2013年05月24日

歴史的なエベレスト山頂を目指して?! 「私たちは世界のために暮らす人々」 《5月14日麗水におけるお母様のメッセージ》


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私達に残された期間は
それほど多くありません。


☆韓鶴子☆




昨日、冒険家の三浦雄一郎氏が
80歳にしてエベレスト登頂に成功した
というニュースが流れてきました。

本当に素晴らしいと思います。

彼は53歳のときに、
世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げて以来、
彼の言葉を引用すれば、『普通のおじさん』
になってしまいました。

飲み放題、食べ放題の結果、
164センチの身長で体重は80キログラム以上に増え、
高血圧に高脂血症、おまけに糖尿病の兆候まで出てきたといいます。
そこから、『人生このまま、たそがれてちゃいけない』と一念発起し、
本気でエベレストを目指して
トレーニングをするようになったといいます。

三浦雄一郎氏はこんな言葉を残しています。
「誰にでも失敗はつきものだし、上手くいかないこともあります。
どんなに入念に準備しても、予定は狂うし怪我はするし、
限界まで追いつめられることなんてしょっちゅうです。
でも、そうしながらも、絶対に掲げた旗印、夢はあきらめないでほしい。
夢に向かう道というのは様々な方向に伸びていて、正しいと信じてやって
壁に突き当たったとしても方向転換すればいい。
出口の方向には必ず光があるから、
一度原点に戻ってみて光があるほうへ進んでいくんです。」

もともとプロスキーヤーとして
鍛えた体はあるにせよ、
やはり一念発起する本人の強い気持ちがあって
成し遂げられたことだと思います。


ファミリーフォーラムに
真のお母様のみ言が掲載されていました。

 真のお母様のみ言葉 (陽)5月14日 麗水



お父様の聖和1周忌まで、あと数カ月もありませんが
今まで皆さんがよりみ旨の前に実を結ぶ事に、
どれだけ全力投球したのか見たかったですし
私が今や、とてもきれいに締めくくる事の出来る皆さんが
実践しなければいけませんので
昌原から釜山を経て来ながら感じたのです。

お父様が聖和される前よりも変わらなければならないのです。
皆さんの生活態度が私達が2020ビジョンに向けて今、
全力投球しようと決意して出ているのを知っていますが
より具体的に確実に実を結ぶ事の出来る
責任のある指導者・長老になるのだと
天の父母様の願いであり、
人類が願ってきたその日を…祝福も受け、
その日を迎えたではないですか。

そしてお父様が、この韓国を神様の祖国だと語られました。
お父様に侍る立場で40〜50年従って来ながら
皆さんが積んできた実績は氏族メシヤの使命は勿論のこと
この国が皆さんを尊敬する事の出来る立場に
立たなければなりません。

韓国にも本当に歴史的な人物がいますね?
しかし、その方々は韓国のために動いて来たのです。

私達は真の父母様に出会い、世界のために暮らす人々です。
世界…器が大きいということです。

私が釜山から戻って来る時に、
李舜臣*(イ・スンシン)大橋を渡ってきました。
皆さんの今の立場は、李舜臣よりも高い位置なのに
果たして天一国の先祖の場に
皆さんが立つ事が出来るでしょうか。
考えない訳にいかないのです。

特にこの地域は、
お父様がたくさん精誠を尽くし愛を投入された場です。
これを引き受けた人はどのようにお父様のみ旨を生かし、
大きく花咲かせ実を結ぶようにするのかを
24時間考えなければなりません。
そして行動し実践しなければなりません。
私達に残された期間はそれほど多くありません。

40〜50年を統一教会で過ごしたならば
過去の歳月より、
これから残りの時間が短い事に間違いありませんよね?
どのように皆さんの先祖の場に…歴史的な…
皆さんがとてつもない祝福を受けた場で暮らしているという
実感を毎日しながら
暮らしているのかとても気になります。

どんなことをしても7年以内に、
この国を天の父母様の前に奉献する自信がありますか?




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トップのお写真は今年5月の清平におけるお母様。
この上の2まいのお写真は昨年のものです。


私たちもお母様の夢を
自分の夢にすべく、
一日一日前を向いて
進んでいきたいと思います。

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*李舜臣
李 舜臣(イ・スンシン)。死後に贈られた謚は忠武公(충무공)。文禄・慶長の役においては、朝鮮水軍を率いて日本軍と戦った。明史朝鮮伝や懲録、乱中雑録、征韓録など中朝および日本の各種文献に採録され、また李氏朝鮮期の1600年代に作成されたとみられる壬辰錄にも紹介されていたものの死後から20世紀になるまで中朝および日本の大衆にはほとんど無名の将軍であった。日本統治期に日本人および朝鮮人の文学者や研究者によりその偉業が「発掘」され、中国にあった臨時政府は李舜臣の伝記を独立新聞に載せるなど抗日の英雄と見なした。
ウィキペディア



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2013年05月23日

我ら個性真理体! 私の欠点、弱点を宝物に変えるには?


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最近、自分の足りなさを感じる毎日です。
「こんな私でなければ・・・」
と思ってしまうことがありまして。。。
どつぼに嵌りそうになりましたが、
妻と話し、また毎朝の書写を通して、
少し回復しているところです。

そんな最中に
「欠点は個性」
というメッセージをもらいました。


〈元NHK美粧師、岡野宏氏の心に響く言葉より…〉

「おれのこのさー、下がった目はどうにかならないすかぁ」
中村雅俊さんが部屋に入ってきた。
ジャージ姿で入ってきた雅俊さんは、
顔に似合わず低音のかっこいい声をしている。
「どれどれ」
私は鏡ごしに雅俊さんの顔を見た。
なかなかいい顔をしている。
確かに下がっているが人懐っこく愛嬌があっていい目だった。

もし中村雅俊さんの目が二枚目風の凛々しい目だったら
彼はここまで人気が出なかっただろう。

私は雅俊さんに話しかけた。
「雅俊さんの周りには人が集まってきますよね。
初対面の人でも雅俊さんには親しそうに話しかけてるでしょ」
「そうだね」
「それって、垂れ目のせいですよ。
温かそうで、優しそうな顔に見えますからね。
「そうなの?」
「雅俊さんが役者としてここまでこれたのは、
その目のおかげかもわかりませんよ」

顔の中で人と大きく違う部分を欠点と感じる人は多い。
私に言わせれば人より大きいとか小さいとか、
上がりすぎ下がりすぎは欠点ではなく個性である。
人と違えば違うほどその人の「売り」になる大切な場所だ。

渥美清さんも若いときは、あの額の大きなホクロを
取ろうか取るまいか悩んでいた。
今となってはあのホクロは渥美さんの宝である。

ある女優が「きっとあなたホクロを取ったらもっときれいよね」
と言われ続けていた。
その女優は悩んだ末ホクロを取ったのだが、
その途端仕事が減ってしまった。

逆に吉永小百合さんが「夢千代日記」に出演されていたときは、
ファンデーションを塗った後にわざとホクロをつけていた。
ホクロやアザやソバカスというのは意外と良いアクセントになるのだ。

山野美容芸術短大副学長で化粧品化学を担当されている
内堀毅教授に面白い話を教えていただいた。

「香水は臭い香りを一滴混ぜると、他の香りを引き立てて
素晴らしく良い香りができるんです。
良い香りばかりを集めてもいい香りはできないんですよ」

人の魅力も同じだ。
すべて完璧な人よりも、どこか人と違い、
外れているものがある方が全体の魅力は増して見える。

欠点と思い込んで変えてしまうのはもったいない。
自分を助けてくれているものは、実は欠点と思っている部分なのかもしれない。
欠点を隠す前に、その良さを探ってみてはいかがだろうか。

『一流の顔』幻冬舎


「弱い所があるから強い部分が引き立つし、
短所や欠点があるから長所やいいところも生きてくる」
のだといいます。

なので、『欠点は個性』
というのも一理あると思います。

私自身も拉致監禁の体験は、
他の兄弟姉妹と比べて、
不利なこと、欠点・・・と考えてきました。

何度も書きましたが、
家系の因縁が重い、だとか、
とにかくいろいろ言われてもきました。

ところが、前任の教会長から、
「あなたは、いつまでも
被害者意識を持ってはいけない。
それを利用しなければならないんだ」
と言われて、それをヒントに始めたのが、
このブログなのです。

ブログの恩恵も本当に大きいです。

書きながら、また少し
気持ちが前向きになってきました。

さて、私たちは、「個性真理体」
という言葉を知っています。
人間はみな神様の似姿であり、
神様の見えない二性性相を
実体として形作った存在です。

つまり、私たちの個性は
神様似ということになります。

というならば、
欠点としてしか見えなかった部分が
もしかしたら
神様から
私だけに与えられた
貴重な宝物かもしれません。

もう一度、自分の欠点を
いい意味で活かせるように
気持ちを切り替えていきたいと思います。

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お父様のみ言

 神様が御自身の愛の対象として
人間を創造するとき、
自分に優ることを願う立場で
100パーセント、1000パーセント以上を
投入しようとしたのです。
投入しては忘れ、また投入し、
より貴いものを与えようとしたのです。


「真の神様」より


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2013年05月22日

分かっているようで知らないアベル・カインの原則! (信仰生活のポイント)より


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先日の研修会で
『信仰生活のポイント』を
話してくださいましたが、
今回は、『サタンの誘惑と攻撃の窓口』
そのうちの一つとして、「アベルカイン」を紹介します。


アベルカインというのは、原則ですが、
以外にわかっていない人が多いと思います。

中心とひとつになるということなのです。
そこから霊的な生命がくるのです。

証しを紹介します。
ずいぶん昔韓国に行ったときのこと。
未熟ながら幹部の先輩方と同席をして、
お父様のみ言を拝聴しました。

そのとき、当時の久保木会長に
お父様はものすごく大きな声で、
「久保木!」
そして、こてんぱに怒って
もうぼろくそにいろんなことを言われました。
他の幹部の先生方にも同じでした。

なんていいますか、
人間の常識を超えて、叱っておられたんですね。

聞いている私たちの方が、
「そこまでも言わなくても」という思いになるわけです。
あえて、そういう同情心が沸くように
叱られたのだと思います。

お父様は個人的に注意をしないんです。
公衆の面前で、ぶった切ります。
10のうち、9くらいは切りますね。

皆さん、お父様の前で完璧な者がいるでしょうか。
責任者はみんな足りないので叱られるしかないです。

ところが、そのあと、どうするのでしょうか。
ほめ始めるんです。
「この分野においては、こいつしかいない。
こういういいところがあるんだ。
だからひとつになるんだよ」
そのように語られます。


まさに、芸術的なお父様なのです。
お父様の荒治療と言ってもいいのではないでしょうか。

皆さん、カインアベルのみ言は
相手を裁く剣として使ってはいけないのです。

私たちは、み言をもって、自分を正当化してしまいます。
み言を、アベルに向かって攻撃の武器として使ってしまうのです。

「アベルはこうあるべきだ、そう書いてあります」
なんて、アベルに向かってみ言を提示してしまいます。

逆に、アベルはカインに対して 
「あなたたちは間違っている。
カインはこうあるべきだ。
絶対従順!」

そのようにして、
み言を利用して相手を裁いてしまうのです。

み言は人を裁くためにあるのでしょうか。
違います。
私自身のためにあるのです。

だから、アベルとして、カインとして
自分がどうあるべきかということを
正すためのみ言なのです。

カインもアベルも完璧ではありません。
両者に原因があるのではないでしょうか。
ともに悔い改める必要があるのだと思います。

だから、み言で相手をせめても
何の発展もないのだと思います。

父母の心情で相手を見つめる。
そのためにみ言が必要なのです。



み言は愛であり
生命であると思います。

でも用い方一つで、
相手を裁く武器になってしまいます。

私のためのみ言である、
そのことをもう一度
胸に刻んでいきたいと思います。

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お父様のみ言

カインはアベルを通さずに、
み旨の道を歩むことができない。


アベルを立てた理由は
カインを救うためである。
カインを救うためには、
神様から受けたその愛を全部与えると同時に
自分の愛までも合わせて与えなければならない。


生活する中においてカイン、アベルを分別しなさい。
ぶつぶつ言えばカインである。
アベルを中心として団結しなければならない。


御旨の道より
(相手を裁くためではなく、
自分のためのみ言として
受け止めて頂ければと思います。)


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