2014年03月28日

「愛の刀で苦悩を断ち切る1」 相手が死んでも残る恨み?! 《浅川先生講演会》


536216_10152689405295416_135898188_n.jpg


神は、愛の心を持って生き、
苦難にぶつかっても
愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、
私を呼ばれたのです。




先日、自叙伝書写集会がありました。
小さい教会なので、浅川先生をお迎えすることも出来ないこともあり、
私たちの教会では、先生のDVDを視聴しています。
今回は、「愛の刀で苦悩を断ち切る」でした。
とても心に残る講座だったので、
語られた内容を少しアレンジして紹介します。


人は誰でも幸せになることを願います。
幸せになりたいと思いながら、
現実、そうなっていない人も多いわけです。
そういうとき、「あの人がいたから自分はこうなった」
「あの人がいなければ、もっと幸せになれたのに」
そう思う人もいるのではないでしょうか。

あるお坊さんのお話から聞いた話を紹介します。
そのお坊さんによると、
舅さんと姑さんの命日に必ず墓参りされるお嫁さんがいるそうです。
その女性はとても熱心な方で、毎年来られます。
涙を流してお参りされます。
本当に熱心だなと思って、供養する場面に遭遇しました。
すると、泣いているのは、悲しくて泣いているのではなかったのです。
「つらいです。悔しいです」
彼女の涙は、悔し涙、恨みの涙でした。
「舅、姑を思い出すと腹が立ちます。
悔しくて仕方ないんです」

そのお嫁さんは、「この人さえいなければ」
舅、姑に対してどれだけ思ったか知れません。
しかし、この二人が地上から、自分の目の前から消え去っても
思いが消えないのです。

そういうことを考えてみても、
自分を不幸にしているのは、
その人のせいではなくて、
恨んでいる自分の心が問題だというのです。
自分の心を変えない限り、
恨みの思いを消すことができません。
その思いを断ち切ること、
それがまさに「真の愛」なのです。

お父様の自叙伝の中には
「愛の刀で苦悩を断ち切る」とあります。
「愛」と「刀」。
一見すると不釣合いな言葉が並んでいます。
しかし、本当の愛には、刀があるのです。

これは手術で例えることが出来ます。
癌などの悪性腫瘍で患っている人がいるとします。
名医が手術をするわけですが、
たとえ名医でも腫瘍を切り取るメスが必要です。
そのメスは普通の刀以上に鋭いものでなければなりません。
研ぎ澄まされたメスで腫瘍を切り取るのです。
切れないメス、しかも錆び付いていたら大変なことになります。
腫瘍も切り取らない限り、なくなることはありません。
すなわちメス(刀)が必要なのです。
ですから、刀の背後に愛があるのです。

そして、愛したはずなのに、
自分の思いが変わってしまう。
まさに愛が錆び付いていることになります。
ただの愛では、恨みが残ります。
真の愛でなければ駄目なのです。
真の愛とは何か。
自分にとって大切なものを捨てる、
すなわち命を捨てることなのです。



浅川先生は、お父様のみ言の一つの部分に対し、
深い示唆を持って、解説してくださいます。
また、明日に続きます。


私に取り柄があったとすれば、
神を切に求める心、神に向かう切ない愛が
それだったと言えます。
いつ、いかなる場所でも最も大切なものは愛です。
神は、愛の心を持って生き、
苦難にぶつかっても
愛の刀で苦悩を断ち切れる人を求めて、
私を呼ばれたのです。
この年になっても、私はただひたすら
神の愛だけに命を捧げて生きる愚直な男です。


(「平和を愛する世界人として」67ページ)


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)