2012年09月30日

文先生は「イエス様を最もよく知るチャンピオン」?!


P1010797.jpg


文先生は世界の宗教界、学会、政界など
各界の指導者から、
八つの分野について、
最もよく知るチャンピオンであると言われています。

そのうちの一つに、
「イエス様を最もよく知るチャンピオン」
と言うのがあります。

16歳のときにイエス様が現れて
果たせなかった使命を成すために
全生涯を捧げていかれたのは、
皆様もよくご存知だと思います。

北朝鮮で布教活動をされていた時、
「泣く教会」と言われほどに、
イエス様のことを語れば
涙を流せずにはいられない文先生でした。

私も文先生ほど、
イエス様のことをよくご存知であり、
涙を流した人はいないのではないか、
そのように確信しております。

イエス様のことを思っていましたら、
日本の大先輩で、
クリスチャン出身の方が、
文先生を通して、
イエス様の再臨であると実感された
証しを見つけましたので、紹介します。

文先生が1965年に初来日された
その時のことから始まっています。



日本にとって、また兄弟姉妹にとって、
本当に待ちに待ったご来日でした。
当日は、どのように行動したのか、
一つ一つは定かではありません。

私も胸の膨らむ思いは、
抑えることができませんでした。
南平台(渋谷区)の教会は、
岸信介先生の首相時代の公邸でした。
一九六〇年の安保反対のとき、
共産主義者にそそのかされて、
腰に青竹を握り締めてデモに及んだ場所です。
思えば不思議の一縁です。

真のお父様もうれしそうに、
元気にみ言を語り続けてくださいました。
満面に笑みを浮かべての説教でした。
一動作、一動作に
“こんなにもあなたたちを愛している”
という、真のお父様の世界を感じ取りました。

しかし、私はまだまだ観念の世界を
泳いでいたのです。
真のお父様をお迎えし、
共に神を賛美する
心情の噴出がありませんでした。
最も悪い世界が同居していました。
私は、真のお父様を“観察”していたのです。

話が進んで、お父様が
「何か聴いてみたいことがある?」
と、私たちに問われました。
「UFOは存在しますか?」
などと、面白い質問が出ました。
中には、全くばかげた質問もありました。

そのとき、だれかが手を挙げて質問しました。
「イエス様はどういうかたでしたか?」。
この質問には深い意味が隠されていると思います。

「イエス様はどういうかただと思いますか?」
と、イエス様を客観的に見た話法ではなく、例えば、
「お父様、昨日、あなたはイエス様にお会いになりましたよね?
そのとき、あなたはイエス様をどのように感じて、
今、ここにおいでになるのですか?」
という内容、話法になると思います。

そのときに、真のお父様がどのように答えられるか、
その答えが、私にとっては非常に大切な答えだったのです。
クリスチャンとしての私にとって、
イエス様は「救世主」です。
それは、統一教会に来てからも変わらないのです。
むしろ、既成教会にいたときよりも
大きな位置を私の中では占めていました。

そのとき、真のお父様は一瞬、
天井を見られてから、
すぐに下を向かれました。
そのとき、答えはどのように発せられるのかと、
会場はシーンとなりました。

ボタボタと、水滴の落下する音がしました。
その後、再び真のお父様が真正面を向かれたとき、
それが、お父様の涙が床に落ちた音だと知ったのです。

そして、静かに語られました。

「あの男は、かわいそうな男だったよ」。

この一言は、私と真のお父様との重要な出会いとなり、
絆を結ぶ言葉となりました。

しかし、この言葉は、
イエス・キリストを信じないで来た人、
その反対にイエス様を深く愛した
クリスチャンであるけれども、
「原理」を聴く機会を逃した者にとっては、
考えることのできない言葉です。

イエス様を
「あの男」と言われたのです。
聞き方によっては、
非常に乱暴な言葉でした。
でも、その言葉を聞いたとき、
震えるほどに私は感動したのです。

そして、“このかたはイエス様である”
と思いました。
二千年の時を超えて、
“イエス様が、ここにお立ちになっておられる”
と思ったのです。

普通であれば、
イエス様を三人称で呼ぶ場合、
「あのかたは……」
と敬称をつけて言うでしょう。
ところが、真のお父様は
「あの男」
と言われたのです。
普通、会話で自称に敬語は使用しません。

真のお父様が、
イエス様を「あの男」と言われたのは、
自称で言われたのです。
「あの男」と語られた真のお父様は、
イエス様を客観的に見詰めるのではなく、
十字架をご自分の痛みとして、
無念の心情を見詰めておられたのです。

だからこそ、
「あの男は、かわいそうな男だった」
と言われたのです。
そのとき、時を超え、歴史を超えて、
真のお父様はイエス様を
見詰めておられるからこそ、
私は“このおかたは、イエス様である”と思ったのです。

“イエス様の再臨として、
目の前にお立ちになっている”
と思いました。
そのとき、名実共に、
真のお父様はイエス様の再臨として、
私の心の中で合致したのです。



イエス様を
「あの男」
そう呼ばれた文先生。

霊界でもイエス様と
おそらく感動的な出会いをされたことでしょう。

余談ですが、
これも皆様ご存知かと思いますが、
聖和式のときに、
献花をする時間がありました。

この時に子女様、ご家庭のお嫁さんたちの後に続くように
四大聖人の奥様が登壇されました。
そして、その次にお孫様たちが司会者に呼ばれ
献花されていきました。(トップの写真)

当日そこにいた家内は、
「四大聖人も家族として扱われていると思った」
そのように言っていました。

霊界でもどれだけ喜ばれていたか、
そのように思わされます。

応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


posted by ten1ko2 at 08:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

文先生が霊界で最初に呼ばれる人とは…?


霊界で
神様と出会われた文先生。

その文先生が
霊界で会わなければならない方がいます。

それは、マリヤ・ジブナさんといいます。

皆様も自叙伝を読んでおられるので、
名前を聞いたことがあると思います。

そうです。
当時のチェコスロバキアにおいて、
世界で最初の殉教者になった方です。

彼女は、教会に導かれてから、
一度も文先生にお会いしたことがありませんでした。
共産圏のチェコスロバキアで、
命がけの伝道活動をして、
そのことが見つかって牢獄に捕らえられます。
そして、牢獄で獄死をしてしまったのです。

マリヤ・ジブナさんは、
獄中でも日記をしたためていて、
ある日、文先生あてに手紙を書きました。
その次の日に拷問を受けて亡くなったのです。

どのようなルートなのかわかりませんが、
その手紙が当時アメリカにおられた
文先生の元に届けられました。
そして、古参婦人の大先輩が
たまたまその手紙を開ける場所に居合わたのです。
その先輩が手紙の内容を話してくださいました。


「お父様、私は一度もあなたに
お会いしたことがありません。
しかし、あなたのみ言を聞いて、
『これが私の人生の行くべき道だ』
そのように確信しました。
そして、この道を出発してまいりました。
しかし、この国は神様を認めない
共産主義の国です。
だから、私は明日、
この地上にいることはできないかも知れません。
でも私は自分が来た道を決してうらんだりしません。
あなたに対して何一つのわだかまりもありません。
だから私に対して心配しないでください。

でもお父様、
一つだけ願いがあるとすれば、
生きているときに
あなたとお会いしてみたかった」


そこにいるメンバーたちは、
手紙の内容を聞いて、
みんな泣きました。

その時、文先生は手紙を読まれたあと、
じっと下を向いておられました。
そして顔をあげて
こう一言つぶやきました。

「先生は悪い男よね」

さらに言葉を続けられました。

「私が原理を発見していなければ、
この原理を伝えていなければ、
この姉妹はこのような目にあわなかった。
だから先生は悪い男だ」


そこにいたみんなは
「お父様、そんなことはありません。」
誰もが思っていましたが、
言葉を発する者は一人もいませんでした。

お父様はその後に、
もう一言語られたのです。

「私が霊界に行ったら、
彼女を最初に呼んであげる」


その言葉を聞いて、
そこにいたメンバーたちの心は
本当に解放されたといいます。



このような逸話があったので、
私は、自叙伝にマリア・ジブナさんの
証しが掲載されているんだと思いました。

明日は、秋夕(チュソク)。
日本で言えば、お盆にあたる日です。

今回、文先生のために
特別な式典をされると聞きました。

霊界で
文先生のために
命を捧げられた
マリア・ジブナさんや
同じような人たちと会われて
忙しくされている文先生。

明日も慰労のひとときを持つことと思いますし、
日本の私たちも
意識と祈りを捧げていきたいと思います。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

神様と抱き合う日、どちらが先に抱きしめるか?!《ご聖和後の文先生の様子》


image014.jpg


大母様が伝えられたという
文先生のご様子を聞きました。



聖和されて以降、
15日間は天正宮におられたそうです。
天正宮の3階に
食口たちが弔問に来られれば、
それを3階で迎えられ、
挨拶を受けておられました。

私たちが天正宮に行ったとき、
文先生は本当にいらっしゃったのです。
ご聖体に侍るとき、
そこに参加したみんなが嗚咽したり、
すすり泣く姿がありましたが、
やはり文先生を身近に感じていたからだと
改めて思わされました。

そして、食事の時は、
隣の部屋に行かれ、食事をされます。
先日お伝えしましたように、
一日3回きっちりと時間を決めて、
お母様と食事をされます。
そして、皆が休まれる時間になれば、
ベッドで休まれていたとのことです。

そして、17日の韓夫人の大会後、
霊界に行かれました。
霊界では、本当に忙しくされているとのこと。
また、食事の時には地上に戻ってこられ、
夫人と食事をされます。

私達は死んでから
何日間か経って
霊人体が移動しますが
文先生は私達とは違って
聖和されると同時に
天正宮の3階の椅子に座っておられたといいます。

神様と一体を成しておられる方であるので
今までと変わらないようにおられます。

17日の大会で韓夫人が紹介されたように
特別な使命を持たれた
4人の補佐官が
生前と変わらずに侍っておられます。

聖和式の2日後から
地上と霊界を行き帰されながら
一日3回は天正宮で食事をされながら
夫人と共にコーヒーを飲まれたり
最近、夕日がとてもきれいだから
3階で共に夕日をみたり
また、夫人のひざまくらで
横になられたりしておられるそうです。



9月9日の日曜礼拝で、
司会がいなかったので、
私が急遽担当しましたが、
代表報告祈祷をするときに、
ふと思わされたことがありました。

以前、文先生ご自身が語られた
み言葉だったと思うのですが、
検索しても見つからなかったので、
いつ語られたのかはわかりません。

それは何かと言えば、
文先生が霊界に行かれた時に、
神様とどのように出会うのかです。

神様は
「お前、よくやった」
と言って、褒め称えて
抱きしめようとされるに違いないと言います。

その時、文先生はどうされるでしょうか。
「神様が先生を抱きしめるのが早いか、
先生が神様を抱きしめるのが早いか
どっちだと思うか?」
そのようなみ言葉を語られたと記憶しています。

司会をしながら、
祈る直前にそんなことを思い出しました。

抱きしめあう時に
神様が先か、先生が先なのか。。。
こんなことを考えるのは、
文先生しかいないと思います。

地上生活においては、
神様に対しても、
甘えることもせずに、
どんな苦労も全てを感謝して
乗り越えていかれた文先生ですし、
全生涯を神様に捧げていかれたので、
神様もどれだけの思いを持って、
文先生を迎えられたでしょうか。

これも定かな記憶ではないのですが、
「先生が神様を先に
抱かないといけないのです」
と語られたような気がしますが、
もしご存知の方がいれば
教えてくださると幸いです。

いずれにせよ、
感動的な出会いであったに違いありません。

これからは韓夫人と共に、
地上の摂理を整備していかれますし、
摂理はさらに発展していくと思います。
ですから、私たちは
ご夫妻を中心に今まで以上に
復帰摂理歴史をすすめないといけない立場だと思うのです。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

posted by ten1ko2 at 09:06 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする