2014年08月31日

お母様は、お父様とつながっておられる! 《善進様のみ言》前編



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善進様が、ビジョン2020戦略会議で
真のお母様に関して語られたみ言を紹介します。

善進様は、真のお母様に対して、外的には世界で一番身近に接しておられ、
心情的にも、今、世界で最もお母様に近い方ではないでしょうか。

とても洗練された、素晴らしいみ言なので、
お母様の心情の世界を味わい、一つとなって歩んでいくにはぜひ、
訓読しなければならないものだと思います。

ものすごく長いのですが、心情的であり、
読めば内容に引き込まれていくので、
あまり長いと感じないように思います。
今日と明日、2回に分けて紹介します。


スピーチの原稿を少し読みますが、
私たちは全て兄弟姉妹であり、
ご父母様の動静を知りたいと思いますので、
先に、原稿にない、お母様についての証をしたいと思います。
ご父母様の近くにいる事が私たちの願いなので、
このお話を皆さんにお話したいと思います。

尊敬する指導者の皆様、兄弟姉妹の皆様、
私の家庭を代表して、皆様が天の父母様の
み旨の最前線で活躍して下さっていることに心から感謝いたします。

この戦略国家、摂理国家のためのビジョン2020戦略会議に
世界平和統一家庭連合世界宣教本部長として参加する事になりました。

優れた指導者である皆様方を前に身もすくむ思いです。
真のご父母様のみ言とみ旨を果たす情熱だけを持って
宣教活動を開始され、以後40年以上にわたって
皆様は活動して来られました。

中には世界で最も困難な地域、信教の自由すら
認められていない極端な環境で歩んできた人もいらっしゃいます。
また文字通り自分を含む家族の生命を
危険にさらして歩んできた人もおられます。
天の父母様、真の父母様に真心から仕え、
同時に犠牲を払ってこられた皆様に心から深い敬意を表します。

私達が立つ基台はどれも、天の父母様、真の父母様
そして世界人類に喜びをもたらそうと自己犠牲の道を
歩んでこられた皆様の生の証であり不滅の遺業です。
基台、家庭、世界平和のための永遠の遺業は
真の父母様の庇護の下でもたらされました。
霊界のお父様と地上のお母様とともに私たちは
この偉大な仕事を1世、2世から4世達で成し遂げようとしています。

皆様の偉大な貢献と犠牲に感謝するとともに、
今日、私は皆様に披露したいお話があります。
この一年、お母様が行ってこられた内容は皆様、
お聞き及びのことと思います。
私は多くの行事でお母様にお仕えする機会を得ました。
今日の昼食会に参加された方はいますか?
真のお母様がたいへんお変りになったことに気付かれましたか?
身体的に変わられただけでなく、情的、霊的にも変わられました。

(昼食会では)公演を行いましたが
前列に座っておられる指導者の皆様だけではなく、
真のお母様の警護チームも出し物を披露しました。
”Bounce(バウンス)“という歌を歌ったのですが、
この歌はお母様の大好きな韓国の有名歌手の歌です。
また警護チームのダンスはお母様が毎朝されているものです。
一見風変わりに見えますが、
これをお母様が5月ハワイに来られてから始められました。
5月から数カ月しか経っていませんが、
お母様のお身体と情的な内容は劇的に異なっています。
真のお母様の前に立ち、その後を歩いてみれば
健康で力が漲(みなぎ)っておられることがわかります。

お母様は早朝の運動としてホノルルで始められました。
毎朝4時頃、砂浜を歩きます。
お母様がおっしゃるには、月が沈んで太陽が昇って来る、
ちょうどその時間がよいのです。
この瞬間、男性的エネルギーと女性的エネルギー、
つまりお父様とお母様のエネルギーが
自然と宇宙の中で一つになる一瞬なのです。
私たちは月を見ることを楽しみにしながら出かけるのです。
お母様が月を眺めると、真のお父様が
お母様に微笑みかけているように感じられるのです。

お母様が歩く時、一歩一歩に精誠と祈りを込められます。
「わたしがこの運動を勝利させます。」
「私の体がどうなろうとも、真のお父様のために私のすべてを投入します。」

毎朝、自然の中、岸辺に沿って歩くことをこのようにして始められました。
歩くとき足に波を感じられます。
お母様は月明かりの他、自然を通して
お父様に抱擁されているのを実感されているのです。
お母様が感じられるこの霊的肉的なつながりは、
私達も目を開き、真のお父様が
私たちの周りにいらっしゃることに気付くなら、
いつでも感じる事ができるものです。
こうして毎朝お母様はお父様とつながっておられます。

驚くべきことに、約3カ月後には身体的変化
(服のサイズが6つ小さくなられた)だけでなく、
お母様ご自身、「軽くなった」と言われました。
外的に軽くなったのはもちろんですが、
内的にお父様の存在を内に深く感じることで
大きな力を得ておられるのです。
毎朝、お母様と一緒に歩く私たちもそれを感じました。
お母様が世界サミットで(参加者に)
「お元気でいて下さい」と言われた時、
それは皆さんにご自分と同じ体験をして欲しいという意味だったのです。

ハワイを訪れた多くの幹部に、お母様は
このウォーキングをコーチされました。
バルコム会長も金ギフン会長も素晴らしいウォーキングをしていました。
皆お母様から指導を受けてかなりダイエットされたようです。
徳野会長にもお母様は健康に気を遣うことを願われたことでしょう。

真のお母様はウォーキングをされるときに
「為に生きる」と言う言葉を呪文のように繰り返されます。
アメリカでは(略して)’LFSO’
(Living For the Sake of Others)と言いますね。
お母様は毎日このように言われます
「私が責任を持ちます。
真のお父様に出会います。
世界のために精誠を尽くします。
他の為に生きます。」
そして日ごとに歩く時間が長くなっているのです。

最初は20分程歩くのがやっとでしたが、今では2時間たっぷり歩かれます。
それも弾むように歩かれるのです。
お母様の歩くペースが日ごと早まっているので、
LFSOのFは’より速く(faster)
を意味するようです。

ウォーキングを始められた当初は本当にゆっくり歩かれました。
普段使わない筋肉を使い、筋肉を増強していくため、痛みを伴うからです。
これはなかなか困難ですが、お母様はそれに耐えて
毎日続けられるうちにどんどんペースが速まりました。
最終的には私たちの方がお母様についていくのが大変になる程でした。
私たち若い者がお母様の通るドアを先回りして開けようとするのですが、
お母様が先に行ってしまわれるのです。
それほど速く歩かれるようになりました。
その様子を目にした人は皆さんの中にも大勢いるでしょう。

お母様は立っていても誰の助けも必要ありません。
ですから、「より長く(longer)」「より速く(faster)」
・・・Sはより強く(stronger)のSです。
為に生きるためには強くなければなりません。
自分の心と体から始めなければなりません。

個性完成は真のご父母様の教えの鍵です。
心身の調和を完成するだけでなく、
夫婦、家庭、そして世界の為に生きるための基礎です。
私達がそれを現実とするまでお母様は私たちに教え続けられるのです。
私達が成し遂げるために皆さんにそれを知って欲しいのです。
ですからL(より長く)、F(より速く)、S(より強く)、
そしてOはオモニム(お母様)を意味します。
お母様は私たちを健康と幸福に導かれると同時に
未来に向かって進むべき道を示して下さいます。




前半は、真のお母様のウォーキングを中心に
語られていました。

善進様が紹介されていた
”Bounce(バウンス)“という歌ですが、
あのチョー・ヨンピルの歌ですね。



この曲を聞いてもわかるように、
テンポが速いです。
この調子で歩くのは、ただの散歩でなく、
まさに「ウォーキング」だと思います。

警護チームが踊っているのを
何かの写真で見たことがあるような記憶がありますが、
手と足を大きく振って歩いています。
本当にダンスです。
それで2時間ですから、
運動です。

善進様の証しを読みながら、
お母様は、深刻で切実なのだと感じます。
「私が責任を持ちます。
真のお父様に出会います。
世界のために精誠を尽くします。
他の為に生きます。」
祈りながら、お父様と一つになって歩かれる、
真のお母様の姿が浮かんできます。


おととい、ある食口が、
私の「入院記念日」の記事を見つけて、
それをSNSで紹介してくれていました。
この記事です。

いまだに通院していますが、
先日も担当の先生と当時のCT画像を見ながら、
「あと数ミリ、いや1ミリも満たない差でずれていたら、
半身不随になっていたかも知れないよ」
そのように言われました。
改めて不幸中の幸いだったと感じました。

ストレスなどでどうしようもなかったのですが、
もちろん、私自身の不摂生が問題だったことには違いありません。
どんな状況であっても、しっかり自己主管すれば、
このようにはなっていなかったのですから。

お母様もどれだけの重荷を背負って立っているか知れません。
しかし、それでも毎日、ウォーキングをされながら、
自己管理を徹底しておられます。

実は、あることがきっかけで、私も意識を新たにし
昨年の今頃よりは
内外ともによくなっているのですが、
それでもまだまだだと感じます。
本当に、お母様に似る者にならないといけませんね。

明日に続きます。

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posted by ten1ko2 at 08:58 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月30日

(伝道の証し) 皆が「楽しい!」と言ってくれる、グループカウンセリングの家庭集会 



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他教会の方ですが、
伝道の証しを紹介します。


私は「自分と出会う人は、意味があって出会っているんだ」と思っています。
ですから、出会う全ての人を大切にして、
真の父母様を証していきたいと思って毎日活動しています。
顔見知りの人にはすべて「声掛け」をしてきました。
自叙伝もできるだけ渡して読んでもらうようにしました。
逆に心配もされましたが、特に大変にもならず、現在に至っています。

私は、3年前に再復帰されました。
前線活動と昨年の11月より、講師に来ていただいたりしながら、
自宅で月1 回のカウンセリング学習の家庭集会を持っています。
私自身、重度の障害児を抱えての毎日で、本当は実践もできず、
つきっきりの介護が必要な状況でした。

昔は悩みもしましたが、原理に出会って教育を受けていく中に
「この子は神様が私に下さったプレゼントだ」と思えるように心が変りました。
そのために、このカウンセリングのありがたさが良く分かったので、
多くの人にも知ってもらいたいと思い誘っていきました。

グループカウンセリングの集いは、
1回目は新規対象者が1名で寂しかったので、
2回目は友人に声をかけていくと新規参加者が3名増えました。
現在は、10名から12名が集ってきてくれます。
そういう関係性づくりの中で、今までに、16名が受講決定し、
2家庭が祝福を受けることができました。

学んでいる人達は、隣の人を含めて近所の人が6名、
家に定期的に来る営業の方と保険屋さんの2名、
伝道前線で出会った2名、
それから、障害児の作業所のママ友6名などです。

その人達が、集会に毎回ではありませんが集うようになってきて、
「悩みを話せたことがうれしい」「聞いてくれてうれしい」と、
いろいろやっている人でも、
吐き出す場が本当に必要であると実感しています。

私も以前は、こうしてあげたいという思いが強く
「こうすればいい」とついつい言い過ぎて、
避けられることが多かったのですが、
カウンセリングの仕方を学ぶことで、
今は夫や家族との接し方が変わりどんどん良くなってきています。
障害児を抱える婦人達とも、
共感してあげることができて、共に泣きました。

最初の頃に復帰して実践メンバーになっている霊の子の2名も加わって、
毎月行っていく中、教育センターで受講決定する方ができてきました。
都合が悪くグループカウンセリングに参加できない人も、
別の日に区域長さんが来てくださるので、話をしてくださり、
より関係が深まっていきました。
自宅に来られるゲストは皆、「とても楽しい」と言ってくれます。

どんどん教育が進んでいるわけではありませんが、
相談や話しあう場としての集いの場で共感し合うことが、
本人達の救いになっていて、
これから本当の救いに導かれていくことを祈ってケアーしています。

今、思えば、障害を持つこの子を通して沢山の関係が作られ、
今多くの人を伝道できていること
を考えてみると、私自身もこの子を通して
神様のあたたかい心と愛を教えられていることを実感しています。
天の父母様と天地人真の父母様の愛と導きを
心より感謝しております。



基元節を過ぎてから、「実体で示す時」であると
教会長も語られますし、
いろんな方のみ言を通しても示されています。

「教会は教会、家庭は家庭」
ではなく、愛天・愛人・愛国生活をなして、
家庭にも神様をお迎えできるように、
日々の生活を正しながら、
まさに「私」を通して、神様と真の父母様を
しっかりと証ししていかないといけないと思います。

証しを掲載した婦人は、どんな人にも
自叙伝を渡して、教会を証ししています。
本当に素晴らしいと思います。
この方自身、救われた実感があり、
ご自身と同じ境遇の方に「み言を伝えたい」
という切実な心情をもっておられるからだと思います。

また、韓国の知人が24時間、
いつも神様に一問一答しながら生活をしていると聞きました。
その方は、400拝の敬拝を毎日行なっているそうです。
自分の堕落性が脱げ、
愛する心情を持って、人に接することができるし、
神様からどのように授受したらいいか、
解答があたえられるということでした。

聖和2周年のテーマが
「許し、愛し、一つになろう」でした。
真の愛に勝るものは何もありません。
神様の愛を伝えられる「私」になれるよう、
日々の生活を正していきたいと思います。


お父様のみ言

人と多く接触しなさい。
そうしながら、その人が自分の深い秘密を
話し合える場まで行けば、
その人は「伝道するな」と言っても
いくらでも伝道できるのです。
先生の学生時代にも、友達が
全部自分の秘密を、私に話したのです。
先生は、そういった秘密を、守ってあげたのです。
そして解決方法を教えてあげたのです。
伝道するには、原理のみ言葉だけ伝えたのでは駄目です。
模範的な生活をしなさい。
生活として見せてあげなさい。
言葉でさせようとせず、
生活で行動させないといけないのです。
話をすれば、話したようにするのです。


(「喜びの伝道」より)


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2014年08月29日

お饅頭に「愛」を添えて捧げよう?! 神様も喜ばれるアベルとカインの姿とは? 



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先日の祈祷会で、原理講論の訓読をしました。
ペアを組み、一対一訓読。
復帰原理のアダム家庭のところでした。
カインがアベルに対して、どんな姿勢を持つべきなのか、
かつて周藤先生が語られていたことが
頭をよぎったので、訓読した方にも話しました。


カインの責任分担において、重要なことは、
アベルの背後に神様を見いださないといけないということ。
カインはアベルを殺した、その堕落性が私たちにもある。
すなわち、アベル批判である。

例えていえば、「木に虫がついている、大変だ。
このままでは腐ってしまう、はやくとらないと・・・」
そう思って、虫だけでなく、枝も葉もどんどん取って
結局、木が倒れてしまったらどうだろうか。
どんなアベルにも神様がともにある。
相手の堕落性しか見ないと結局、自分も倒れてしまうのだ。

イエス様の時も以前のモーセに従って、
結局、目の前のイエス様に不信をしてしまったのだ。
今も同じではないか。
2000年前のイエス様を信じ、真の父母様を不信してしまうのだ。


原理講論は、カインの責任分担を強調していますが、
アベルの責任分担も当然あるのです。
周藤先生は「お饅頭」でわかりやすく説明してくださいました。


アベルは神様からお饅頭をもらった。
そのお饅頭はアベルのものではなかった。
カインにあげないといけなかった。
神様は、アベルにあげるお饅頭ではなく、
カインのためにお饅頭をあげたのだ。

そういう意味では、アベルは、
「宅配便のお兄ちゃん」と同じ立場だ。
預かった荷物は自分のものにしたら犯罪になる。
荷物はきちんと届けないといけない。
それがお兄ちゃんの使命だ。

そして、お饅頭に何か、付け加えたらもっと
カインは喜んだに違いない。


なかなか、納得のいく説明です。

アベルの使命を話しながら、
元殿の任教会長の証しを思い出しました。
以前も書いたことがありますが、
改めて紹介したいと思います。


任教会長は、真の父母様の御聖誕日に
プレゼントをしたいと思い、少しずつお金を貯めて、
アクセサリーを買いました。
ある機会にそれを直接渡すことが出来ました。
お父様はそれを身に着けましたが、
すぐに側近の人にあげてしまったのです。

そのことを一番喜んだ人は誰だったのでしょうか。
そうです。
プレゼントをもらった側近の方ではなく、
お父様のためにプレゼントを準備した
任教会長だったのです。

私たちの感覚からすれば、
自分が真心を込めて、準備して捧げたものを
プレゼントしたすぐあとに、他の人に渡ってしまったら、
どんな風に思うでしょうか。

「私が買ったものは、気に入ってくれなかったんだ」
とか、
「わざわざ、私の目の前で他の人にあげなくてもいいじゃないか」
とか、
だいたいそんなことを思うのではないでしょうか。
いわゆる「愛の減少感」というものを感じてしまうのです。

ところがこの任教会長は、喜ばれました。
これはすなわち、お父様の心情世界を
完全に共有しているからに違いありません。

プレゼントを捧げ、お父様が受け取られた時点で
自分が捧げた思いは完結し、
そのあとは、お父様が側近の方にプレゼントをあげて、
喜んでいる姿を見て、教会長も喜んでおられたのです。

周藤先生が言うのと逆の立場かも知れませんが、
まごころをこめて準備したお饅頭を
神様に捧げたにも関わらず、
神様はすぐにカインに与えた、
それを喜ぶアベルの姿なのだと思います。

神様を中心にアベルとカインが一つになれば
神様がアベルに与えたものも
カインのものであり、
カインが喜べば、それは
アベルの喜びとなり、
アベルが神様に捧げた精誠は
カインの祝福となり、またそれも
アベルの喜びとなり…
と延々と終わることがなくなります。

神様は、できるだけ良いもの、
そして大きなものを与えたいから
大切なものほど、目に見えないのでしょうか。

神様からの愛は私だけのものでなく、
私に関わる全ての人たちのものでもある・・・
こんな心情を持って、愛する実践をしていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 16:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする