2014年07月02日

(証し)足に鎖をはめられて! 迫害を越え「信仰の根」となった金仁珠先生〈前編〉


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初創期の時に教会に来た人は、
誰もが受難の道を歩んだのです。
その時、数多くの人々が教会に来ていたのですが、
周囲の迫害に勝つことができずに、
皆倒れてしまいました



今日は、天暦の6月6日です。
陽暦ですが、1946年の6月6日は、
お父様が啓示によりソウルを離れ、
キリスト教を土台とする摂理の最後の望みをかけ、
東洋のエルサレムと呼ばれた
北朝鮮、平壌の地に到着した日です。

今日は、平壌に着いたばかりのお父様の許に導かれた
金仁珠先生の証しを紹介します。
金元弼先生の霊の親であり、叔母(従姉?)にあたる方です。
お父さんは、平壌の教会の長老で
反対、迫害が並大抵のものではなかったといいます。


一九四六年六月、
「神霊なる方がソウルに来られて、
集会をするので一緒に行ってみないか」と、
家に訪ねて来たいとこに誘われました。
集会場所は、京昌里の小さな部屋でした。
その時、初めて先生にお目にかかりました。
私の年は三十歳で、先生は二十七歳でした。

その集会で先生は讃美歌を何度もうたわれました。
そして説教をされましたが、汗と涙が入り混ざっていました。
説教の内容も、私が今まで聞いてきた説教とは全く異なったものでした。
それは部屋中に熱気がこもるほど深刻な内容でした。

その時のみ言の中で特に忘れることができないのは、
イエス様の十字架路程が既成事実でないということでした。
『イエス様は生きてみ旨を成就しなければならなかったのに、
ユダヤ人の不信仰により、み旨を成すことができなかった』という所で、
私はのどか詰まってしまいました。

その後、最初の講義を聞いた日、神は私に啓示を見せてくださいました。
それは次のような内容です。

 私は大きな洞窟を通らなければなりませんでした。
 その時「この洞窟は少し入れば、暗くて方向がわからなくなってしまい、
 その道は極めて険しい。しかし後退せずに前進せよ」
 というみ言を聞き私は前進しました。
 そうして半分ほど行った所で暗くなり始めました。
 それはとても険しい道で、口では表現できないほどでした。
 私は傷口から流れる血を拭いながら泣き、
 両目をしっかり明けて父(神)を呼びました。
 途中で何度戻ろうと思ったか知れません。
 しかし、神から「それでも前進せよ!」というみ声があり、
 私は激励されて歩み続けました。
 でもこれから先に、どれぐらいこの暗闇が続くのかと思うたびに、
 私は絶望感が先立ったりするのでした。

 とうとう疲れて倒れそうになった時、
 暗い洞窟の前方から明るい光が見えてきました。
 歓声を上げながら洞窟を出ると、
 美しい花園が広がっていて、数多くの人たちが
 自由と平和を満喫しながら生きていました。
 そこに先生もおられて、私を迎えてくださいました。


この啓示は、私がいかなる苦痛に立たされても、
そのたびごとに力を与えてくれました。
先生のみ言を聞いたその日から、
私は父の教会には行かなくなりました。
そして、私は毎日み言が聞きたくて集会所へ訪ねて行きました。
そこで先生の説教を聞くたび、
私は心霊の目が開き神の声を聞くことができ、
その一日がどのようになるかを予言できるようになりました。

そうなると、家からの迫害が始まり、
「なぜ父の教会に行かないで、教会の看板もなく牧師でもない人が
率いている部屋の教会に行くのか」と、厳しく詰問されました。
しかし、私はそのような言葉にびくともしないで、集会所に通い続けました。

私が父の言うことを聞かないので、
父は私を殴って教会に行くことを止めさせようとしました。
父の挙が私の体にあたるたびごとに、
私は痛さのあまり声を出して泣きながら叫びました。
「神の真なる目的を知って、
その教会に行くことがなぜいけないのでしょうか」と。
 
私の体には幾つもの青いあざができ、
髪は引っぱられて多数の毛が抜けてしまいました。
私は結婚をしていても親元で暮らしていましたが、
いつも殴られながらも統一教会の集会所には通い続けました。

家には大きな門が二つありました。
ある日、私がその門を出ようとすると、
突然二匹のシェパードが飛んで来て激しく吠えまくって、
私が教会に行こうとしていることが父母に知れてしまいました。
そこでまた、私はさんざん悪口を言われ、鞭で打たれなければなりませんでした。

また、ある時は教会に行きたくなると、
私はお姉さんの所に行くと言って家を出ました。
お姉さんの所では、兄弟のお嫁さんが私の味方になってくれました。
裏の垣根の下にリンゴ箱をおいて、
お嫁さんが私の足元を支えてくれたので無事に垣根を越えたこともありました。
人の背たけの二倍もある垣根を飛び降りる時には、目まいがするほどでした。
しかしそのようにして路地を抜け出しても、
家が二階建てのため路地が見おろせるようになっているので、
見つかってしまい、また殴られて、血のあとが体中についてしまうこともありました。

父母に殴られる時、私はステパノが石で打たれて死にながらも
イエス様を証ししたことを思いながら、
父母が、まさか私を殺しはしないだろうという気持ちで耐えていました。
そして私は熱心に集会所に通うのでした。

私が熱心になればなるほど、父母はさらに反対しました。
とうとう私の部屋の戸をすべて閉じてしまったので、
私は家の中で監獄生活をするようになったのです。
しかしそれでも、私は家を抜け出して教会に行きました。
すると、父は最後の手段をとり、親指ほどの太いロープで私の足を縛って、
部屋に閉じ込めたのです。

私は泣きながら訴えました。
「お父さん! 神様は消えそうな灯も消さないほどの愛を持ちなさいと言われたのに、
どうして私が通っている教会をよく調べもしないで、
私を動物のようにロープで縛っておくのですか。
私は動物ではありません。
同じ人間であり、お父さんの娘なのです」。
すると父は、「娘ならば、父母の言うことを聞きなさい」と言うばかりでした。
私は決意して、つめで堅いロープを切ることにしました。
二時間ほど必死にやるとロープは切れました。
ロープが切れると、私は教会に行って泣きながら祈りました。

それでも教会に通う私に、父は鉄の鎖を右足にはめてしまったのです。
もう私の手では鎖は切れません。
父は部屋に便器まで用意して、食事を運んでくれました。
しかし私は食事をする気にはなれず、全々口をつけませんでした。
十日もたつと私の体はやせ細ってしまいました。
私の生みの親であっても、娘が違う信仰の道を行くからといって、
なぜこれほどまでに反対するのかと悲しく思うばかりでした。
しかし父はとうとう見かねて、私の鉄の鎖を外してくれました。


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1940年代の平壌市街




日本の拉致監禁とは違って、
親が自ら鎖を使って家に閉じ込めるという、
凄まじい迫害を乗り越えてこられた金仁珠先生。
こういう方の信仰があって、
今の私たちがあるのだと思うと
改めて感謝したいと思います。

また、神様は本来、韓国のキリスト教を
真のお父様のために準備していましたが、
その摂理は失敗したと言われています。

それでも、この先生のような方は、
神様が準備された方なのだと思わされます。

明日に続きます。

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posted by ten1ko2 at 10:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私と御父母様 ・信仰の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする