2013年07月25日

亡くなった人が夢に現れないこともある?! 神様を信じるように、霊界を信じよう!


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愛する者を失う痛みを
一番最初に経験されたのは神様です。
アダムとエバを失い、
すべての希望が消え、
どうしていいかわからない…。
原罪は、
神の心に突き刺さった最初の痛みです。




聖和者家庭懇談会の
話の続きです。


死という現実が、突然自分の家にやってきたとき、
「これが悪夢であって欲しい」と思ったりします。

また、「清平の医療天使の皆さん。
何とかならなかったのでしょうか?」
そのようにも思ってしまったり、
神様に恨み言を言いそうになったり、
どうして自分の家庭にこんなことが…
と、なかなか死を受け止めきれないこともあります。

こんな逸話があります。
自分の子を亡くして嘆き悲しむ人がいました。
もう一度生き返って欲しいと思い、
お釈迦様にお願いしました。
「どうか助けてください」
お釈迦様はその人に言いました。
「この世の中に、その家に誰も死んだ人がない、
そういう家を探してきなさい。
もし、そういう家があったら、
あなたの子を生き返らせてあげよう」
その人は、家々を訪ね歩き、
誰も死んだ人のない家があるか
聞いていきました。
もちろん、そういう家は一軒もありませんでした。

皆さん、死というのは、
誰にも訪れるものなのです。
ある意味「死後の世界」
という言葉もおかしな話です。
死というもの自体がないのです。
霊界に旅立つ、誕生日がまさに死ぬことなのです。

「千の風になって」
という歌の中に
「私のお墓の前で泣かないでください。
そこに私はいません。
眠ってなんかいません」
とありますように、
生きているのです。

そして、亡くなった人が
夢に現れて欲しいと誰もが思うでしょう。
実際、霊界からの夢は特別で
あざやかな色彩や心が暖かくなる感覚で、
夢を見ながら、
「これは、夢ではない。啓示だ」
とはっきりわかります。

こういうときは、是非メモに書き留めるとか、
パソコンに記録するとかしてください。
そうすると霊界も
「わかっている。通じている」
と嬉しくなり、もっといろいろと
教えてくれるようになります。

しかし、普段、全く夢を見ない人に
亡くなった人が夢に出てきて欲しい、
そう願っても難しいです。

ある人が
「なぜあなたは夢に現れないの?」
と聞いたら、
「あなたの夢に現れても信じないでしょう」
という答えが返ってきたといいます。
だから、周りの人に現れたりするのです。

実際のところ、霊界から地上の人間の
夢に現れるためには、地上側の条件と
霊界側のパワーの両方が必要に思われます。

今のうちから、電話やメールだけでなく、
気持ちや思いを送受信する
訓練をしておく必要性を感じます。


ですから大体そういう夢というのは、
亡くなってしばらくしてから、
自分が霊界で元気にやっているということを
伝えるために現れますが、それ以降も
頻繁に夢に現れるということではないのだそうです。

私たちは霊界の人は夢を通じて通信してくると
思い込んでいて、
それ以外のコンタクトの取り方を考えてもみないのですが、
霊人は私たちと共に生活しているのです。

死者のいない家庭がないように、
聖和者がいない家庭も、みな先祖をもっています。
そして、食口に対しては
多くの絶対善霊が協助する時代です。

霊界との交流は、地上にいる人が
切実に求めるところから
開けてくるといいます。

神様を信仰するように、
神様にお祈りするように、
亡くなった人と語り合い、
ともにみ旨を歩んでいきたいと思うのです。


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お父様のみ言

神は人間が願いもせず、
思いもしないことに対しては干渉なさらない。




我々は、
原子爆弾を爆発させるボタンのごとく、
人類の良心を泣かせるボタンとなろう。


「御旨の道」実践 より



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2013年07月24日

霊界に行った聖和者は悲しんではいない! 遺族と霊人とのギャップとは?!


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信仰とは、望んでいる事がらを確信し、
まだ見ていない事実を確認することである。


(ヘブル書第11章1節)


霊界に行かれた人たちは
私たちの生活している
まさしくここに一緒に存在しているといいます。

いつも私のとなりに神さまが
そして、亡くなった家族や先輩たちがおられるのです。

聖和者家庭懇談会での貴重なお話。
昨日の続きです。



私たちは亡くなった人に対して、
現実を受け止められずに、
また自分の行動を後悔することがあります。

「なぜ、こんなことになってしまったんだろう」
「あの時に、こうしていたら(こう言っていたら)
こんなことにはならなかったのに」
そのように思ったり、
時間が止まったままになっていることもあるのです。

しかし、悲しんでいる地上の家族を見ながら
霊界ではもっと困っているというのです。

「確かに肉体はないけれど
自分は、こうやって生きているんだ。
しかも、家族の目の前にいるのに、
そのことを全然わかってくれない。
肉体を持って生き返ることはできないし・・・
いったいどうしたらいいのだろう」

皆さん、霊界にいる人たちは悲しんではいないんです。
むしろ、肉体の死を超えた
永遠の世界があることに感動し、
自分が生きていることを何とかして伝えようとします。
しかし、残された地上の家族が
悲しみの世界に閉じこもっていると、
サインを送っても気づいてもらえないので困るのです。

また、地上で残された家族は、
子供の机やカバンを見ては泣き、
夫や妻の洋服や遺品を見ては泣いています。

ところが、霊界に行った人は、
永遠の世界に入り、自分が霊人として生きていること、
また、地上での痛みや苦しみから解放されたこと、
さらには、神様や真の父母様、教会の大先輩や
歴史的な偉人、聖人に出会えて、興奮し感動しています。

地上の家族が悲しんでいると、
霊界ではもっと辛くなってしまいます。
霊界では病気による肉体の痛みはありませんが、
地上の家族がそのことを言えば
その時の痛みを思い出してしまいます。
だから、霊界にいる人たちは
地上の人に対して、悲しむ期間を
短くして欲しいと思っているのです。



映画「奇蹟の輝き」において、
交通事故で亡くなった夫が、
自分は霊界で生きていることを伝えようとして、
妻の手を借りて自分の名前を書きますが、
悲しみに閉ざされている妻は、
その字を見ようともしない、
という場面がありました。

また、「ゴースト/ニューヨークの幻」という映画では、
亡くなった恋人が自分と二人の間しかわからない
「お守りの1セントコイン」を動かすことで
自分の側にいることを感じていく場面もありました。

霊界というのは目には見えません。
しかし、存在していることは確かです。
そして、私たちは霊界を信じている立場です。
また信仰者として、見えない事実を確認する立場です。

霊界は愛の世界なので、
神様の勢力が地上よりしっかりと及ぶことができるといいます。
地獄に行くような人は大変ですが、
食口や、食口の家族は、
地上にいるときより自由を感じているといいます。

生前は反対していたとしても、
原理教育を受け、生まれ変わった立場で、
逆に私たちが信仰的な生活をしないので、
悩んでいるというのです。

本当に目には見えないのですが、
いつも側にいることをもっともっと意識して
生活していきたいと思います。

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お父様のみ言

霊界に行って合格できる人を作るのが、
我々統一教会の教育目標である。


「御旨の道」
(信仰生活)より



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2013年07月23日

食口は霊界を本当には信じていない?! 亡くなった人、絶対善霊とともに歩む生活とは・・・!


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大切な家族を亡くした方たちは、
天国を一歩先に歩いているのです。



今、真のお父様は霊界におられます。
そして、私たちには、何十億という絶対善霊が
送られているということを聞いています。
祝福を受けた私たちの先祖や、天使なども含め、
どれだけ、霊的な応援を受けている私たちでしょうか。

しかし実際のところ
「霊界が働いているのかなぁ」と実感がわかないこともあります。
また、大切な家族を霊界に送られて
寂しい思い、辛い思いを抱えながらも、
「どこでどうしているのか」と漠然と考えていたりしませんか。


先日、愛苑会の先生をお迎えして
聖和者家庭懇談会をしました。

愛苑会とは、配偶者や親や子女、
大切な家族を亡くされた方の
ご家庭の集まりです。

愛苑会に入っている方が、
うちの教会に2名おられるのですが、
一度、教会で集会を持ちたいということで
快く受け入れてくださり、実現したのでした。

先生ご自身は、
霊界におられる奥様と必死に交流する努力をされ、
今では、いつもともにいる実感を持たれているそうです。

奥様を亡くされる前は、
霊界に対してはあまり
敏感に感じるタイプではなかったので、
そういう意味ではご自身の体験を通して、
「誰でも霊界に行った人と交流できる」
そのような観点で指導しておられます。

とても得られるものが多かったので、
不定期に何度かに分けて紹介したいと思っています。

その集会の中で、一番印象に残った、というか、
ある意味、衝撃的な言葉がありました。

それは、「皆さんは、統一教会の食口として
霊界の存在は知っているけれど、
実は信じていないのです」
という言葉でした。

「統一教会の人間ほど
霊界を本当に信じていない」
というのです。

教会に来て、霊界があることを知って
信じてきたはずなのに・・・
そう思いましたが、
その理由を説明してくださいました。


私たちは本当に霊界を信じているでしょうか。
信じているということは
行動を伴うのです。

実践をしなければ
本当に信じているということになりません。

亡くなった方が
霊界にいるとすれば、
霊界に存在している人と
交流するのが当然なのではないでしょうか。

でも信じていると言いながら、
実は霊界の人と交流していないのです。

霊界に実在している人と
何の関係も無く生活しているのです。

ですから、亡くなった方との交流
すなわち、聖和者との交流をしないといけないのです。



霊界は、どこかはるか遠くにあるのではなく、
私たちの生活する地上と重なっています。
ここにいるというのです。

また、霊界で原理教育を受けている絶対善霊たち、
先祖たち、聖和者たちは、私たちをみつめ
逆に心配しているということです。

信じてはいるように思っても
実際は実践していなかった・・・
これが問題であり、
霊界にいる人たちは
どれほどの思いを持っているだろうか。
と、反省させられました。

今回の話は、聖和者を家族にもつ人のためだけの話ではなく、
食口全員に必要な話であると思ったのですが、
私たちが常に霊界を意識して、ともに歩んでいけば、
氏族メシヤも、ビジョン2020も勝利できるに違いありません。

今回、霊界にいる人たちとの交流の仕方、
また霊界にいる人に対しての認識の仕方など
具体的にアドバイスしていただきました。

実は、私も家内も参加しましたので、
少しずつ実践しているところです。

その内容など、また改めて掲載したいと思います。

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お父様のみ言

おじいさん、おばあさんも、
千年、万年後代の後孫も、
霊界に行っている霊人たちも、
永生できるその公式的路程は同じです。
 永世へは、
「ため」に生きた人たちだけが
パスすることができます。


「地上生活と霊界」
第一章 有形、無形世界での人間の存在より



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posted by ten1ko2 at 11:09 | Comment(4) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする