2014年08月18日

定州の香り…野牧教会?! 既成教会まるごと統一教会に奉献! 《聖地巡礼》



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「第2の定州」 
お父様が最期に行きたいと願われた地 
「野牧教会」 
まさに私たちの「聖地」たるゆえんは──


教会長が先日、聖地巡礼の一つ、野牧教会に行かれたのですが、
今回訪問された意義について証ししてくださいました。
語られた内容を参考にまとめてみました。


お父様は、定州へ行きたい時、野牧へ来られたと言われています。
お父様が聖和される直前、五山学校に行かれましたが、
本当はこの野牧教会を訪れたかったのだといいます。

野牧教会の初代教会長は、車相淳牧師です。

教会の摂理史には、以下のように紹介されています。

そのような神の愛によって生かされた人々が、
その後、教会に集ってくるようになった。
金元弼、玉 世賢、金仁珠、車相淳、鄭達玉、池承道の諸氏を中心として、
40名ぐらいに増えていったが、
それと共にその家族と既成教会からの反対と迫害が激しくなっていった。


車相淳牧師は、北朝鮮で伝道されました。
しかし、お父様が興南に捕らえられた以降、
お父様とお会いすることができずに、
南下してキリスト教の牧師として歩んでおられました。

しかし、お父様との出会い、
また、お父様が語られたみ言を
どうしても忘れることができずに、
統一教会を開かれたお父様の元に
再び戻っていかれました。

そのとき、統一教会に入教したのは
車相淳牧師お一人だけではありませんでした。
牧師のところには123人の信徒がいましたが、
実に120人が入教されたのでした。

そんなこともあり、1959年
40日修練会が野牧教会で開催され、
多くの食口がここから、韓国
または全世界に向かって伝道師として
出発していったのでした。

翌年、1960年には真のお母様との
御聖婚が行われて、新たな時代圏に入っていきます。
また、世界宣教が具体的に出発していきます。
その前年の野牧教会での勝利基準というのは
とても大きなものだったのではないでしょうか。



野牧教会はお父様の故郷、定州を思わせるような
そんな雰囲気のところだそうです。

今回、日本の責任者が野牧教会に巡礼されたということは、
お父様の精神、心情を相続することを願われたのと同時に、
車相淳牧師のような人物を通して、
たくさんの人を導いてほしい、
また多くの人を導くことのできる大物を導くことができる
そのようなときに来ていることを感じます。
すでに準備されている、そのように感じるのです。


以前も、野牧教会について記事にしています。
聖地として本当にふさわしい場所だと
理解できると思います。
↓ 参考にどうぞ

〜「復帰の心情」の原点〜 お父様が最後に行きたかった地、野牧(ヤモク)とは?!


神は創造業(わざ)果たそうと
復帰で尋ねし一筋(ひとすじ)
心のつらさを誰(たれ)ぞ知る
長い歴史は神の声
地上に人は多けれど
神のみ意(こころ)誰ぞ知る

信ぜよ早く信ずれば
父のみ胸にあふる愛
本然(もと)の故郷に帰れば
これより幸がほかにありや
千年(ちとせ)(うしの)う子女を得た
父の喜び永久にあり


野牧教会で作られたという
聖歌16番「復帰の心情」より



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posted by ten1ko2 at 19:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする