく出発したキリスト教が
その根本精神を失い、神を否定する共産主義を生み出す
温床となってしまったのです。

日本の基督教においても、そのような歴史をたどってきました。
そして、そのことが統一教会を迫害することの
一つの要因となっているといってもいいでしょう。

日本キリスト教の歴史は次回に紐解きます。

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posted by ten1ko2 at 06:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | *拉致監禁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする