2011年08月18日

「人を憎めば、もはや私には存在価値がない」16歳にして立たれた文先生《亨進世界会長の詩の朗読つき》


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☆韓日カープ学生たちと文亨進世界会長☆


「汝の敵を愛せよ」とはなかなか言える言葉でもありませんが、
実行できる言葉でもありません。
イエス様が、ただ口先だけの言葉として語られたのではないことは、
結局十字架に掛かられたとき、
「彼らを許したまえ」と言われたことでも明らかです。
文先生も「恩讐を愛せよ」と言われますが、
これもただの言葉ではありません。
数えの16歳でイエス様の使命を受け継いだ時にすでに、
その決意をされています。その1935年当時の祈祷文が、
後に詩として優秀賞を取りましたね。
自叙伝にもありますので、抜粋します


人を疑えば苦しみを覚え、
人を裁けば、耐えがたくなり
人を憎めば、もはや私には存在価値がない

しかし、信じてはだまされ
今宵、手のひらに頭を埋めて
苦痛と悲しみに震える私

間違っていたのか
そうだ、私は間違っていた
だまされても、信じなければ
裏切られても、赦さなければ
私を憎む者までも、ひたむきに愛そう
涙をふいて、微笑んで迎えるのだ
だますことしか知らない者を
裏切っても、悔悟を知らない者を

おお主よ!愛の痛みよ!
私のこの苦痛に目を留めてください
うずくこの胸に主のみ手を当ててください
底知れぬ苦悩に心臓が張り裂けそうだ

されど、裏切った者らを愛したとき
私は勝利を勝ち取った

もし、あなたも私のように愛するなら
あなたに栄光の王冠を授けよう


自叙伝p64


文先生というのは、人生をかけて自ら実践されながら、
誰よりも愛し許して来られました。
そして、人がどうしたら幸せになるかということを、
90年を越える人生の中で、示し続け来られました。
幸せになるためには、やはり、愛しかないようです。
他のものを求めたとしても、
結局、幸せを得ることはできません。
一番愛したものが、その人の人生を決めるのですが、
お金、地位、名誉、仕事…そういうもので本当の幸せはつくれません。
「健康」という人もいますが、丈夫な肉体と健康だけでは
やはり幸せにはなれません。
「愛」というもの以外、幸せをつくる素材はありえません。
「愛」を考えた時に、「ゆるし」というものがないと
本当の愛に至れないようです。
「あなたも私のように愛するなら
あなたに栄光の王冠を授けよう」と言って下さっていますが
とても高度なことですね。
まず、私たちはそうやって、文先生にすでに愛され
許された立場だということを感謝したいです。
(参考:浅川先生の自叙伝書写講演会
「私を憎む者までも、ひたむきに愛そう」)


和訳は違いますが、文亨進世界会長が日本語で朗読されたものがあります。



「栄光の冕旒冠」と言われているのは「栄光の王冠」のことです。
2002年 国際詩人協会 最優秀作
(1935年、16歳のイースターの朝、神様からの召命を受け入れられた時の祈祷文)

間に文先生の祈祷の場面が入ります


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posted by ten1ko2 at 10:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

もしも霊界があるとしたなら〜大阪・一斗缶殺人死体遺棄事件に考える〜

大阪の人通りの多い住宅地で、
複数の死体が一斗缶に切り刻まれて遺棄されるという
おぞましい事件がありました。

このような事件の背景には、
家庭道徳の欠如が要因の一つであると言えるでしょう。
相当な恨みを持たなければ、
死体を切り刻むという行為は出来るものではありません。
また、社会的な要因もあると思います。

少し観点を変えれば、根底に「霊界がない」
という考え方があるからだとも言えるでしょう。
人を殺せば、無になるという考え方があるからです。

また、人を殺すということだけでなく、
自分も死ねば、苦しいことから解放されると考えて、
自殺をする人も後を絶ちません。
日本では、毎年3万人以上が様々な理由で自殺をしています。

霊界が実在するなら、人は死後、霊人になり、
殺された人との憎悪の関係は永遠に続くことになり、
苦しい状況から解放するために自殺をしても、
この苦しみは永遠に続くことになるのです。

霊界の実存を今は学校や家庭において教育していません。
むしろ霊界はないという考え方が蔓延しているからこそ、
自己中心的な考えで、他人を苦しめ、安易に自殺をするという
この状況が増えてしまっているのではないでしょうか。


そして、霊界があるということが事実であるならば、
必ず過去の出来事が間違った情報として伝えられているなら、
霊界では無念な思いを持っているだろうし、
この思いを晴らしたいと思って、時が来たならば、
必ず真実は伝えられていくに違いありません。

歴史というのは、その人の思想背景によって、
客観的事実が捻じ曲げられて伝えられることがあると思います。
しかし、この問題も時が来たら、必ず真実が明らかにされるはずです。

先日、慰安婦に関して少し記事を書きましたが、
慰安婦など全く存在しなかった、
と否定する方たちがいます。

本当にそうなのでしょうか。
古くから教会のシンパとして協力をしておられた
ある有識者の方は兵隊として海外で戦いましたが、
こんなことを言っておられました。
「私も戦争中、軍人として戦った時に、
あてがわれたことがあるよ。」
既に故人となられているので、
生の声を聞くことは出来ませんが、
過去にハッキリと証言しておられました。

慰安婦として亡くなられた方がいるとするなら、
もし、「それはなかった」と否定されたら、
これほど無念なことはないでしょう。

しかし、時が来たら、真実は明らかにされると思います。
霊界があるとするならば、「臭いものにふた」
をすることが出来ないのです。

このことに関しては、また書いていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 10:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月16日

妻の母は救世主?!

今日は妻の母の話をしようと思います。
妻を統一教会に導いたのは、お母さんです。
妻が「ミイラ取りがミイラになった」きっかけは
お母さんですから、やはりお母さんなくしては、
妻がこの世に生まれてもいなかったし、
教会にいなかったことを思うと、
お母さんには、感謝しても尽きません。

私は3万双の祝福を受ける時、あることを念じていました。
一度、拉致監禁された後だったので、親族に反対されて、
祝福を受けなければならない立場でした。
ですから、出来れば相手のご両親は、教会に対して、
賛同的な人がいいとずっと思っていました。
数年間、そのためにある条件も立て続けていました。

祝福の相手が決まった、ということで教会に集まり、
教会長から、マッチング写真を伝授されました。
裏に書いてあるところに連絡をしました。
本人は教会にいなかったのですが、代わりに
家庭部長をしている婦人が電話に出ました。
「○○さんは、お母さんから導かれたんですよ」
の第一声で、神様を感じざるを得ませんでした。

            ◇

妻の実家は関西なのですが、
妻が子供の頃は、静岡に住んでいました。
小学生の時、学校の記念行事の一環で、
メッセージを風船につけて、
それを飛ばしたそうです。
その時、なんと私の住んでいるすぐ近くまで、
風船が飛んで、拾った方が手紙をくださったといいます。
「千葉には、不思議な縁があって、
私を伝道した方も、千葉の人なのよ」
と、お母さんが話したことがとても印象に残っています。

            ◇

さて、そんな妻の母が、2ヶ月前くらいにこんな体験をしました。
裏庭の草むしりをしていると、
「すいません、すいません」という声がしたそうです。
どこから声がするのかと思ったら、
近くのマンションの3階のベランダから、
若い女性がお母さんに向かって叫んでいました。
何かと思って話を聞くと、その女性がベランダで洗濯物を干している時、
1歳にならない娘が窓の鍵を閉めてしまったというのです。
しかも、お昼の煮物に火をつけている状態でした。
「管理会社に電話をしてください」
と言われて、電話をかけたら今から1時間以上はかかるとのこと。
すぐさま、110番に電話をかけて、警察に来てもらいました。
警察官では、どうしようもないので、警察官は消防車を呼び、
はしご車が駆けつけました。
無事に部屋にいた子供を確保し、若いお母さんも救助しました。
しかし、火をつけていた鍋からは煙が噴出していて、
もう少し遅れたらガス爆発の可能性もあったとのことでした。

妻の母がたまたま草むしりをしていたので、
危機一髪の状況を回避できたのです。

            ◇

このことを聞いて、私の過去のことを思い出しました。
私の二度目の拉致監禁の時、
妻とともに凄まじい条件を立てながら、
私が戻ってくることを待ってくださったのは、
妻のお母さんです。
妻とともに、お母さんの祈りがあったから、
私は、もう一度教会に戻ってくることができた、
そう言い切ってもいいかも知れません。
自分の力ではどうすることも出来なかったわけですから、
反対派が私の偽装脱会を認めてくれたのも、
背後の条件があったからこそだと思っています。

「お母さんは、やっぱり救世主だ」
そう思った今回の出来事でした。

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posted by ten1ko2 at 16:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする