2012年08月25日

誰も知らないところで天のために、私のために歩まれる父母の姿。。。


新約聖書へブル人への手紙11章1節に
有名な聖句があります。

「 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、
まだ見ていない事実を確認することである。 」


見えない世界を求めるのが信仰なのだといいます。
見える現象世界はだれにもわかることであり、
神様も目には見えない如くに、
私たちが知りうる事柄だけで、
物事を判断するのは信仰ではありません。

昨日の夢の証しも
文先生は私の全てを知っておられるのであり、
しかし、文先生の体を触れば、
本当に痛々しい姿でありました。

子供が毎日、部活動で朝早く行くので、
お弁当を作るために、
お母さんは毎朝、子供より早く起きて、
弁当を作り、子供を送り出し、
そしてお母さんも仕事に行きます。

子供は自分の部活動のことしか考えていませんが、
ある時たまたまトイレにおきたとき、
お母さんが居眠りをしながら、
懸命に朝食を作っている姿を見ました。

その時、子供は
「お母さんは自分のために朝早くおきて、
一生懸命に弁当を作ってくれているんだな」
そう思ったとき、
親に対して不平不満を言わなくなりました。

森山操先生の証しにもあります。
継母に対して、一度もお母さんといえなかった。
そして、貧しい生活で、
紙芝居を見たくて、お金が欲しくて、
継母の財布から悪いと思いながらも、
お金を何度も盗んでしまった。
継母はそのことを知っていたが、
仏壇の前で、
「みさおちゃんが悪いんじゃない。
お金を取ったこの手が悪いんだ」
と言いながら、自分の手を叩いていた。
その姿を森山先生が見たとき、
初めて「お母さん」
と言って泣きながら詫びた。

目には見えないところで、
苦労している姿を通して、
人は本当に心を入れ替えるのです。

文先生の歩まれる姿に対し、
統一教会という存在に対して、
あれこれと思う方がおられるようです。

しかし、見えないところで、
言うにいえない事情を抱えながら
天のために歩む姿を知れば、
本当の真実が見えてくるのだと思います。

文先生のために
120拝精誠映像を見ながら、
敬拝を捧げました。

天のために誰にもいえない事情を抱えて、
歩まれる文先生ご夫妻の姿がありました。

こんな大変な時に、
小さな精誠を捧げられるのは
本当に感謝であると改めて思います。

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今は
風や雨や雪があっても
これが永遠に続くのではありません
照り輝く日が来るのは確かです
それなのに
なぜ心配をするのですか
その日が来るまで
ただ私の仕事をやるんだという思い
それが必要です
猛烈な風を経験する人だけが
快晴の平穏な日々を感謝できるのです
毎日が平穏である人は
決して
日々を感謝できないものです
これは正に真実です
過去において
大いに苦労したその苦労ゆえ
あなたはすべての価値を知るのです


「ひかりの中へ」
Rev.S.ムーンの至言集 より



posted by ten1ko2 at 14:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする