2011年10月30日

「切迫した時代は残りわずか」入籍を前にして


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「神様の祖国と入籍出帆大会」が
先月、韓国で行われました。

この土台で、来年に入ってから、
同じような恩恵を受けることを
教会員の方はご存知であると思います。

具体的には、どのような形で行われるかは
詳しくはわかりませんが、
文先生と韓鶴子女史の聖婚記念日が基点であり、
とにもかくにも、重要な時を迎えています。

文先生は、先日、責任者たちを集めた集会を
3日間行いましたが、
その時にも「参加しなければなりません」
「参加する者は手を挙げて」
「来るの来ないの、はっきりしなさい」
と繰り返し、御聖婚式に同参するように語られていました。

教会長は「100回以上は言っていた」
と言われていましたが、本当に何度も何度も
強調して言われていたのは間違いありません。

文先生は次のようなみ言を語られています。
「あなたたちがそのように生きて、
下に祝福をすべてしてくれるのなら、
離れていかないことを
私は責任を果たしたのです。今。
何をこれ以上教えてあげますか。
目を閉じて天の前に両手を挙げて
大きな拍手をしなさい。
下ろしなさい。
なぜ受けてくれるの?
約束です。下ろしなさい。
私は這っていかなければなりません。
立つことができません。
その日に侍らなければ、
待っている皆さんのお兄さんたちが
どれだけ考え、誰が救ってくれますか?
いません。救う道がありません。
あなたたちがやらなければならない。
求めなさい。祈祷してみなさい。
骨身に染み付いた思い出の一つの年を
越えてあげ、あなたたちの息子娘の命を
息ができるようにして、言葉を終わらせて
息をしなければならない、
切迫した時代は残りわずかだということを
天の事情を皆さんは知りません」


文先生の表現はとても難しいのですが、
教会長は、わかりやすく説明してくださいました。
「私は第一先祖として、真の父母様に侍る者であり、
上・下というのは、先祖と後孫ということです。
私は先祖と後孫を引き連れて天国に行く、
重要な時を迎えているというのです。
だから、お父様は毎日訓読をし続けている。
子供が、神様の下にたどりつくために、
親として成すべき最善を尽くしておられる
真の父母様であることを知らなければなりません」

足りない息子・娘たちでありますが、
それでも共に文先生に従う者として、
最善の道を歩まなければならない、
今この時であると思います。


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posted by ten1ko2 at 23:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月29日

被害者の葛藤、子どもより反対派を信じた親たち


昨日の記事で
「子供を救いたい一心の思いで、
牧師の言いなりになっている親の姿を見ながら」
と書きましたが、いろいろ頭を巡らせてしまったので、
そのことを書きたいと思います。

拉致監禁の苦しさは、いろいろあると思います。
外部の環境を遮断されたことによる精神的な苦しさ、
そして、一方的に牧師から批判的なことを言われる苦しさ。

被害者によっても、人それぞれかも知れませんが、
私自身においては、上記に書いたように、
両親が私を救いたい、助け出したい、
その一心で私を見続けていた、
その両親を振り切って、戻ってこなければならない苦しさ、
ということです。

ここで、「何であなたの両親は、あなたを信じるのでなく、
牧師を信じてしまったのか。
それだけ、親子の関係は薄かったのではないか」
と疑問を持つ人もいるかも知れません。

実際に、かつて責任者の口から同じような言葉を
聞いたことがあります。

私を信じてくれているなら、反対派が何を言おうと、
「やはり息子のことを信じてみよう」
と一度は統一教会の門を叩くのではないか、
ということです。

しかし、私の両親はそうせずに、
反対牧師を選びました。
統一教会を紹介してくれた友人が
統一教会を離れてしまい、
母親同士、知っていたこともあって、
向こうの母親から、私の母に連絡があり、
反対牧師を紹介してもらいました。

そして、牧師のいうことを鵜呑みにしました。
ある意味、先日記事にした「バカ」がつくほどの
正直者なのかも知れません。

私は、統一教会に出会う前は、
神様を信じていませんでした。
原理を聞いて最初に感動したのが、創造原理であり、
特に「神様と人間は親子の関係である」
という部分です。

そこに感動できたのは、両親から愛されたからである、
そのように思っています。
両親に愛されたからこそ、神様を親として受け入れられた。
そのことがどれほど感謝であったか知れません。

しかし、親なる神様に出会うきっかけとなった親が
今度は神様から引き離そうとするという、
この矛盾した現実がまさしく拉致監禁なのです。

ですから、拉致監禁被害者は、
この現実を直視することは難しいのだと思います。

彼らはずっとこの心情的な葛藤を引きずって、
生きているということを知らなければならないと思います。

ですから、たまたまキャンペーンのように、
降って湧いてきた拉致監禁反対活動だと見受けられますが、
被害者たちはずっと闘ってきたのです。
そのことを忘れないでいただきたいと思います。


手錠をかけられても、
恥ずかしいとか、
寂しいとか思うことはありませんでした。
監獄生活が私の行く手を
遮る障害になるでしょうか。
そんなことはあり得ないことです。
「監獄で消える私ではない。
ここで死ぬことはできない。
これは解放の世界に向けて
跳躍するための踏み台にすぎない」
と考えて、監獄生活に打ち勝ちました。


「平和のへの道」より


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posted by ten1ko2 at 23:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | *拉致監禁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

「キャンペーンの一環では終わらない!」あくまで「なかった」と言い張る反対派VS後藤代表


拉致監禁by宮村の裁判記録が更新されています。

 後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(2)

一貫して、後藤代表の主張は、すべて虚偽であると
様々な理由をつけて反論しています。

ジャーナリストの米本和広氏がコメントしています。
「反対派は『キャンペーンの一環』と批判するけれど、
何故か『拉致監禁キャンペーン』と書いている。
不思議と『拉致監禁反対キャンペーン』とは書かない。
あえて『反対』という文字を削除している」
というのです。

米本氏は「まやかしだ」と指摘していますけれど、
確かにおかしな話です。
微妙な表現の違いで、
何か困惑させる意図でもあるのでしょうか。

また、米本氏は
「なぜか『拉致監禁キャンペーンの一環』と言われると、
統一教会員諸兄はビビル、腰が砕けてしまうような印象を受けている」
と記していますが、
これはどうなんでしょうか。
「開き直れ」という励ましと受け止めておきます。


外部と遮断する環境を設定することが、
信者を統一教会側の奪回を妨げる理由だと
反対派は主張しつづけます。
そのために巧妙な論理を展開します。

反対牧師や反対活動家から説得を受けて、
信者を脱会させるまで、監禁し続けるという、
私たちの言い分とは、正反対です。

真実は一つしかないのに、
理論・理屈をこね回すと、
それが本当のように聞こえてくる、
まさに監禁中に反対派が説得するのと
全く同じような状況になってきます。

被害者の立場から言わせていただくと、
よくもここまで、『拉致監禁はなかった』
と言い切れるものだ、ということです。
開いた口が塞がりません。

みんなどんな思いで、監禁下で戦ってきたことでしょうか。
子供を救いたい一心の思いで
牧師の言いなりになっている親の姿を見ながら、
牧師が降り注ぐように言ってくる
統一教会に対する悪意に満ちた中傷、罵倒を聞きながら、
それを乗り越えて、神様を必死に求めていくのは、
簡単なことではありません。


後藤代表は、本当に裁判の書類にくまなく目を通し、
気の遠くなるような作業を毎日こなしているということです。

毎回になりますが、応援よろしくお願いします。


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posted by ten1ko2 at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | *拉致監禁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする