2014年03月28日

「愛の刀で苦悩を断ち切る1」 相手が死んでも残る恨み?! 《浅川先生講演会》


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神は、愛の心を持って生き、
苦難にぶつかっても
愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、
私を呼ばれたのです。




先日、自叙伝書写集会がありました。
小さい教会なので、浅川先生をお迎えすることも出来ないこともあり、
私たちの教会では、先生のDVDを視聴しています。
今回は、「愛の刀で苦悩を断ち切る」でした。
とても心に残る講座だったので、
語られた内容を少しアレンジして紹介します。


人は誰でも幸せになることを願います。
幸せになりたいと思いながら、
現実、そうなっていない人も多いわけです。
そういうとき、「あの人がいたから自分はこうなった」
「あの人がいなければ、もっと幸せになれたのに」
そう思う人もいるのではないでしょうか。

あるお坊さんのお話から聞いた話を紹介します。
そのお坊さんによると、
舅さんと姑さんの命日に必ず墓参りされるお嫁さんがいるそうです。
その女性はとても熱心な方で、毎年来られます。
涙を流してお参りされます。
本当に熱心だなと思って、供養する場面に遭遇しました。
すると、泣いているのは、悲しくて泣いているのではなかったのです。
「つらいです。悔しいです」
彼女の涙は、悔し涙、恨みの涙でした。
「舅、姑を思い出すと腹が立ちます。
悔しくて仕方ないんです」

そのお嫁さんは、「この人さえいなければ」
舅、姑に対してどれだけ思ったか知れません。
しかし、この二人が地上から、自分の目の前から消え去っても
思いが消えないのです。

そういうことを考えてみても、
自分を不幸にしているのは、
その人のせいではなくて、
恨んでいる自分の心が問題だというのです。
自分の心を変えない限り、
恨みの思いを消すことができません。
その思いを断ち切ること、
それがまさに「真の愛」なのです。

お父様の自叙伝の中には
「愛の刀で苦悩を断ち切る」とあります。
「愛」と「刀」。
一見すると不釣合いな言葉が並んでいます。
しかし、本当の愛には、刀があるのです。

これは手術で例えることが出来ます。
癌などの悪性腫瘍で患っている人がいるとします。
名医が手術をするわけですが、
たとえ名医でも腫瘍を切り取るメスが必要です。
そのメスは普通の刀以上に鋭いものでなければなりません。
研ぎ澄まされたメスで腫瘍を切り取るのです。
切れないメス、しかも錆び付いていたら大変なことになります。
腫瘍も切り取らない限り、なくなることはありません。
すなわちメス(刀)が必要なのです。
ですから、刀の背後に愛があるのです。

そして、愛したはずなのに、
自分の思いが変わってしまう。
まさに愛が錆び付いていることになります。
ただの愛では、恨みが残ります。
真の愛でなければ駄目なのです。
真の愛とは何か。
自分にとって大切なものを捨てる、
すなわち命を捨てることなのです。



浅川先生は、お父様のみ言の一つの部分に対し、
深い示唆を持って、解説してくださいます。
また、明日に続きます。


私に取り柄があったとすれば、
神を切に求める心、神に向かう切ない愛が
それだったと言えます。
いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。
神は、愛の心を持って生き、
苦難にぶつかっても
愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、
私を呼ばれたのです。
この年になっても、私はただひたすら
神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。


(「平和を愛する世界人として」67ページ)


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2014年03月27日

真の母は第二教主! お父様のみ言 ・ (証し)夢の中でお母様は…?!


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今日は、最近出版されたみ言
「真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道」
ここから、三つほどみ言を紹介します。



お母様は私の影のようです。
付いて回る影のようなので、
私は実体をもった主体の教主であり、
お母様は対象の教主です。
それで、私は第一教主、
お母様は第二教主です。
何を中心としてですか。
愛を中心としてそうだというのです。


お母様を中心として皆さんが一体に
なっていかなければならない時が来ました。
もう先生がいなくても、
お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。
お父様がいないときは、
お母様のことを思わなければなりません。
そのように理解して、
先生の代わりにお母様に侍る心をもち、
祈祷もそのようにするのです。
今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を愛さなければなりません。
これからはお母様の時代に入っていくことを理解して、
特に女性たちはそのようにしなければなりません。
ここにおいて、先生が第一教主であれば、
お母様は第二教主であると世界的に宣布し、
天地に宣布します。


お母様は、第二教主の資格がありますか、ありませんか。
大講堂に立って凛々しく、
男性のような度胸をもってお母様以上に講演できる人は
手を挙げてみてください。
お母様から多くのことを学んだのではないですか。
お母様がここまで立派にできるとは
夢にも思わなかったでしょう。
大いに尊敬しなければなりません。
先生はもう七十を超えてくずかごに近づきましたが、
お母様は今、そのくずかごを収集して
すべて掃除できる主人になったので、
先生よりも、お母様をもっと重要視できる
統一教会員になれば福を受けるというのです。




真のお父様は
「真のお母様は第二教主である」
かつてそのようにハッキリと語られています。

お母様はお父様の影、と言われていましたが、
勝利され愛で一つになられた真の父母様は、
どちらかが現れれば、どちらかが影のようにおられるのでしょう。
今や、燦然と輝くお母様の背後には
お父様が影のようにいつもいてくださると思うのです。

教会長が印象的な夢を見られました。


御父母様の許に呼ばれました。
そして、記念撮影をすることになったのですが、
いつの間にか、お父様の姿が消えていました。
お母様の許に大勢の人が集まってきました。
お母様は最前列、教会長は人の群れの真ん中にいました。
そのとき、突然お母様が飛び出されて、
早歩きで食口の中に入り込まれました。
どこに行かれるのかと思っていたら、
教会長の目の前に、お母様がおられました。
まるで突進して来られたようでした。
そして、持っておられたコップを教会長に差し出されました。
コップの中には、ジュースが入っていて、
曲がるストローがついていました。
教会長は
「真のお母様の差し出された物だけれど、
飲むのは恐れ多い・・・」と躊躇していましたが、
「そうだ、私の親なんだから、いいのだ」
そう思って、飲もうとしたら、目が覚めたそうです。



お母様はお父様の代身として、
また私たちの親として、
私たちを愛し、導いてくださっています。

親孝行の道理を立て、
悔いの残らない歩みを
父母様に捧げるのが
今、私たちの歩むべき道なのだと思います。

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2014年03月26日

(証し)「人生の目的を教えてくれた人に、親になってもらいなさい」──小山田先生が父母様に侍られる理由(わけ)



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わたしは道であり、
真理であり、命である。
わたしを通らなければ、
だれも父のもとに行くことができない。


ヨハネ14:7



今日も、小山田先生の証しを
お伝えします。


お父様が、「小山田は生まれながらのクリスチャン」と
いわれるほどにキリスト教の熱心な信仰を持っておられた小山田先生。
また勉強熱心で、勉強しすぎるくらい優秀でしたが、
中学のころ、何で生きているのだろうと疑問を持つようになり、
高校に入ると人生の目的を真剣に考えるようになりました。

そのことをご両親に聞いてみました。
「お父さん、お母さん、人生の目的は何ですか」
お父さんには、
「お前、そういうことは、
簡単にわかるもんじゃないんだよ」
そう流されてしまいました。

お母さんは、何も言いませんでした。
そして、1週間経った時に言われました。
「そういうことを、お前に教えてくれる人を探して来なさい。
もし見つけたら、その人にお前の親になってもらいなさい」
その答えにとてもビックリしました。

そして、小山田先生は、後に本当に人生の目的を知ることができました。
まさに、真の父母から教えていただいたのです。
お母さんが言われたごとく、その方を
真の父母と呼ぶようになったのです。


一度、ブログでも紹介したことがあるのですが、
以前聴いたことがあった小山田先生が導かれたころの証しを
おぼろげながらに思い出してお伝えしました。

親が全てを知っているわけではありません。
もちろん、子供に精一杯の愛を降り注いでいます。
親の愛によって生かされている私であり、
そのことに関しては、感謝しても足りません。
しかし、親は、「悪い人間にはなるな」と教えてくれても、
人生の目的など本当の深い世界を教えてくれたでしょうか。
親も、またその親から教わらなかったので、
深いところまで教えることができないのです。

小山田先生のお母さんは、
先生から深い質問を投げかけられたとき、
その一週間、悩んだことでしょう。
しかし、悩み、考えても、答えを見つけることができませんでした。
自分の子供に答えを与えることができない、
親としては本当に申し訳ない、だから
「答えてもらった人に親になってもらえ」
そう言われたのでしょう。
また、子供に親も答えられない道を教えてくれる人であるなら、
真の親と崇めるにふさわしい、と思われたのかもしれません。

私たちの真の父母様は、
人生の三大疑問、全てを解き明かしてくださり、
また、祝福結婚を通して、素晴らしい伴侶、
さらには、愛すべき子供を与えてくださいました。
これ以上の感謝がどこにあるでしょうか。

親という立場になると更に、
御父母様の心情、神様の深い心情も
理解しやすくなり、感謝の思いが増します。

肉身の子どもは私たちの愛情を育ててくれますが、
為に生き、人々を愛し、伝道することによっても
神様の心情、父母の心情を通過することができます。

小山田先生の証しを通して
改めて、親の愛は尊いなぁと思いました。
こんなお母さんには永遠に頭が上がらないことでしょう。
小山田先生がご父母様に侍られる姿勢は、
主を待ち望んできたクリスチャンだからでもあり、
また、真実の親を求めてこられたからでしょう。

私たちはご父母様により
道、真理、命を与えて頂き、
神様の子女としての立場を得ることもできました。
真の父母様を想うとき、
ただただ、感謝しかない、と思うのです。


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ご子女様のメッセージ

お母様の愛を知りながら
楽に過ごすことはできません。
これからの生活において
永遠に私が恥ずかしくない自分自身となるとき
お母様、お父様に道理を立てたといえると思います。


愛のシンフォニー NO.2
『真の母』より



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posted by ten1ko2 at 11:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする