2014年05月15日

まずは、始めてみましょう! ブラジル、オイコス伝道と、一対一訓読の証し


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一対一伝道。
先日、紹介しましたが、その続編です。
まずは、ブラジルの証しから。

八百屋を経営しているサンパウロの食口ですが、
彼は、お客さんに対して「オイコス伝道」を実践し
6名の方を伝道しました。
実際には、10名一対一訓読をして、そのうちに8名が食口になり、
また、6名が霊の孫に一対一訓読をしているそうです。
この6名の中で、5名の方が祝福を受ける意思があるといいます。
さらには、もう「ひ孫」までいるそうです。

彼の証しです。


「一人の対象者に原理講論全ての1対1講義を終了するのに
2か月半かかりました。
原理講論の終わりに近づいたとき、
その対象者はほとんど食口になっていたのですが、
私は啓示を受けました。
『6名に対する講義が終わった後、
彼らが自分の家族や友人に対して
1対1講義をするようにさせなさい。
同時にあなたはほかの6名の新規対象者に対して
1対1講義を始めるようにしなさい。』」



ブラジルからは、あと二人の方の証しを紹介します。


いつも、私は講師ではないから
1対1はできないと思っていました。
しかし、その重要性と証しされている実績を聞きながら、
私は壁を突破し、
義理の妹に対して1対1を始めました。
私はただ青色を、彼女は赤色を読んでいます。
私がある部分を説明すると、
その直後にその説明を(原理講論で)
確認することができたということが何度もありました。
そうして、次第に自信を得るようになりました。
神と真の父母様の導きを請いながら、
次の1対1を開始できるよう、
別の人ともすでに連絡を取っています。
ブラジルの全食口が決意して
1対1を始めることができるようにと切実に祈ります。



初めは1対1をやれないだろうという不安と恐れがありました。
いつも、「もし自分の答えられない質問をされたらどうしよう?」
と考えていました。
固く決意した後、多くの愛をもって開始しました。
なぜなら、今のこの時、天のお父様が
願っておられる活動であるからです。
そこで、ある友人との最初のアポイントを取りました。
それは素晴らしい経験となりました。
神様がまさに私と共におられると感じたのです。
今、私は自分が飛ぶことを恐れず
翼を広げた鳥になったようだと本当に感じます。
現在、4名に対して1対1を実践しています。
これを通して、摂理的に重要なこの時に
神様と真の父母様にお仕えすることが
できるということに大変感謝しています。



私たちの教会でも一対一訓読を実践していますが、
新しい人たちに対しての取り組みはまだまだです。
そんな中ですが、2名の方の証しを紹介します。

          *
一人目は、教育センターでもう2年近く学んでいる方ですが、
教会に対して、なんとなく距離のある感じの方でした。
しかし、霊の親がとても熱心で、
一生懸命、時間をとって一対一訓読をしてきました。
その方と、つい先日話をする機会があったのですが、
訓読のせいか、とても情が近くなったと感じました。
率直に、ずいぶん壁が取れてきていると驚きました。

          *
もう一人は、最近路傍伝道で出会った方ですが、
家庭の状況が大変なので、
家のことを毎回、毎回話してくる方でした。
霊の親が聞き役になり、一生懸命聞いてきましたが
聞くばかりで、とてもみ言を伝える段階ではないと感じていました。
それでも「まずは、(一対一)原理訓読をしたらいい」
とアドバイスをしたところ、その如くに実践しました。
その方は、とても素直にみ言を訓読し、
とてもスッキリした雰囲気になったそうです。


まだ、本当の意味での証しではないかも知れませんが、
これからも地域の人を含めた「オイコス伝道」による
「一対一訓読」を実践して、もっともっと
証しを立てていきたいと思います。


「一対一訓読」は、霊の親子で行いますから、
最高の『愛情表現』といえるのではないでしょうか。
神様のみ言を受ける時間であると同時に
霊の親との授受作用を通して、愛情を育む
そんな濃い時間となるのでしょう。

み言は霊の食事でありますから、
「一対一訓読」は、まだ大きなものはものは飲み込めない
小さな子どもに、噛み砕いて教えるような、
まさに、お母さんが赤ちゃんにオッパイをあげるような、
そんな場面のような気がします。
その場に神様が、どんどん働いてくるようです。


(真のお父様のみ言)

今までこのような偉大なみ言をもって、
今日統一教会食口がこのような風土となったというのは、
大きな罪悪だと見るのです。
そのために、昨年から私が話しをしたことが、
絶対講義をするなということです。
全員、本をもってしろということです。
高等学校を卒業した人であれば、
誰でも皆、講師になることができるというのです。
本を中心として話すことができる趣味を身に付ければ、
家にいる全ての人に、どんな人でもみんな話すことができ、
また読んであげることができるというのです。
しかし、講義を聞いて自分が知っている内容は、
家に行っても第三者に話せないことです。
本と一緒に胸に大切にしまっておくようになったならば、
自分が感じて見たことを、いつでも
自分の証の代わりにすることができるのです。
本で恩恵を受けたことを伝えるのです。
感激した恩賜を受けたならば、
その本を通じてそれを伝えてあげなければならないのです。



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