2014年06月30日

(証し)怖い先生から、私の「お父様」へ! 〈ご父母様との出会い〜周藤先生の場合〉


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☆1967年御来日☆


子として一番幸せなのは親と共にある時で、
親として一番幸せなのは子と共にある時です




昨日の記事で、少しだけ周藤先生の証しを書いたのですが、
周藤先生の導かれた証しを知りたくなりました。
先日、路傍伝道の証しは紹介していますが、
今回は、お父様との出会いを紹介します。
今から、50年近く前の、周藤先生が
お若い頃の話です。


一九六五年、初めて日本に先生が来られました。
その目的は聖地決定のためでした。
また、二回目に先生をお迎えしたのは、一九六七年で、
原理の相続ということが目的でした。

(最初の時は、)私は先生のことが全然わかりませんでした。
先生はすべてをお見透しだということを聞いていたので、
ただ怖かったのです。
ですから先生を見たかったけれど傍にも寄れず、
先生には見られたくなかったのです。
したがって、情的な因縁は何も結べませんでした。
先生が帰られた時は“ああ、良かった”とさえ思ったのでした。

しかし“私は何のためにこの教会に来たのだろう。
先生のために自分のすべてを捨てて来たのに、
先生が帰られたら、『ああ良かった』とは
いったい何たることか”と思ったら
すっかり基準が下がってしまいました。

先生は、『先生に会う前と会った後との心情の違いはどうか』
という話をされました。
私は三年間一生懸命やったつもりだったのですが、
結局何のためだったのかわからない、
という惨めな気持ちでその後二、三年は
ちょっとした影を持ってしまいました。


二回目は先生ご夫妻お揃いでおいでになりました。
夜になると先生が長い時間話してくださいました。

「二日間以上誰かと一緒に住んだら、
その人のために
自分の持っているすべてを上げたくなります。

自分は愛の気持ち(心情)を抑えることが
できなくて、苦しくなります」


私は愛情が湧いてこなくて苦しくなることがありますが、
先生は抑え切れなくて苦しくなるというので、
これはもう天地の違いを感じました。

修練会も終わり、先生が帰られることになりました。
その時は強烈なお話があって最後に、
「みんなやりますか!」と言われ、
皆は「ハイ、やります」と勢い良く答えました。

ところが、先生はそれでいったん去って行かれたのですが、
皆が立ち始めた時に、またその場に帰って来られたのです。
今度はなんだか雰囲気が違うのです。
今、激しい勢いで語られたのに、
帰って来られた先生はもう雰囲気が違うのです。

それでみんながまた座ると先生は、このような話をされました。

「子として一番幸せなのは親と共にある時で、
親として一番幸せなのは子と共にある時です。
しかし先生は行かなければならない。
兄さんはお父さんの代わりとなり、
姉さんはお母さんの代わりとなって、
下の者の世話をしなさい。
下の者もお父さん、お母さんの代わりに
兄さん姉さんに従って行きなさい」


そうしているうちに先生の目から涙が流れてきました。

私は“子は親を離れられるが、親は子を離れられないのだ。
だからまた帰って来られたのだ”ということを知りました。

その時、「二日一緒にいたら……」とおっしゃった
先生のみ言が実感としてわかったのです。
何人か泣いていた人もありました。
本当に短い話でしたが、『最愛の人』と
別れるような真剣な最後のみ言でした。

その後先生はお出かけになり、兄弟たちはそれぞれに散って行きました。
そして私は本部の先生のお部屋の隣りで仕事をしていました。
すると、フッと後ろの戸が開いたので振り返って見ると、
そこには先生が立っておられました。
私が、「先生お帰りなさい」と言うと、
先生は何もおっしゃらないで、ジーッと見ておられました。
その内に一言、「もうみんな行ったの」とおっしゃったのです。
私が「はい」と答えると、先生は肩をしぼめて出て行かれました。
その時の顔よりも言葉よりも、
先生の背中を見た時に私は何とも言えない気持ちになり、
先生の気持ちがよくわかりました。

先生は用事があって出かけて行かなければならないけれども
皆と別れられない、離れられない、
しかし先生は行かなければならなかったのです。
そして帰って来る時にも、
あれほど激しくみんなを追い出したのですが、
しかしある一面まだ、誰か一人でもいいから、
残っていてくれないか、また誰かに会えないだろうか
と思って帰って来られた先生だったのです。
その後ろ姿を見ながら、私は『お父様』と言って
飛びついて行きたいような気持ちでした。

その時に私は初めて先生の中にお父様を発見したのです。
それは原理を発見した方だからでもなく、
サタンを屈服した方だからでもなくただ愛のゆえに
先生がお父様であるということを感じたのです。
それから私の心情の世界が大きく変わり始めました。
私にとって先生との出会いが大きな心情の転機になりました。



周藤先生もお父様が全てお見通しであり
「怖い」と思っていた時があったのですね。

そんな周藤先生ですがアメリカに投入され、
さらには、水沢里を始めとして、
様々な修練会でいつもお父様の側で侍っておられました。

「周藤!」と呼ばれながら、
小さな周藤先生が「はい!」と叫ばれる姿に、
何か、暖かい雰囲気を持つことがありましたが、
その背後には、忘れることのできない
お父様との親子の出会いがあったのだと知ることができました。

信仰の原点を忘れることなく、
み旨に投入することが大事なのだと感じます。

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2014年06月29日

「天宙復帰する者、この指とまれ!」 一心一体一念、一核を成すために!


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天聖経のみ言の最後、お父様の祈祷を訓読していると、
何度も「一心一体一念一核」という言葉が出てきます。

一心一体一念あるいは、一和というみ言はありましたが、
「一核」というみ言は比較的
新しく出てきたのではないかと思います。

心と体が一つになる。
また、思いが一つになる。
神様と一つになることが出来るというのは、
それ以上なのだ・・・
それが「一核」という言葉を通して、
神様ともっと近くになることのできる
そういう時代圏なのだということを
お父様が示してくださっていると感じます。

「核」とは、「中心核」という単語の如く
真ん中を意味しています。
また、「細胞核」のような単語もあります。

すなわち、細胞の隅々まで
神様と一つになり、
私の中心に神様をお迎えできる
そのような時代であり、
恩恵のときであることを言われていると感じます。

一つになることによって、
今は本当に素晴らしい恩恵を受けることのできる
そのような時であるというのです。


しかしながら、一つになることに反し、
批判する人たちがいます。
神様を否定し、霊界を否定し、
また、真の父母様を否定します。

また、批判する人たちは、
批判するだけです。
すなわち、代案がないのです。

拉致監禁を受けているとき、
牧師が登場してきて、
原理に関して、やり取りをする時がありました。

天国に関してだったと思います。
原理の言われている天国は
実際にはあり得ない、そういうことを
さまざまな観点から否定してきました。
「統一教会で言うところの天国は実現できない」
そう言い張りました。

まだ、最初の頃だったので、
偽装脱会の前でしたから、
思いのたけをぶつけてみました。
「じゃあ、先生。
キリスト教でいう天国、
あるいは先生の言われる天国は
どのような世界なのですか?」
そう質問してみました。

牧師は何と答えたのでしょうか。
実は、全く覚えていないのです。
というか、それくらい
説得力が全くありませんでした。

本当にそう信じているのかな?
何か、とってつけたように話しているな・・・
そんな気がしてなりませんでした。

とりあえずは、その時の牧師とのやり取りでは、
「そうですか、それが天国なのですね・・・」
何か、そう受け答えしたような記憶があります。

彼らは、批判はするけれど、
本当に天国を実現しようと思って
牧師活動をしてないな・・・
そんな思いを秘めながら、
「牧師の言いなりにはならないぞ」
と決意を固めていたのでした。


勝共理論には、
「共産主義の批判と代案」というのがあります。
ただ、批判するだけではなく、
しっかりと代案を提示しているのです。

批判はいくらでも出来ます。
重箱の隅はいくらでもつつくことが出来ます。
でも、代案を提示することができるでしょうか。

神様がおられ、その神様の願いがある。
これは厳然とした事実です。
その証明をする私たちの表現がつたないからと
いくらそこをつついたとしても
神が存在しており、創造理想が具体的にあり、
原理通りに働いているこの宇宙であることは確かです。

私たちは、本当に天国が実現できると
確信を持っている者たちです。
しかし、批判をしている人から見れば、
かつて周藤先生が
「天宙復帰する者、この指とまれ」
「はい!」と言って、皆が指をつかんだ時代に、
信じられなかった人たちと同じように
「幼きものの戯言よ」
そのように思っているのでしょうか。

でも、必ず実現するのです。
そして、そのためには、
私たちがよりいっそう神様と一つになること。
何よりも「一核」の精神を持って歩むこと、
そのことが必要なのではないかと感じます。

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2014年06月28日

子供たちの「人生の応援団長」でありたい!?《多田講師の家庭力UP講座》


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昨日に続いて、家庭力アップ講座の紹介です。
今日は、「子供の反抗期は親がつくります」
をテーマにした内容です。



子供の成長過程には、反抗期というものがあります。
「うちは反抗期のまっただ中です。反抗して大変なんです。」
と思春期を迎えた親からよく聞きます。
また反対に「反抗期はありませんでした」などと言いますが、
子供は反抗したくて反抗しているわけではありません。
むしろ、親が反抗期をつくりだしている場合もあるのです。

人間は自由意思と自由行動によって責任分担を果たすようになっています。
小学生、中学生、高校生と、成長とともに
自由意思と自由行動の世界が拡大していくのです。

幼児のころは全面的に親に頼っていた子供も、
成長するに伴い、自立心が芽生えてきます。
自分でやってみたい、自分で考えてみたいという心が芽生えているのに、
小さいころと同じように扱うと、子供の自立心を妨げてしまいます。
その結果、それをはねのけようとして子供が
親に反発することを、反抗期というのです。
ですから、反抗期と言うよりは、「自立期」
と言う方がいいのではないかと思います。
子供から大人へと心が成長していく大切な時です。
心が不安定になり、敏感になっていく時期です。
ですから、自分でも自分の心をコントロールできなくなっています。
ですからついカッとしたり、反発して
親の心を傷つけたりする言葉を語ってしまうことになります。

親が子供の心の動きにアンテナを張っていれば、
子供の心の変化はいくらでも感じ取ることができるのに、
それをしないまま、今までと同じように子供と対応して、
それに対して子供が口答えをすると、
親は「親の言うことが聞けないのか。」と決めつけ、
高圧的に怒ってしまうわけです。

また、「うちの子は全く反抗しません。問題ありません」
という家庭はもっと深刻です。
なぜなら、反抗すらもできない子供に育ったということは、
自立期を通過しているかをよく見てあげなければなりません。
いろいろと我慢して自分の心の中にため込んでいる可能性があります。
そのような人は、下手をすると主体性がなくなり、
自信を持てなくなる可能性があるのです。

私達は生涯、子供の「人生の応援団長」でありたいものです。
いいことがあれば一緒に喜んであげたいし、
悲しいことがあれば一緒に悲しみを分かちあってあげたいと願います。
しかし、子供が大きくなるにしたがって
だんだんと子供の心が理解できなくなってしまいます。
そんな時、子供の行動が、次第に受け入れられなくなってしまうでしょう。
子供の気持ちを共感できなくなっている
自分を発見することが多くなります。
そして、イライラして子供の行動だけを変えたいと思ってしまいます。




先日もお話したと思いますが、
長男は、高校1年生ですが、
男の子ということもあり、
なかなか自分の思いを話しません。

中学1年の次男は、もっと話しません。
最近忙しくて、一対一で話す時間を
なかなか作ることが出来ませんが、
先日、そのような場を持った時に、
なかなか心を割って話しませんでした。

ただ、そんな息子も部活に入り、
とても一生懸命頑張っているので、
そのことを話題にすると
心を開いて話してくれます。
また、もともと運動が好きなので、
一緒にキャッチボールをしたりすると
喜んでいるのがわかります。

「人生の応援団長」と感じてくれていればいいのですが。。。

ちなみに、末っ子の三男は甘えん坊なので、
こちらが求めなくても向こうから寄ってきます。
「お父さ〜ん」という猫撫で声には、
どうしても「な〜に〜」と返事をしてしまいます(笑)

しかし、同じ親から生まれた子供なの?
と思うくらい、個性的です。

子供達と接する時間は、
一日にそんなに長くありません。
また、将来は家を出てしまうことを思うと、
わずかな期間、本当に大事にしてあげたいな、と思います。

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