2014年03月29日

命を捨てること以上の愛はない(韓流ドラマより)?! 「愛の刀で苦悩を断ち切る2」 《浅川先生講演会》


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愛の前に自分の命を投げ出していくのが
父母の心であり、真の愛です。




昨日の続きです。

「愛の刀で苦悩を断ち切る」
浅川先生はこのお父様のみ言を
韓国ドラマを通して表現されています。


韓国ドラマに「ピアノ」という題名のドラマがあります。
この主人公はヤクザです。
ヤクザと言っても、同じヤクザから嫌われるような
本当に卑しい男でした。

教養ある女性がいました。
彼女の夫は高級官僚であり、
裕福で幸せな生活をしていました。
ところが夫が突然、事故死してしまいます。
生活するために彼女は、
昔習っていたピアノの先生になりました。

そのヤクザの男と、ピアノの女性は、
相思相愛になり、結婚することになりました。
このような展開は、まぁ、これもドラマならではと言えますが(笑)。

彼女と事故死した元夫との間には、子供がいました。
息子は、お母さんが何でヤクザの男と結婚したのか、
本当に理解できず、また赦すことが出来ませんでした。
男を恨みました。
男のことを「お父さん」と呼ぶことができませんでした。

そして、今度は
ピアノの女性がボートの転覆事故で
水死してしまいます。
ヤクザの男は本当に衝撃を受けました。
ヤクザから足を洗い、まともな人間になろうと思いました。

女性は、遺言を残していました。
「息子を愛してください」と。
しかし、息子は、男を赦すことができません。
挙句の果てには、「水死させたのは、男のせいだ」
そこまで思うほどでした。

男は、息子を愛そうと努力しました。
しかし、会おうとすると断られ、
話そうとしても「馬鹿野郎」と怒鳴られました。

男は限界を感じました。
歩いているとあるところに家があり、
ピアノの音がしました。
音のするほうに導かれていくと、
妻だった女性の好きな曲が流れていました。
ピアノを弾いていた女性に、
自分の抱えている悩みを打ち明けました。
彼女は、「イエス様に相談したらいい」
そのようにアドバイスしました。

男はこの女性に言われたとおり、礼拝に参加しました。
そのとき牧師が言っていた、
「その友のために生命を捨てること
それ以上の愛はない」

その言葉に胸を打たれました。

「俺が息子にしていたのは、本物の愛ではなかった。
だから彼を傷つけてしまったんだ」
男は息子に向かっていきます。
相変わらず暴言を吐かれますが、
男はどんな風にされても、何の感情も湧きませんでした。

その後、(なぜか)息子も同じようにヤクザになってしまいます。
ある日、ヤクザ同士の抗争がありました。
息子は、そこに巻き込まれ、生命が狙われます。
敵対グループの銃が彼に向けられ
弾が放たれる瞬間、男は自然と彼の目の前に立ちはだかりました。
銃が撃たれ、彼に命中し、彼は死にました。

息子は今まで自分のことを親として、
本当に愛してくれていたことに気づきました。
そして、「お父さん、ありがとう」と叫びました。

息子は、お父さんが開眼するきっかけになったという
ピアノを弾いていた女性の家を訪ねてみました。
しかし、そこに行くと誰もいませんでした。
空き家になっていたのです。
そのヤクザをしていた男性に現れたピアノの女性は、
かつて男を愛した女性、すなわちお母さんの幻だったのです。



このドラマを見たことはありませんが、
浅川先生の解説を聞いて、
主人公の姿とお父様の姿が重なりました。

究極の愛が真の愛であり、
自分の一番大事なものを捧げること
すなわち、生命をも捧げる愛である、
その姿をお父様は身をもって示してくださいました。

イエス様は愛する友のために命を捧げましたが、
お父様は愛する子供のために命を捧げていかれました。
お父様の真の愛に心から感謝いたします。



真の愛とは、
自分の命までも捨てることができるものです。
そこにはいかなる計算もありません。
母鳥が命を捨ててでも雛を守ろうとするその心は、
真の愛そのものです。
父母はいくらつらくても愛の道を行きます。
愛の前に自分の命を投げ出していくのが
父母の心であり、真の愛です。


           (平和を愛する世界人として・219ページ)


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