2013年09月24日

後藤裁判、最終弁論の日!  霊界の大応援団が裁判所に集結中!!


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昨日は秋分の日、お彼岸の中日でしたが、
私の教会においては還元祈願礼式が行われました。

教会長が講話の中で、
「今は霊的に敏感になれば、
先祖を感じたり、見ることができるんです。
霊界は心情の世界だから、
本当にその人のことを思えば、
何か知らせがあったり、
教えられたりすることがたくさんあります」

私は司会をしていたのですが、
教会長がそう語られるときに
何気なく前を見ると、
父の姿を感じました。

母のことをを意識していたら、
父が見えたのです。。。

そういえば、今日は、9月24日。
後藤徹さんの裁判、最終弁論の日です。

何か関連があると思って、
何度か書いている内容を
改めて掲載します。


私が2度目に拉致監禁をされたのは、
1994年のことでした。
反対牧師の攻勢にあい、
両親や家族の説得を受けましたが、
私は教会を辞めると偽装脱会を試みました。

反対牧師も信じてくれて、
また、両親も家族もともに喜びました。

そんな頃、ともに寝泊りをしていた弟が、
思ってもみないことを言いました。
「兄貴、本当に統一教会を辞めるんだな。
うそをついて、また教会に戻るんなら、
何かあっても呼ばないからな」
私は「大丈夫だよ」
というしかありませんでした。

私は、偽装脱会で教会に再び戻りました。
しかし、「何かあっても」が
現実に起こってしまいました。

私が拉致を受けて偽装脱会してから、
約4ヵ月後のことでした。
父が交通事故で即死したのです。

弟は約束通り、父の死を連絡しませんでした。
母は私に連絡したかったのだと思いますが、
弟が強く制したのか、私が全く知らない中で、
父の葬儀が行なわれました。
弟が施主の立場で行なったようです。

父の死から1週間して、
母から手紙が来ました。
「父が亡くなった」と書いてありました。
もしかしたら、また監禁される可能性もあると思い、
本当かどうか確かめるために、
知人にお願いして、市役所に行ってもらいました。
すると、本当に父は亡くなっていました。

そのあとに祈祷を捧げました。
そうしたら、とても不思議なことが起こりました。

すなわち、私ではない何者かが、
私の体を使って泣いているのです。
何故、自分ではないと書いたかというと、
父の死を悲しんで泣いているというような、
私の感情とは、別のものだったからです。

私の思いで泣いているわけではなかったのです。
これは亡くなった父が、
私の体に入ったのだと思いました。

そして、このように訴えています。
「申し訳ない、申し訳ない」
父は拉致監禁をしたことに対して詫びていました。

私は心の中で言いました。
「お父さん、謝らなくていいよ。
もう済んだことだから。
それより、申し訳ないと思うなら、
これから拉致監禁の解決のため協力してね」

そのように心の中で呟いたら、
うそのように涙が消え、
何かが去っていったようでした。
父の霊人体を実感した瞬間でした。


これほどの体験はこのとき以外にはありませんが、
父は霊界にいて、
拉致監禁をしたことを本当に後悔していると思います。

そして、拉致監禁の解決に対して、
必死に働いていると思います。

秋夕は過ぎましたが、
ちょうど秋のお彼岸の時期です。
(中日を挟んで3日ずつ7日間がお彼岸です。)
霊界を意識していくのに、更にふさわしい時かと思います。

今日の後藤さんの裁判も導かれることでしょう。
私は事情で行くことはできませんが、
霊界の両親に、代わりに行ってきてほしいと頼みました。
きっと応援を引き連れて、行ってくれるはずです。
後藤さん側が、また、新たな情報を提示すると聞いています。
必ず勝利すると信じています。


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真のお母様のみ言

たった独りで十字架につけられたイエス様。
その心情を知ることをとおして
私たちは悔い改めました。
より多くの悔い改めの心を持つほど
神様は
皆様を大きな方向に導くでしょう。


愛のシンフォニー NO.2
『真の母』より



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2013年09月23日

もしも2千年前にいたら、イエス様を受け入れる自信がありますか?! クリスチャンの間で広がる論争! 


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見よ、私はすぐに来る。
報いを携えてきて、
それぞれのしわざに応じて報いよう。
(ヨハネの黙示録22:12)

人の子が来るとき、地上に信仰が見られるだろうか
(ルカ18:8)




ファミリーフォーラムに、イエス様の再臨に関して
興味深い記事が掲載されていました。

“2千年前だったら、イエス様を受け入れる自信がありますか?”

機械翻訳なのか、
文章がおかしい箇所が多かったので
意味が通じるように直しています。
実際の韓国語の記述とは異なる点があると
思いますが、ご了承ください。


神様とイエスを信じる現在のクリスチャンが
2千年前のイエスの時代に戻ったとしたら、
イエスをメシヤとして受け入れることができるのか
という論議がおきている。

まず、2千年前のイエスが聖書(旧約聖書)を
自分がメシアであることを証明する唯一の手段としたことから、
“現在のクリスチャンが聖書の正しい理解をしているのか”
という疑問に結びつく。

また、“聖書(新約聖書)で約束されている
イエスの再臨が現実に行われるときに
果たして再び来られたイエスを、
現在のクリスチャンたちが受け入れることができるのか”
という疑問も起こってくる。

聖書には、“人の子が来るとき、地上に信仰が見られるだろうか”(ルカ18:8)
とあるように、再び来られたイエス様を受け入れることは難しいことを
予言のように書かれている。

これに関連して、宗教思想家である咸錫憲(1901〜1989)先生は生前
“(再臨のイエスは)天の雲に乗ってくるとは信じられない”と強調した。
彼は“イエス初臨の時、当時のユダヤ人は、メシアが来て、失われた国権を回復し、
ユダヤを世界の強大国にするべく号令をかける王を期待した。

しかし、実際に来た救世主は、人々が期待していなかった真理の王、
精神的な王が来たのだ。
同様に、再臨のイエスも人々の予想を超える形で来るだろう ”
と明言していた。

これらの指摘のように、再臨のイエスが雲に乗ってこず、
現在の信仰では全く予想できない形で、
私たちの目前に現れたとしたら、
果たして現在のクリスチャンは彼を信じて従うことができるか
という疑問が提起される。

さらに、現在の信仰の世界では、イエスの再臨が
“はるか後に起こる文字上の予測でしかない”というように
無関心と冷笑が広がっているうえ、
イエスの再臨を取り上げること自体が
“異端”であるという風潮まで蔓延しているのが事実だ。

これに関連し、聖書には、“あなたがたは、あたかもその主人が
家から帰ってきてドアを叩くとすぐに開いてあげようと
待っている人のようにしていなさい”(ルカ12:36)
とイエス再臨に常に備えることを要請しており、
キリスト教世界の現実と対比されています。

これに伴い、果たしてイエスの再臨の形態はどうであるかという、
深刻な論議が信仰世界において切実だという声が高まっている。
これ(再臨)を見逃したら、2千年前にイエスを殺した当時のユダヤ人たちの前轍を、
現在のクリスチャンたちが踏襲することになるからである。

“雲に乗って来られる”という神話的な信仰ではなく、
聖書の中で指摘しているイエス再臨の路程は(実際は)どのようなものなのか
という悩みがなければならないという指摘だ。
イエスの再臨の時、どのような兆候とどのような過程があるかについて
聖書が指摘しているという事実を悟って、
その聖句が何を意味するか、適切に知るための信仰的努力が必要となるだろう。



韓国における話題ですが、
私たちが真の父母様を証しするために、
準備段階として講義する内容そのままです。

クリスチャンたちも、心の目を開いて、
イエス様をそして再臨主を求めるときがきています。
真の父母様に対して、
意識が転換される日が来るのも
そう遠くないような気がします。

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2013年09月22日

「今しないで、何時するのですか!」 先祖に保護され、問題は解決!! 《霊界と調和して暮らす》


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ファミリーフォーラムに
アメリカのマイケルバルコム会長の
新メッセージが紹介されています。


一部、掲載いたします。


先週、ラスベガスで真のお母様にお会いしたキム会長は
3つの内容を持ちかえりました。
一つ目は、わたしたちは霊界と調和して
暮らさなければならないということです。

真のお父様も2006年天正宮入宮の日にこのことを話されました。
霊界と調和して暮らすとはまず、
祈祷、断食など条件を立てる事を忘れないことです。
霊人体の成長にこれが欠かせないという事は原理にもあるとおりです。

これに関してお母様は、清平摂理を通して
先祖210代の解放と祝福はわたしたちの責任だと言われました。

さらに重要な事はこの世を具体的に変えていくということです。
ただ一生懸命歩む、条件を立てるだけにとどまらずに。
私はここに最も共感します。

ラスベガスでの一番重要なニュースは、
来年の聖和追慕式ではお父様のアメリカでの業績を
テーマにすることを考えておられるということです。

今回、本部広報局のアン氏が来られました。
アン氏は韓国メディアが聖和一周年について好意的に報道した
数々の内容を報告してくれました。

韓国国内の主要新聞4、5紙が報道した内容です。
とくにお父様の生涯を描いたドキュメンタリーでは
お父様が韓国や世界に向けて語った重要な内容が含まれています。

この会議の目的はもちろん戦略的計画を立て、
前進し、いかに実績を出すかを検討することでした。

また会議は様々な証を聞くことから始まりました。
神様がメンバーを通していかに働かれておられるのか知る事は本当に感動的です。

ミネアポリスでは6歳の子供がセンターに人を連れて来たと言います。
カリフォルニアではインターネットを通じて教会を研究し、
原理についても詳しく知った上で、
祝福について詳しく知りたいと訪ねてきた人がいます。

また会議では地区の再編成についても検討されました。
そのための重要な事は、重責を担う、
若い指導者を見つけなければならないということです。
真のお母様もこれについては何度も繰り返し話されています。

もちろん優れた指導者になるためには
訓練も経験も必要である事はお母様もご存じです。
ですがお母様は
『今しないで、何時するのですか。
いつ彼らが責任者となり将来の準備をするのですか』と話されました。

私自身も20代前半に初めて責任を任されました。
今、準備万端の20代30代の若者が多くいます。

問題は神様の召命をどう感じるか、
われわれ年長者がいかに活躍の場を与えて行くのかということです。 
ただ席を空けるだけではなく、いかにアドバイスを与え指導するのか。
牧会者達と話をする中で、彼らを育てることが
直近の最優先課題であることで意見が一致しました。


キム会長が重要項目の第一番目に
「わたしたちは霊界と調和して
暮らさなければならない」
と言及されていますが、
その内容が紹介されていました。




最初に、霊界をつねに意識しながら暮らす事の
大切さを強調しておきます。
地上で先祖の解放と祝福を、
お父様の指示通りにしておかないと
先祖たちは闇に囚われたまま自由になれない、
とお父様は警告されました。
先祖が解放、祝福されない限り、
私達も先祖の保護を受けることができません。
先祖が解放、祝福されれば
この世での霊的、肉的問題、病気、事故や家庭不和などの多くの問題は
絶対善霊の介入によって解決されて、守られます。 
解放され祝福を受ければ、
210代の先祖が天で明るく輝いて、
その光は直ちに拡がっていきます。
210代の先祖を解放、祝福する責任を果たさないので
多くの問題が生じるのです。




韓国もアメリカもいい方向に動きつつあると感じます。
霊界の協助は間違いなくありますし、
特に基元節以降、大きく変わっていると思います。

日本もそのようになることは必至です。
受け入れる器、備えが必要であると思います。

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