2014年05月18日

こういう時は、瞑想がよい?! (証し)神様が分からない人、親に愛されなかった人に…etc.



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昨日と今日は忙しく、まとまった時間が取れませんでした。
そのため、記事も簡単にしようと思い、
いろいろと書こうとしていたことを書き始めても
思うように結論が上手くいかずにいました。

「仕方ない、こういうときは心を落ち着けて瞑想だ」
そう思って、瞑想を始めた途端、
瞑想の記事を書こうと思わされました(笑)。

お父様のみ言です。



信仰生活をする人には瞑想の時間が必要なのです。
良いことを思い描きつつ瞑想をしなさいと言うのです。
瞑想をするときは、心の門を開け放ち、
心を丸くして、神様ならば神様を中心として、
神様の本性と私の本性が完全に授け受けできるように、
春の季節に該当する人であれば
春の季節の主体である神様と共にその性稟が、
完全に共鳴できる心の姿勢をもたなければなりません。

(訓教経・1971年2月7日)

心を明るくし、清めようとすれば、世の中と離れて、
私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。
とても孤独な時間ではありますが、
心と親しくなる瞬間こそ、私自身が
心の主人となる祈りの場であり、瞑想の時間です。
周囲の騒々しさを退けて、心を静めていけば、
心の中の最も深いところが見えてきます。

心が落ち着くその深い場所まで降りていくためには、
多くの時間と労力を注がなくてはなりません。
一日で出来ることではありません。

(自叙伝・P235)



他の教会ではありますが、
教育部長さんの証しです。

教育センターで学んでいる婦人なのですが、
一生懸命み言を学んでいるにも関わらず、
「神様がわからない・・・」
そのことで、なかなか先に進まない状態でした。

親に対する恨みが強く、
教育センターに来るたびにその話をされます。
さらには、スタッフや教会の婦人たちにも、
「あなただけに話すけど・・・」
そういいながら、全く同じこと、
親に対する恨み言を話すのです。

教育部長さんも「どうやって恨み解きをしようか」
本当に悩みました。
それで、以前取り組んだことがある
瞑想をしよう、そう思いました。

本部の先生が語られた瞑想の講義、
上述したようなお父様のみ言、
またナレーションや音楽も準備して
ある日、瞑想会をしました。

親は私を愛してきた、
そのことを振り返る時間を持ちました。
また、親から受けてきたことを書き、
親に与えてきたことも書きました。

この婦人は、親に愛されてこなかったように思いましたが、
実際は、ご本人もお子さんがいたので、
自分が、生まれてくるまでの期間、
親がどれだけ準備してきたのかを振り返りました。
全く書くことがないように思ったのに、
延長してもさらに書き続ける自分にびっくりしました。

さらには、自分が親に対して尽くしたこと、
それを思い出そうとしても、
本当に少しのことしか書けない自分にも気づきました。

教育部長さんは、親から愛されてきた私、
その背後に神様の愛が流れてきたのだ。。。
そのことを話すと初めて神様の愛に
触れることができました。

今では、ご主人やお子さんにみ言を伝え、
本当に頑張る婦人になったとのことです。



ある意味では、忙しい時ほど、
心を落ち着けて、瞑想をする方がいいのかも知れませんね。


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posted by ten1ko2 at 22:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする