2011年07月02日

神を信じない牧師たちに支配された「荒野の40年」とは?〜日本キリスト教のたどった道のり2〜


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☆ihopに食事に来られた文先生ご夫妻とお孫様たち☆
今日の訓読会のみ言葉は記事の最後に☆



なぜ、神様を信じるはずの牧師たちが、信仰の違いとはいえ
拉致監禁・強制改宗という、非道な行為ができるのか…
疑問に思われた方もおられるでしょう。
多くの反対牧師たちは、実は神様を信じてすらいません。
その経緯についてのお話、第2弾、昨日の続きです。

戦後、アメリカ進駐軍の日本民主化政策により、
キリスト教がブームになりました。
しかし、戦時中保身のために合同教会となった日本基督教団は、
さまざまな教派が離脱し分裂するばかりであり、
また、侵入して来た左翼思想を持った牧師を排除することが出来ませんでした。

左翼系の牧師が、幅を利かせることになったきっかけの一つとして、
「九・一、二事件」があります。
1969年9月1日〜2日教団常議員会に左翼系牧師と全共闘の学生が
万博反対を掲げて、乗り込んできました。
左翼系牧師は社会派、または造反派と呼ばれ、
今まで教団を運営してきた教会派に対抗するようになりました。

同年11月25-26日、日本基督教団山手教会で開催された第16回臨時総会では、
賛美歌に代えてインターナショナルが合唱されました。
その総会で、日本基督教団は信仰義認、三位一体、聖書正典を否定し、
さらにはイエスがキリストであることを否定するに至ったのです。

日本基督教団に多くの牧師を排出しているのが、
日本基督教団立東京神学大学です。
この大学も左翼に乗っ取られてしまいました。
全共闘に所属しながら、神学を勉強して、
この大学から牧師になった者が多数いるといいます。

このようにして、造反派は、教団の執行部に入り込み、
教団を牛耳るようになりました。
1988年造反派の呼びかけで、
反統一教会活動に教団を挙げて取り組む決議がなされました。

統一教会に対する拉致監禁の被害が増えたのが、
ちょうど日本基督教団が、反統一教会の旗を掲げた時期と一致します。

第2次大戦後に、信仰を全うするよりも
保身のために組織を残すことを優先した日本基督教団は、
サタンの進入を受けざるを得ませんでした。

その後、徐々に造反派の勢力は衰えていきます。
教会派山北宣久牧師は、2002年総会議長になりました。
2006年の総会で、
社会派が主導権を持ち、教会派と対立した40年間を
「荒野の40年」と評しています。

キリスト教牧師による統一教会信者の拉致監禁に対して、
疑問を呈しておられる黒田かんご氏は、
「『荒野40年』終結宣言により、拉致監禁の問題も終結に向かうのではないか」
と見解を示しておられます。

文國進理事長が拉致監禁に対して、教団をあげて取り組むようになり、
その後、反対勢力の活動も弱まっている時期も、
ちょうど日本基督教団が「荒野40年」宣言した後であり、
何だか、偶然でない気がします。

しかしながら、日本基督教団所属で、いまだに統一教会反対牧師として、
活動している牧師は未だ根絶していないのは事実です。

最近は、拉致監禁をせずに、教会で話し合いをしたり、
施設を使って、脱会活動をする動きも出てきました。

それでも、過去に拉致監禁をしたことは永遠に消えることはありません。

後藤徹さんの陳述書を見ても、   こちら
拉致監禁現場がどれだけ悲惨であるかがわかると思います。

治外法権のごとくに、監禁下では何をしてもいいという、
そのようなおかしな考えを根絶するまで、
拉致監禁の不当性を訴えていきたいと思います。



今日の訓読会のみ言葉(7.1ラスベガス)

「信仰行路において、
神様を愛したその突き上がった瞬間を忘れてはなりません。
その瞬間を安売りする人になってはいけません。
必ず神様の愛で染み通った瞬間に誓った
そのときの約束を守る日が私たちにたずねてくるのです。」



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posted by ten1ko2 at 09:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | *拉致監禁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする