2011年11月29日

大統領の迎賓館で開催!〜UPF主催の国際会議〜



公文が流れていないので、
具体的な国名は書きませんが、
ヨーロッパのある国で、
大統領を招請しての大会が開かれ、
成功裏に終わったということですので、
少し紹介します。

今年の7月にナイジェリア大会
(天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会)
が開かれましたが、その際に、
その国の国会議員が参加したそうです。

その方は平和大使でもあり、
文先生のみ言葉を聞いて、
とても恩恵を受けて帰ってこられ、
それを大統領に報告しました。
そして、大統領の許諾により、
ILC(国際リーダー会議)が先日、開催されました。

場所は大統領宮の迎賓館だそうです。
今までどんなNGOにも許可しなかった場所を
今回、UPF(天宙平和連合)に使用できるように
許可してくださったのです。

参加したのは、大統領始め、国会議員が半数以上、
そして、ヨーロッパやアフリカの超VIPが多数参加しました。

以下、ヨーロッパに大陸会長が、
文先生に報告された内容の一部です。

          ☆

ヨーロッパ社会の主流中の主流達、
影響力あるリーダーたちが参加しました。
私は、第一日目の開会式の基調演説を通じて、
UPFの創設者である御父母様の人生とその業績を証して、
特に、アフリカ・ナイジェリア大統領にくださった、
お父様の御言葉をそのまま証しました。
二日目には、原理教育を通じて、御父母様の教えを伝えました。
特に、御父母様の生涯路程に関する講義を聞いてからは、
お父様自敍伝に対する熱い関心を見る事が出来ました。
このすべてのものが私たちの努力だけで成り立ったのではなく、
すでに天運の時となり、
真の御父母様の勝利故の結果であることを確信しています。

          ☆

このような超VIPが本当に文先生の業績を、
受け入れている時が来ていることを感じます。
そして、これからも更に広がっていくようになるでしょう。


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posted by ten1ko2 at 22:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

私の「思い」が変わる時〜浅川先生の語られた自叙伝書写の証し




先日の講演会で浅川先生が、
書写をする中で、ずっと変えたいと思っていたものが、
変わったという証をしてくださいました。


世の中、思い通りに行かないことがあります。
ここでは嫁姑の関係で「思い通りに行かない」ことです。

ある姑が嫁に対して、「思い通りに行かない」
と思ったそうです。
その最大の理由として、嫁は朝、食器をちゃんと洗わないというのです。
「嫁は食器を洗うもの」という思いがこの姑にはあったのです。

しかし、嫁は早朝に仕事をしているのだそうです。
朝帰って、朝食を作り、皿を洗おうとするとするのですが
眠くなって、落としそうになり、
つい休んでからと後回しにしたり、
ろくに洗わないで食器棚にしまうこともある。
姑としては、その姿に腹が立つというのです。
腹が立って仕方がなく、嫁に向かって時々暴言を吐いてしまいます。
嫁も言い返す、険悪な関係でありました。

しばらくして、あるきっかけで、この姑さんが、
書写を始めるようになりました。

書写は、既に結果が出来るものではありません。
しかし、じわじわと効果が現れてきます。
問題解決に至るように導いてくれるのです。
姑が書写をし続けてから、変化が起きました。

今まで姑は「絶対嫁は食器を片付けるべきだ」
という固定観念がありました。

しかし、書写を続けている内に、
ある心の変化が現れたのです。

「どうして嫁は食器洗いをしないといけないんだろうか」
そんな思いにさせられたといいます。

ついにこの姑は重大なことに気づきました。
「この食器洗いは自分がすればいいんだ」
嫁が来てから何年も気づかなかったことを、
書写をするようになってから、ようやく悟ったのです。

そして、姑が食器洗いをするようになりました。
するとどういうわけか、
朝働いて帰ってくる嫁が愛おしくなりました。
さらには、喜びが湧いてくる、何だか嬉しくなってくる
とても平安な境地に入ってくるようになりました。

嫁はその姿を最初見ていましたが、
彼女も悟りに入りました。

「お母さん、私にやらせてください、
食器洗いは嫁がやるものです」
そして、嫁が食器洗いをするようになったといいます。

思い通りにならない、と思っていたその「思い」が
実は問題でした。
相手(嫁)を変えたいと思っていたのに
自分のその「思い」の間違いに気づいた時
最終的には不思議なことに
相手が思い通りに変わってくれたのです。

自分中心で物事を考えると他人の苦労がわからなくなり、
要求する思い、そして戒めを与えたくなります。
「人はこうすべきだ」という観念にしばられ、
そこから抜け出せなくなります。

自分本位の気持ちを、書写を通して、
断ち切ることが出来たというのです。

憎しみの心で苦労を断ち切ると
さらなる苦悩に落ちていきますが、
愛の心で苦悩を断ち切れば、
喜びに変わるのです。



み言葉の力というのは、本当に物凄いものです。

文先生がサタンと闘って勝ち取った真理のみ言ですから、
書写をし続けたり、
または訓読をし続けることにより、
自分の心に善なる変化が起こるのだと思います。

そして、おそらくこの姑さんもそうだと思いますが、
書写をする時に、ただ単にしたのではなく、
真心を込めてやり続けたことで、善なる結果が現れたのではないでしょうか。

やはり、その人の動機も重要なのだと思います。
重箱の隅をつつくように、批判的にみ言葉を読んだとしてでも、
その如くの結果しか現れないでしょう。
み言葉を通して、自分の心を清めていきたいと思えば、
その如くになるのだと思います。


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2011年11月26日

「私は度量の狭い男ではない」文先生が越えられた道

周藤先生の証しを聞いたことがあります。

1969年43双の祝福を受けたとき。
旧本部教会の2階で、祝福を受けたメンバーに
文先生はこのように話されました。

「みんな、どこに行ってみたい?
先生は生まれたところに行きたい」
その後、しばらく沈黙が続いて、
先生は窓から遠くの方を見つめていました。

「先生のお母さんはね。
先生を本当に愛してくれたんだよ。
足にとげが刺さったのも気がつかないで、
先生を探し回った時もあったんだ。
親の愛をどれだけ感じたかわからない。
そして、興南でもう二度と会うことがなかったんだ」

その文先生が最後お母さんと出会った興南で
どんな言葉を交わしたのでしょうか。

文先生の生涯路程から引用してみます。

           ☆

(興南の)監獄にいる間、何度か母が訪ねてきました。
・・・乗り換えながら二十時間もかけて来るのです。
・・息子に食べさせるために、親族の八親等まで頼って米を一握りずつ集めて、
炒り粉(はったい粉)にして持ってきてくれました。
母は私が結婚する時に着た紬のズボンを持ってきてくれました。
囚人服は硫安で溶けてぼろぼろになって肌が見えていましたが、
私は母がくれた紬のズボンを穿かずに他の囚人にあげてしまいました。
親族を頼って準備してきたはったい粉も、
母が見ている前で囚人たちにすべて分け与えました。
息子に食べさせ、着させようと真心を込めて作ってきた食べ物と衣服を、
全部赤の他人に与えてしまうのを見て、
母は胸をかきむしって泣きました。
「お母さん、私は文なにがしの息子ではありません。
文なにがしの息子である前に、大韓民国の息子です。
また、大韓民国の息子である前に世界の息子であり、天地の息子です。
ですから、彼らを先に愛してから、
お母さんの言葉を聞き、お母さんを愛するのが道理です。
私は度量の狭い男ではないので、
そういう息子の母親らしくしてください。」
氷のように冷たい言葉を浴びせたのですが、
母の目を見る私の胸は張り裂けんばかりに痛かったのです。

           ☆

先生は何よりもお母さんの愛を心から感じていました。
しかし、先生は、それ以上に神様のことを考えていました。
「親の情にほだされて、
一歩でもみ旨を退けば、
他の誰が神様を解放するだろうか」

血の涙を流しながら、
それを越えて神様を愛していかれた文先生。
先駆けて乗り越えられた文先生ゆえに、
私も、最も辛い試練を越えていくことが出来たのだ、
そのように思っています。


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posted by ten1ko2 at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | *私の拉致監禁体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする