2014年04月21日

愛せない人、理解できない人のために祈ろう! 〜一つになるために〜


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昨日は、一つになるということに対して
いろいろと考えさせられました。
相手を批判するということは簡単ですが、
それを克服して受け入れ、一つになることは
とても大変です。

韓日一体化についても、朝鮮半島の南北統一についても、
まったく違う存在、理解しがたく
愛せない存在であったとしても
神様の願いは、一つになることです。
一つになることは、どれだけ素晴らしいでしょうか。

そんな中で、統一教会公式説教ブログの
ある記事に目が留まりました。

 「敵を愛する理由と方法」

後半部分のみ抜粋します。


私も統一教会でみ言を勉強し始めましたが、
敵とまでは言わなくとも、愛せない人がいました。
実は、それは私の父でした。
私の父は心の優しい人でした。
しかし、傷つくことも多かったのです。
それでうっ憤を晴らすため、
酒や賭博にのめり込む生活をしていました。
酒を飲み過ぎると父は酒乱になることが多く、
母や子供を殴ったり蹴ったりしました。
子供のころにそのようなことがあったので、
父がとても嫌いになり、
父のようにはなるまいと決心しました。

み言を聞いてからも父を許せず、
愛せない自分がいましたが、
学んでいくうちに、この人を愛せないと幸福になれない
ということがわかってきたのです。

「神様、父を私から遠ざけてください! 
早く霊界に送ってください! 
消し去ってください!」と祈るなら、
それは祈りではなく呪いと言います。
祈るのは幸福を祈るのであり、
不幸を祈るのではありません。
しかし、祈りはうそを祈ってもいけないのです。
私が祈った言葉は、次のような言葉でした。

「神様、私は父を愛せません! 
ですが、あの父も神様の子供です。
私は愛せないのですが、
神様、父が幸福になるようにしてください」

これなら、ぎりぎり祈れます。
そのように毎日祈っていると、
ある思いが湧いてきました。
「神様は、なぜあの人を愛しているのだろう?」
という思いです。
そして少しずつ、神様が愛する良いところを探し始めました。
そうすると、少しずつ思い出してきたのです。

子供のころ、夜中に寝ていたところを、
突然、父に起こされたことがありました。
父はパチンコをしていたのですが、
その時、勝ったのです。
それで子供の好きな菓子や飲み物を
たくさん景品にして持って帰ってきて、
夜中に私と兄弟に食べろというのです。
私はぐっすり休んでいたので迷惑千万でしたし、
良い思い出ではありませんでした。
しかし考えてみると、私を愛してくれていたのです。
子供たちが喜ぶ姿を見たかったということは確かです。

一つずつそんな思い出が浮かんできたとき、
父の家に行く機会がありました。
すると不思議なことが起こりました。
普段話しかけない父が話しかけてくるのです。
あとでなぜか考えましたが、その理由は簡単でした。
今までは、愛せない心で父を見ていました。
しかしその時、私は父に対して、
神様はどこを愛しているのか探す目で見ていたからだったのです。
人は視線を受けると、その視線の中に気持ちを感じます。
父は、今までと違う私の視線を感じたのです。

父が私に話してくれたのは、父の昔のことでした。
そのころ私は東京にいたのですが、
父は私の乗ってきた車が多摩ナンバーだったので、
それが話のきっかけとなり、父が戦争の時、
学徒動員で多摩川の近くの工場に行ったという話となりました。
父は故郷の鹿児島から東京まで動員されたのです。
東京は食糧不足で空腹が続き、故郷が慕わしくなって、
父は脱走して鹿児島まで歩いて帰ったのです。
鹿児島の家にたどり着き、
ひどく汚れていた父は風呂に入って食事をしたのです。
しかし次の日、おじいさんから、
「おまえは脱走してきた。だから帰らないといけない。
ここでも、おまえを養えない」という言葉を受けたのです。
父は私にその話をしながら、大粒の涙を流すのです。
父はそれから家を出て以来、故郷と縁が希薄になってしまったのです。

その話を聞いたあと、私は父がとても不憫に思われてきました。
私がそのようにされたら、
おそらく私の性格ではとんでもない不良になったに違いありません。
しかし、そんな体験をした父は、私を愛してくれたのです。
ただ表現が下手だったのです。
そして、父は私とそんな話ができる時を待っていたのです。
そうして、少しずつ私は父を愛せるようになりました。

考えれば、この父がいなければ人生について考えたり、
なぜ自分は生きているのかなど考えなかったに違いありません。
父こそ、私が神様を求め、最終的に
真の父母様に導いてくれた人であることを知ったのです。
私にとって父は私の本当の恩人でした。

父は敵ではありませんが、愛せない人でした。
父は霊界に行きましたが、
私の中で父の価値と存在感は年々大きくなっていく、
かけがえのない人です。

まだまだ、私にも敵はいます。
許せないこともあります。
しかし、愛せない人を愛せるようになった時、
そこに神様はおられるのだということを教えられました。

すぐに敵を愛することは困難です。
愛せない人を自分で愛することはできません。
しかし、神様の親の心から、
その道があるのではないでしょうか?

まず、その人の幸福を祈ってみてください。
そして、その人の長所を見つめて見てください。
そこから私たちが神様を実感し、
喜びの多い幸福の人生の出発があるのではないかと思います。



堕落の血統に生まれた私たちであるが故に、
お互いを裁き、批判しあう思いはまさに本性の如くです。

しかし、創造は、神様の持っておられる二性が
一つになるところから出発しました。
対象を創造したいという、愛の衝動によって、
宇宙創造がなされたのです。

一つになるということは、
莫大なエネルギーを生み出します。

私たちが神様と父母様と
本当に一つになったら、
もっともっと莫大なものを生み出すことができます。
物事を破壊しようとする力以上に
莫大なのです。

そうなっていないということは、
私たちが足りないということです。

説教ブログの証しの如く、
祈りから出発して、
一つになる努力をしていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 11:11 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする