2014年07月11日

「教える」ことはしなくてもいい?! いかに子供が「育つ」かが大切! 《多田講師の家庭力UP講座》


img_1505080_56494671_0.20090110.jpg


ひたむきに生きる親の姿を通して、
子供は親の愛を感じ取っていくのです。
理想家庭を目指して一生懸命歩む親の姿、
親の努力自体が子育てです



多田部長の家庭力アップ講座。
今日は、「子供の心が『育つ』教育」です。


学校では、算数や国語、理科などを「教える」ことが中心であり、
家庭では、子供が「育つ」環境を
どうやってつくるかということが中心になります。
明確に分けることは出来ませんが、
「教える」責任は学校にあり、
子供が「育つ」責任は家庭にあるわけです。

親は子供に比べて、経験や知識、失敗談、
成功例をたくさんもっているので、
どうしても「教えなければいけない」と思いがちです。
子供の「育つ」環境づくりは後回しになり、
子供に「教える」ことが中心になってしまうのです。
今までは、教える教育になる、傾向性があったようです。
すると、子供は「何でも教えてもらおうとする」
癖がつきやすくなるようです。
そして、依頼心が出てきてしまうのです。
ですから教えることで、考える力がつきにくくなるわけです。

ですから、家庭の責任は、
「子供が正しく育つ環境をつくるところにある」ことになります。

親が子供に「教える」という観点に立った場合、
中心は親になります。
教えている側の親の心が満たされることが多いものです。
しかし、子供に教えようとするので、
子供がそのことが理解できないでいると、
いらいらして「分かったの? 聞いているの!」
と怒ってしまう事も多いでしょう。

それに対して、子供が「育つ」という観点に立てば
中心は子供になります。
家庭での親の生き方が子供の育つ環境を作ることになります。
子供は、親の後ろ姿を見て育つとよく言います。
実際、農家や商家などのように、
家庭で親の働く姿を見て育った子供のほうが、
そうでない子供より、よく育つ場合が多いのです。

子供がよく「育つ」には、子供の心が
愛情で満たされなければなりません。
ひたむきに生きる親の姿を通して、
子供は親の愛を感じ取っていくのです。
理想家庭を目指して一生懸命歩む親の姿、
親の努力自体が子育てです。


つまり原理の生活化です。
子供の心が育つのは、
家庭を理想家庭にするために
親が一生懸命努力することではないでしょうか。


そのためには「愛情の伝え方」を学ぶ必要があります。

「教える」事ももちろん必要ですが、
ややもすると、相手の行動だけを変えようとしてしまいます。
教会に行かない子供を教会に行かそうとしたり、
勉強をせずにテレビやゲームばかりをしている子供を
勉強するようにさせようとしたり、
相手の行動を変えさせようとすることが多くなります。

しかしそのように、行動を変えさせようとすると、
相手はなかなか思うように行動してくれないのです。
そんな時、子供に対して悪い印象が
親の中に植え付けられてしまいます。
 
親は自分の気持ちをぶつけただけであって、
子供に何のよい影響も与えなかったのです。
「教える」ことは、相手に焦点が合っていて、
自己満足に陥りやすいのです。


確かに、子供にとって何が大切かを考えてみた時に、
「こうすべき」だとか「こうしちゃいけない」という言葉は
それほど必要ないでしょう。

何か岐路に立って迷っている時、
あるいは過ちを犯して反省が必要な時などに
教え諭してあげる言葉は、子供には必要だし
子供の心にも届くかもしれません。
しかしそれ以上の言葉は、ただ単に
親の自己満足と言われても仕方ありません。

必要以上に、植物に水をあげ過ぎれば根腐れしますし
肥料も十分すぎれば虫も来ます。
後は、お日様のような温かい陽射しと
成長を信じ見守ってあげる、そんな愛情が必要なのでしょう。

『家庭は愛の学校』と言われます。
また、愛の学校は、『教える』のではなく、
『育てる』学校だったのです。

さらには、主体は親である『私』ではなく、
子供なのだ・・・

私自身も、
子供の行動を変えさせることよりも
子供の関心の持つことに、
関心を持とうと意識するようにしてみました。
そうすると新しい発見があったり、
楽しさを共有できたりしています。

親子の距離を近づけつつ、
子供の心を育てていきたいと思います。


お父様のみ言

父母が直接教えてくれるのではなく、
学校で学ぶのでもありません。
子女のために献身的に真の愛の一生を
生きていく父母の姿を見て体得し、
悟るのが子女の心情です。


 (後天時代の生活信仰 P83,84)




応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)