2014年08月16日

父母とは、孝子とは?! 真の子女様の一体化は可能か?! そして、私たちは…!



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聖和2周年記念式典で献花される御子女様たち☆


アルプスの12の霊山を登って来ました。
なぜそうしたか分かりますか?
もう一度皆様を許し抱こうと思ったからです。




今回の聖和2周年記念式には、
真の子女様も参加されていましたが、
しかし、参加された人数はあまりにも
少なかったので、それは一般の人たちにおいては
批判の種であり、また食口たちにおいても、
心配することなのかも知れません。

そのことに関して、一つの証しを紹介します。

以前、「ファミリー」という教会の月刊誌に
『世界基督教統一神霊協会創立43周年・記念』
ということで、古い先輩たちの証しが掲載されていました。

その中に金元弼先生の証しがあり、
第一のお母様がポンネッコルに訪ねたときの様子がありました。
その箇所を紹介します。


──聖進様のお母様が、ポムネッコルの小屋に来られたときは、
どのような状況だったのでしょうか?

お父様を訪ねて、釜山に向かう
聖進様のお母様の心中はどうだったでしょうか? 
幸福な家庭を築くことを夢見て、訪ねてきたのです。
韓国動乱を前後した七年間は、どれほど長く感じられたことでしょう。

ところが、お父様がおられた所は、立派な家でないだけでなく、
惨めな小屋で生活しておられたのでした。
それだけでも失望する内容です。

そのとき、お父様は人々にみ言を語り続けておられました。
そのときお父様は、「入ってきなさい」と言われました。
しかし、聖進様のお母様は入ってこられませんでした。
お母様は、お父様が本気になって入ることを勧めると思ったのでしょう。
ところが、お父様はその後、入るように言われなかったのです。

お父様は、食口を生かすために完全投入され、
み言を語られておられた時ですから、
途中でやめることはできなかったのです。
み言を聞いていた食口も、
「本当にご苦労様でした。おふたりでゆっくりしてください」と、
その場を空ければよかったのですが、何も理解できなかったのです。

夜になっても、食口たちは帰らず、そこで泊まりました。
翌日になっても帰らず、食口たちはお父様の愛を独占していたのです。
このように、聖進様のお母様にとって食口たちが怨讐となったのです。

ところで、お父様は妻子と弟子のどちらかをとらなければならないとしたら、
弟子をとらざるを得ません。
聖進様のお母様がどのような行動をとられたかは、ご存じでしょう。

そのため、食口たちはお父様から離れていったのです。
すると、お父様は食口たちの所に訪ねて行かれたのです。
そして、家にもお父様は帰らなくなったのです。
そうして、お母様は聖進様を連れて釜山を離れたのでした。

お父様は釜山での親子の対面の時のことを、
次のように語られたことがあります。

「子供(聖進様)が七歳になったとき、初めて会ったのです。
その時は、食口たちと一緒に過ごしていた時でした。
おばあさんたちを生かそうとしていた時でした。
わたしの息子が来たといって、わたしが喜んで迎えると
条件に引っかかってしまいます」

お父様は、私には洋服や靴など、
いろいろと買ってくださいましたが、
聖進様には鉛筆一本も買われなかったのです。
お父様は、ご自分の家庭を犠牲にされて、
私たちを救おうとされたのです。



第一のお母様に関して、金元弼先生をはじめ、
当時の古い先輩たちはほとんど知りませんでした。

どれだけの思いでお父様を探されたのでしょうか。
さらにはようやく見つけ出したにも関わらず、
出会った夫である真のお父様は、
「良く来たね」と歓迎して抱擁したのではなく、
弟子たちにみ言を語ることを最優先し、
投入していかれる姿に接しどんな心情だったのでしょうか。

それは、第一のお母様においても
とうてい受け入れることができないものでした。
その後のお父様に対する迫害は、
自叙伝を読めば、よくわかるものでしょう。


さて、そんな第一のお母様の路程を越えるためにいかれた
真のお母様の歩みも、更に苦労と迫害の連続でした。
歴史の中の全女性の悲痛を代表した立場といっても
言い過ぎではないでしょう。

お母様は、14人の真の子女様のうち、
生後数日でなくなった惠進様を含め、
長男の孝進様、次男の興進様、六男の榮進様の、
4名ものご子女様を霊界に送られ、
公的には涙も見せることのできない、
そんな道を通過してこられました。

先日、真のお母様はスイスに行かれ、
12の山々を登られました。
その目的のひとつに
『12人の真の子女様の一体化』
この内容がありました。

4人もの御子女様を先に霊界に送られながらも、
残っている御子女様たちがひとつになりきれていない現状、
これは親である真のお母様においても
本当に深刻で胸痛いことであるこのは間違いありません。

今回、亨進様の面会を断られたそうです。
詳細は、わかりませんし、あくまでも個人的な意見ですが、
何かの事情があって、そうせざるを得なかった
そう解釈するべきなのではないか、と思います。

それは、第一のお母様に対するお父様の態度に
通じるものがあるのではないでしょうか。
真のお父様も、そうせざるを得なかったのです。

また、興南刑務所でお母さんが尋ねてきたとき、
一生懸命長い道のりをかけて会いに来られたにもかかわらず、
優しい言葉ひとつも掛けられることなく
無碍に追い立てていかれたお父様の姿──

しかし、お母さんを愛していないお父様ではありませんでした。
『近い者よりも遠い者を愛する』
そのような思いをもって、乗り越えていかれたお父様でした。
その心情を神様は何よりもご存知だったと思います。

お母様とお父様は一つです。
真の父母として、全人類を愛されるご父母様。
子を思わない親はいません。
真の子女様を愛され、もう一度許し、信じるために
12の山々を登られたご父母様。

今この時こそ、私たちはそんな父母の心情圏に立ち、
自分が愛されることばかりを願うのではなく、
もっと理解して、ご子女様が一つになるために、
お母様と一つになって、祈りと精誠を捧げ、
責任を果たしていきたいと思うのです。



真のお母様のみ言

だから神様の日が制定されるまでの
お母様の苦労を皆さんは知っておくべきです。
孝進、興進の二人の息子の勝利の基台の上に
立てることができた日です。

皆様は興進を愛さなければなりません。
産む時もサタンが殺そうとしました。
育ちながら作られた環境ではなく、
この世はサタンの世界であり、
さらに共産主義の脅威を受けるお父様を知っていたので、
自分がお父様のために代わりに
死の場にも行くと決心した息子です。

このような子女たちがいなかったら、
今日のこのような摂理歴史につながることができないものです。

実際には歳も若かったけれど、
20年以内に14人を生むことは容易ではありません。
それも楽にじっとしていて産むわけでもなく、
戦場のようなところに行きながら、
それも4回も帝王切開手術をして出産したのです。
この一つだけを見ても、
皆様がお母様を崇め生きなければなりません。

私がすべてをまとめました。
今は皆様の責任が残りました。
そこまで私がやってあげることはできないでしょう。
皆様、氏族メシヤの責任を全うしなければならないでしょう。
皆様だけが真の父母様の特恵圏の中にいてもいいですか?
70億の人類はどうするのですか?
真の子女に苦痛があっても、
私は真の父母であるため、
世界70億の人類を考えずにいることはできません。



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posted by ten1ko2 at 14:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする