2014年06月11日

私たちの教会の黄金時代を作ろう! 〜「神霊と真理に満ちた」草創期の教会を目指して〜



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真のお父様は特に新しい食口に深い関心を寄せ、
温かい愛で感動を与えられた。
汗と涙で服がびしょ濡れになる切実な祈りに、
食口たちは「父に出会った」と号泣した。

真のお父様はのちに、
「あの時が統一教会の黄金時代だった」
と回想された。



私達の教会で行っている路傍伝道。
街頭遊説では、毎回このように叫んでいます。

「世界基督教統一神霊協会は韓国のソウルで産声をあげました。
1954年5月1日に出発しましたが、
そのときは、本当に小さな教会でした。
それから60年。
日本においても300近くの教会があり、
全世界にも広がっています」

お母様が、「神霊と真理に満ちた」
草創期の教会のように、と言われますので、
当時はどんな雰囲気だったのだろう・・・
そんなことを思いながら演説をしていますが、
今回、韓国ウィークリーニュースで
ちょうどそのころの様子をうかがい知ることが出来ました。


真のお父様は協会創立以降、昼も夜も説教をされ、
毎日、食口の信仰を指導された。
1954年4月に入教した梁允永教授が
社会の指導者クラスの人々を導き、
劉孝元協会長が三大門教会で講義を続けた。
劣悪な(環境だった)三大門教会では
伝道がわずかしか実らなかったため、
梁允永教授の自宅を原理講義所にして、
さらに慎重に伝道を進めたのである。

当時、体が不自由だった劉孝元協会長は、
横になって紙に書き記しながら、
1日平均15時間ずつ講義を行い、
劉孝敏、梁允永、盧東輝、安昌成、李信徳氏などが
積極的に活動した。
初めて来た人は夕方に来て講義を聞き、
さらに聞きたい人は大抵、3日間教会で寝泊りしながら、
修練会方式で講義を聞いた。
講義の後には、真のお父様が
直接み言を語られた。
この時は、入教日が一日違うだけで
その差が大きく感じられて気をもむほど、
高ぶった雰囲気に満ちていた。

食口は宴会のような雰囲気の中、
夜を明かしてみ言を聞き、
新天地に出会った喜びの中で、心霊を育んだ。
真のお父様は特に新しい食口に深い関心を寄せ、
温かい愛で感動を与えられた。
汗と涙で服がびしょ濡れになる切実な祈りに、
食口たちは「父に出会った」と号泣した。

10畳の畳の部屋には男性が、
奥の間には女性が毎日のように寝泊りし、
家の中はごった返していた。
梁教授は下宿の大家の役割を担った。
周りの親戚は気が狂ったと非難したが、
心はいつも宙に浮いているような気分で、
正に天国生活だった。
3カ月で、梁教授の家の練炭千枚、
トラック2台分の薪、米20俵以上が底をついた。
真のお父様はのちに、
「あの時が統一教会の黄金時代だった」と回想された。

1954年の秋から始まった伝道旋風の勢いは、
1955年になっても留まる所を知らなかった。
韓国社会のどこにも見出せない希望が、
教会に溢れていた。
原理講義室は毎日宴会場のように人で混み合い、
劉孝元協会長の情熱的な講義の声、
もしくは祈りと笑い声で溢れていた。

真のお父様は当時、36歳の若さであったにもかかわらず、
寛大な親であり、情に溢れた誇らしい大家族の家長であった。
先輩・後輩に関わらず、すべての食口は互いに親密な兄弟姉妹であり、
それぞれの事情を皆で分かち合った。
初対面でも感激しながら接し、
別れる時は心から惜しみながら
(家の)中でも外でも涙を流した。


1955年1月17日、本部教会は城東区興仁洞、
今の中区新堂1洞241-44番地に移転した。
新しい教会は、広い庭と大きな講義室、
そして、部屋が三、四つあるこぎれいな和式木造建物だった。
玄関はいつも大変な賑わいで、
市内の各大学からは多くの篤実な信者が訪ねてきた。

興仁洞における最初の礼拝は70数人で始まったが、
4月中旬には200人を超えていた。
讃美は一度歌い出せば、何十回と繰り返された。
真のお父様の祈りは、霊魂に深く染み通る痛哭であり、
涙の叫びであった。
多くの食口が、神様とイエス様と真のお父様の恨と悲しみに触れ、
周りのことを気にも留めずに大声を上げて泣いた。

初代教会の時のマルコの屋根裏部屋で起こったような聖霊の役事が起こり、
異言、通弁、癒しの恩賜、霊界の歌と踊りの役事、
イエスとの霊交、幻などで満ち溢れた雰囲気であった。
食口は主を迎えるために空中に引き上げられるような気分を味わいながら、
愛と恵みに満ちて過ごした。
寝ても覚めても天のみ旨に徹した日々だった。

(出典:『真の父母様の生涯と摂理』第1巻)



私たちが「旧本部教会」と表現するところは、
1955年1月に70数名で出発し、
3ヵ月後の4月中旬には、200人を超えていた、
ということですから、たった3ヶ月で
3倍の教勢になったということです。
本当に驚くべき数ですね。

その旧本部教会以前の、1954年、
梁允永教授の自宅を解放しての
お父様をして「統一教会の黄金時代だった」と言わしめた
3ヵ月の期間があったということです。

このような、み旨に明けてみ旨で暮れる
草創期の教会では、
お父様の切なる心情を中心としながら、
歩む食口たちを通して、多くの奇跡が生まれました。

若いお父様の姿はこの地上にはありませんが、
お父様の霊が臨まれる時代、
この当時の雰囲気を相続している教会があるとすれば、
同じような役事が起きるに違いないと思います。

私たちも足りないながら、
教会長を中心として一つになれば、
必ず役事が起きることを信じて、
もっと頑張っていきたいと思います。

(真のお母様のみ言)

どうすれば神霊と真理に復興された
草創期統一教会に戻るのでしょうか?
原理のみ言が後を絶たず、
み言を聞いて祝福受けようとする若者たちで
混雑したそのような教会になることはありませんか?

劉孝元教会長は、
毎日16時間ずつ原理のみ言を伝えました。
そのように大変で体が不自由であっても、
命をかけてみ言を伝えたあの頃と
同じ統一教会にする必要があります。
新しい食口が増える教会、
躍動感あふれる教会を
どのように作るかについて寝ずに悩んでいます。
お父様が繰り広げられたことが
あまりにも広大ですが、
それをお父様のみ旨に合わせて
保全して差し上げることができなくてとても心が痛いです。

どのように継続して推進するのかをめぐり
多くの悩みをしました。
そのことをしようと思う私は眠れません。
今食べてることもできず、寝ようとしても眠れません。

伝道のみに総力を尽くします。


2012.10



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