2014年06月12日

(証し)親子の心情を結べなければ離れるかも! 《真の父母との出会い〜佐藤のお母さんの場合》前編


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教会長は、毎日のように
「今は本当に貴重な時です。
真の父母様と生きて共に歩めることが
どれだけ感謝かわかりません。
一日一日を、一瞬一瞬を大切にしましょう」
そのように語られます。

伝道の出発式の場で頂けるみ言や
証しに力を得て
日々、歩む活力にしています。

そんな中で、CIGのメンバーが
ホームチャーチで勝利している
佐藤のお母さんの証しをしてくれました。

また、証しの記事も見つけることが出来たので、
特に感動したところを紹介します。



真のお父様と“親子”の出会い


私が最初に真のお父様とお会いしたのは、
一九七一年八月に訪韓したときです。
そのとき、日本から百二十人が韓国に渡りました。

そのとき私は、初めてメシヤにお会いするということで、
とても深刻になっていました。
メシヤについて、「原理を解かれたかたである。」
ということは理解していましたが、
「そのかたが自分の命の親であり、絶対的なおかたである。」
ということが、心情的に理解できていなかったからです。

一緒に歩んでいる兄弟たちは、祈るときに、
真のお父様を慕って「お父様、お父様。」と泣いて祈ります。
ところが、私はそのような心情にならなかったのでした。

そのとき私は、み旨の最前線で歩んでいましたが、
“立てられるだけの条件を立てよう。”と思いました。
そして、「メシヤと私が、肉の親子以上の
心情の因縁を結ぶことができるように。」と祈りました。

さらに四十日間以上、四十杯の水行をしたり、
毎朝四十分の祈祷をしました。
また、四十時間断食を何度も行いました。
そして、『原理講論』を一日に三ページ、
毎日絶対に欠かさず訓読したのです。

み旨の最前線で歩んでいたので、目標を達成しなければ、
夜の十二時まで歩むという条件を、
一週間ごとに立てるような闘いもしました。
真のご父母様に初めてお会いするために、
自分でできるあらゆる条件を立てて臨んだのです。

一生懸命に条件を立て、
“もし、これで親子の心情を結ぶことができなければ、
私は離れていくかも知れない。”とまで思いました。
ですから、私はとても深刻な思いを抱いて韓国に渡りました。

韓国に行くと、一緒に行った兄弟姉妹たちは
「お父様、お父様。」と言って、真のご父母様を慕うのです。
そのとき壮婦が、六、七人いました。

そのかたたちは、伝道されて三年以上はたっているかたたちばかりで、
私のようにただ言われて来たのではなく、
みんな求めてきている人たちでした。

九里市の水澤里の中央修練院で、初めに修練会が行われました。
私はそのとき、メシヤというおかたは、
私のお父様というように心情的に近いかたではなく、
恐ろしいおかたであると感じていましたので、
ずっと後ろのほうの席に座って「原理」を聞いていました。

真のお父様は、朝六時ごろに私たちの所に来られました。
そして「お父様は、これから清平に行くよ。
二、三日は帰ってこないから、皆さんは一所懸命、頑張るんだよ。」
とおっしゃったのです。

すると兄弟たちは、「お父様、それはいやです。」とか、
「歌を歌ってください。」とお願いするのです。
私には、そのようなことをお願いする
心情的な余裕も因縁もありませんでした。
真のお父様は、そこで歌を歌われて出て行かれました。

私は、“どんなことをしても、真のお父様と
親子の心情関係を復帰しなければ、離教するかもしれない。”
と深刻に考えていましたので、
修練会で「原理」を一生懸命に学びました。

数日後のことです。
柳光烈先生から「統一教会史」を、初めて聴きました。
そのなかで、興南における真のお父様の路程を聴いたとき、
涙が滝のように流れて止まらなくなったのです。

四十度の発熱にもかかわらず、真のお父様は硫安の袋をかつがれ、
絶対に休まずに働かれたというような話を聞いているうちに、
私はだんだん“自分が偽り者だ。”と思うようになりました。

私たちのために苛酷な強制労働をされたかたが、
真のお父様であると分かったときに、
“この人が親でなくて、一体だれが親だろうか。”と思ったのです。

そのときに、“何があったとしても、自分は命をかけて、
このかたについていこう。”と決意したのです。
そのときは、恥ずかしいほど号泣しました。

真のお父様が朝、出発されたのですが、
午後二時ごろに戻ってこられたのです。

そのとき真のお父様は、聖進様のお母様の証しをされました。
聖進様のお母様も大変な歩みをされましたが、
真のお父様は「この世で、聖進様のお母様ほど
先生を愛した女性はいなかった。」と言われました。

その当時、私は夫と外的には別々に
生活をしながら聖別生活をしていました。
心の中では、“この人は主人である。
主人はおとなしい人だからめったに会わないけれども、
心情的には仲が良く、苦しいときでも
話せばすべて分かってくれる。”と思っていました。

ところが、“このようにどんなに愛していても、
どんなに慕っていても、それはサタンを中心とした夫婦であるならば、
ここではっきりと分別しなければならない。”
ということが分かったのです。
それで、真のお父様が語られたときに、
自分のことを語っていらっしゃると思ったのです。

真のお父様は、「聖進様のお母様は、もし先生が傷を受けたなら、
自分のももの肉を切り、張りつけてあげたとしても
惜しくないほど先生を愛したんだよ。その女性と別れたんだよ。」
と語られたときに、私は耐えられなくて泣きました。

そのとき真のお父様は、突然、
「佐藤、いるだろう。」と言われるのです。
私は会場の後ろの方にいました。
後ろにいたのは、献身的に歩み始めたばかりで、
私は何の役にも立っていないと思っていたからです。

しかし、自分に向かって言われているということが分かったので、
私は恐る恐る、「はい。」と返事をして立ち上がりました。

「おまえ、名前は何と言うのか。」
「久江と言います。」と申し上げると、
真のお父様は、「もうこの女は汚くて、どうしようもない女だ。」と、
本当にどうしようもないというように言われたのです。

子供のころから、私はとても体が弱かったため、
母親から愛されて育ちました。
引き付けを起こしたりするために、
中学生になっても、母親に抱いて寝てもらっていたほどでした。
ですから母親は、私をたたくようなこともなく、
しかるようなこともしませんでした。

真のお父様の叱責のみ言を通して、
“このかた(真のお父様)は、私が生まれる前から、
すべてご存じである。”ということが分かったのです。
そして、再び“このかたが真の親でなくて、
一体だれが真の親なんだろう。”と思いました。



聖進様のお母さん(第一のお母様)の証しを
聞いたことがありましたが、
お父様が佐藤のお母さんに語られていたのだと
初めて知りました。

それでも、分別しなければならなかったお父様でした。
聖進様とお母さんがボンネッコルに訪ねてきたとき、
そこにおられた金元弼先生は、
この人たちが誰なのか、知らなかったといいます。

基台を失い、父母として立つことが出来なかったので、
弟子たちに語ることが出来なかった真のお父様でありました。
そんな試練も全て越えてこられたのでした。

明日に続きます。


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あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
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さらに、ブログの記事においては
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曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
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(もちろん、善なる目的で
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その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月11日

私たちの教会の黄金時代を作ろう! 〜「神霊と真理に満ちた」草創期の教会を目指して〜



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真のお父様は特に新しい食口に深い関心を寄せ、
温かい愛で感動を与えられた。
汗と涙で服がびしょ濡れになる切実な祈りに、
食口たちは「父に出会った」と号泣した。

真のお父様はのちに、
「あの時が統一教会の黄金時代だった」
と回想された。



私達の教会で行っている路傍伝道。
街頭遊説では、毎回このように叫んでいます。

「世界基督教統一神霊協会は韓国のソウルで産声をあげました。
1954年5月1日に出発しましたが、
そのときは、本当に小さな教会でした。
それから60年。
日本においても300近くの教会があり、
全世界にも広がっています」

お母様が、「神霊と真理に満ちた」
草創期の教会のように、と言われますので、
当時はどんな雰囲気だったのだろう・・・
そんなことを思いながら演説をしていますが、
今回、韓国ウィークリーニュースで
ちょうどそのころの様子をうかがい知ることが出来ました。


真のお父様は協会創立以降、昼も夜も説教をされ、
毎日、食口の信仰を指導された。
1954年4月に入教した梁允永教授が
社会の指導者クラスの人々を導き、
劉孝元協会長が三大門教会で講義を続けた。
劣悪な(環境だった)三大門教会では
伝道がわずかしか実らなかったため、
梁允永教授の自宅を原理講義所にして、
さらに慎重に伝道を進めたのである。

当時、体が不自由だった劉孝元協会長は、
横になって紙に書き記しながら、
1日平均15時間ずつ講義を行い、
劉孝敏、梁允永、盧東輝、安昌成、李信徳氏などが
積極的に活動した。
初めて来た人は夕方に来て講義を聞き、
さらに聞きたい人は大抵、3日間教会で寝泊りしながら、
修練会方式で講義を聞いた。
講義の後には、真のお父様が
直接み言を語られた。
この時は、入教日が一日違うだけで
その差が大きく感じられて気をもむほど、
高ぶった雰囲気に満ちていた。

食口は宴会のような雰囲気の中、
夜を明かしてみ言を聞き、
新天地に出会った喜びの中で、心霊を育んだ。
真のお父様は特に新しい食口に深い関心を寄せ、
温かい愛で感動を与えられた。
汗と涙で服がびしょ濡れになる切実な祈りに、
食口たちは「父に出会った」と号泣した。

10畳の畳の部屋には男性が、
奥の間には女性が毎日のように寝泊りし、
家の中はごった返していた。
梁教授は下宿の大家の役割を担った。
周りの親戚は気が狂ったと非難したが、
心はいつも宙に浮いているような気分で、
正に天国生活だった。
3カ月で、梁教授の家の練炭千枚、
トラック2台分の薪、米20俵以上が底をついた。
真のお父様はのちに、
「あの時が統一教会の黄金時代だった」と回想された。

1954年の秋から始まった伝道旋風の勢いは、
1955年になっても留まる所を知らなかった。
韓国社会のどこにも見出せない希望が、
教会に溢れていた。
原理講義室は毎日宴会場のように人で混み合い、
劉孝元協会長の情熱的な講義の声、
もしくは祈りと笑い声で溢れていた。

真のお父様は当時、36歳の若さであったにもかかわらず、
寛大な親であり、情に溢れた誇らしい大家族の家長であった。
先輩・後輩に関わらず、すべての食口は互いに親密な兄弟姉妹であり、
それぞれの事情を皆で分かち合った。
初対面でも感激しながら接し、
別れる時は心から惜しみながら
(家の)中でも外でも涙を流した。


1955年1月17日、本部教会は城東区興仁洞、
今の中区新堂1洞241-44番地に移転した。
新しい教会は、広い庭と大きな講義室、
そして、部屋が三、四つあるこぎれいな和式木造建物だった。
玄関はいつも大変な賑わいで、
市内の各大学からは多くの篤実な信者が訪ねてきた。

興仁洞における最初の礼拝は70数人で始まったが、
4月中旬には200人を超えていた。
讃美は一度歌い出せば、何十回と繰り返された。
真のお父様の祈りは、霊魂に深く染み通る痛哭であり、
涙の叫びであった。
多くの食口が、神様とイエス様と真のお父様の恨と悲しみに触れ、
周りのことを気にも留めずに大声を上げて泣いた。

初代教会の時のマルコの屋根裏部屋で起こったような聖霊の役事が起こり、
異言、通弁、癒しの恩賜、霊界の歌と踊りの役事、
イエスとの霊交、幻などで満ち溢れた雰囲気であった。
食口は主を迎えるために空中に引き上げられるような気分を味わいながら、
愛と恵みに満ちて過ごした。
寝ても覚めても天のみ旨に徹した日々だった。

(出典:『真の父母様の生涯と摂理』第1巻)



私たちが「旧本部教会」と表現するところは、
1955年1月に70数名で出発し、
3ヵ月後の4月中旬には、200人を超えていた、
ということですから、たった3ヶ月で
3倍の教勢になったということです。
本当に驚くべき数ですね。

その旧本部教会以前の、1954年、
梁允永教授の自宅を解放しての
お父様をして「統一教会の黄金時代だった」と言わしめた
3ヵ月の期間があったということです。

このような、み旨に明けてみ旨で暮れる
草創期の教会では、
お父様の切なる心情を中心としながら、
歩む食口たちを通して、多くの奇跡が生まれました。

若いお父様の姿はこの地上にはありませんが、
お父様の霊が臨まれる時代、
この当時の雰囲気を相続している教会があるとすれば、
同じような役事が起きるに違いないと思います。

私たちも足りないながら、
教会長を中心として一つになれば、
必ず役事が起きることを信じて、
もっと頑張っていきたいと思います。

(真のお母様のみ言)

どうすれば神霊と真理に復興された
草創期統一教会に戻るのでしょうか?
原理のみ言が後を絶たず、
み言を聞いて祝福受けようとする若者たちで
混雑したそのような教会になることはありませんか?

劉孝元教会長は、
毎日16時間ずつ原理のみ言を伝えました。
そのように大変で体が不自由であっても、
命をかけてみ言を伝えたあの頃と
同じ統一教会にする必要があります。
新しい食口が増える教会、
躍動感あふれる教会を
どのように作るかについて寝ずに悩んでいます。
お父様が繰り広げられたことが
あまりにも広大ですが、
それをお父様のみ旨に合わせて
保全して差し上げることができなくてとても心が痛いです。

どのように継続して推進するのかをめぐり
多くの悩みをしました。
そのことをしようと思う私は眠れません。
今食べてることもできず、寝ようとしても眠れません。

伝道のみに総力を尽くします。


2012.10



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2014年06月10日

【特報】キリスト教牧師が統一教の教会長に?! ☆ ヤンキ―大会の奇跡 (米会長報告)


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アメリカは神様を中心とする理想世界のひな型

*
神様には黒も白も黄も区別ありません



統一教会において、6月といえば、
様々な歴史的な大切な記念日が多いのですが、
6月1日は何の日でしょうか?

今回のアメリカ・マイケルバルコム会長の
週刊メッセージでは、最初に、
素晴らしいニュースが報告されており、
また、1976年のヤンキー大会の特集が掲載されています。

この二つは、奇しくも38年の時を経て、
同じ6月1日に成されたビッグ・ニュース
ということになるのではないでしょうか。

今回の内容は、盛りだくさんなので、
一部、省略して紹介します。


皆さん、こんにちは。
先週の日曜日に素晴らしいことありました。
タニヤ・エドワーズ牧師がマンハッタンの
ニューヨーク家庭教会の牧会者として着任したのです。

皆さんご承知の通り、タニヤ牧師は
キリスト教ペンテコステ派の牧師です。
彼女に私たちの主要な教会を任せるという考えは
真のお母様から出たものです。

数ヶ月前、タニヤ牧師、金会長、
ジョージ・スターリングス牧師と私で話し合い決定されました。

この数週間、タニヤ牧師は礼拝に参加して
マンハッタン教会の兄弟姉妹と親交を深めてきました。
彼女の初めての礼拝は素晴らしいものでした。
ニューヨーク近郊のほとんどの牧会者と国家リーダー達が参席しました。

何より、タニヤ牧師の家族が
全面的に彼女をサポートする様子が感動的でした。
御主人のジェシー・エドワーズ牧師はもちろん、
宣教師であるタニヤ牧師のお母さん、
やはり宣教師である兄と甥の皆さんも
タニヤ牧師が神様の重要な召命を受けたことを
誇りに感じている様子でした。

彼女に手をあて、この仕事を始めるにあたり
真の御父母様、真のお母様の霊が
彼女を通して働くように祈りました。


ここ2、3週間、このチャペルで様々な行事が行われました。
先週には梁昌植(ヤン・チャンシク)会長を、
御父母様から任命されたアメリカ特命総使として再びこの地に迎えました。

梁会長は、キリスト教圏統一の条件として
南北アメリカの一体化に向けて努力すると話されました。
そしてこのことが、お父様が言われるように
韓国と北朝鮮の統一につながります。
梁会長は、UPF(天宙平和連合)、女性連合、
ACLC(アメリカ聖職者指導者会議)と協力して仕事を進められます。
金会長の私も皆一つになって最善を尽くすことを誓いました。


「アメリカに対する神の希望」聖地巡礼ツアーが迫ってきました。
毎週テーマに基づいて紹介したいと思います。
アメリカ復興運動のハイライトを振り返ってみましょう。
1976年6月1日のヤンキ―・スタジアム大会です。

38年前、真のお父様はニューヨークの中心に立って
「アメリカは神様の希望である。
アメリカは神様の下に帰り、世界救済の指導国家として
神様の願いに応えなければならない」
と高らかに宣言されました。

その日、真のご父母様と共に過し、
それ以降も仕えて来たメンバーに感謝しながら
1976年のGod Bless Americaヤンキ―大会を見てみましょう。


(以下、当日の映像を編集したVTR)

ヤンキ―スタジアムに突然、竜巻と嵐がやって来て、
飾り付けがかなり壊れました。GOD BLESS AMERICAと
巨大な文字で綴ったサインも風に吹き飛ばされてしまいました。
マイク・レオニ氏が飛んでいく文字を捕まえようと、
まるで首を切られた鶏の様に走り回っていたのを覚えています。

大雨と風で、もう駄目だと思いました。
音響会社の人がやってきて高価なマイクを差し出して
「これを見ろ、すごく高価なマイクなんだよ」と言って
逆さにするとコップを逆さにしたように水が流れ出しました。
「我々は引き揚げるよ」と彼は言いました。

兄弟姉妹達が「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌い始めました。
すると、日が差し始めて、まるで神様が奇跡を起こされたようでした。

飾り付けは飛び散り、ステージはひどい状態でしたが、
お父様は来られて見事なスピーチをされました。
お父様のスピーチの「アメリカは神様を中心とする理想世界のひな型である」
という部分に強く感動しました。

(お父様のスピーチ)

「神様には黒も白も黄も区別ありません。」

「今日、私たちの忠誠と献身で聖なる使命を
成し遂げることを全能の神様に誓いましょう。」

「神様の名によって一つになり、共に地上天国を、
まさにこの地に打ち立てましょう。」

「神様の祝福が皆様にありますように。
神様がアメリカを祝福して下さいますように。」



今日は以上です。
皆さん、ツアーでお会いしましょう。
素晴らしい一週間をお過ごしください。



アメリカでは、プロテスタントの牧師が
牧会者になられたといいます。
今の日本ではとうてい考えることの出来ない
画期的な出来事だと感じます。

ちなみに、タニヤ牧師のご主人
ジェシー・エドワーズ牧師が、
まず統一教会に導かれ、
そのあとに奥様であるタニヤ牧師を伝道し、
そして、2001年に祝福を受けておられます。

1990年代に教会のセミナーに参加されました。
そのときのエドワーズ牧師の心境です。

「最初は行くのを躊躇したのですが、
私は文師とは何者であり、
統一教会とはどのような教会であるのかを、
“人から聞いた話で判断するのではなく、
自分の目で見て、自分の耳で聞いて
確かめなければならない。”と思って行ったのです」

この決意に神様の役事があったのだと思います。

また、統一教会との関係を持つことで
多くの迫害を受けたそうです。
機会があれば、お父様との出会いなど
証しを書こうと思います。

最初のキリスト教牧師の牧会者就任。
これから、アメリカのキリスト教と
統一教会の歩み寄りが成されることを願いたいです。


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