2014年09月12日

「天の一人娘」 私たちのお母様が美しい理由(わけ)?!




TM-inHawaii-600x386.jpg


ファミリーフォーラムにアメリカ大陸会長のみ言が掲載されていました。

少し要約して紹介します。


皆さん、ヨハネ3章16節を御存じでしょう。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。』 
私たちは御子なしに救いを受けて神の国に入ることは誰ひとりできません。
6000年間、私たちは待ち続けてきました。
天の父母様は2000年前、独り子、イエス・キリストを送って下さいました。
イエスを中心にキリスト教は2000年の間、迫害を受けながら発展してきました。
私たちは天の父母様とイエス様に栄光を帰してきましたが、
キリスト教徒は何百年もの間迫害を受けてきました。
2000年前のキリスト教の宣教は「神様の独り子」を証することでした。
私たちはそのお方を「独り子」、「メシア」、「救い主」と呼びます。

今、真のお母様は「独り子」の使命を
──「独り娘」を見つけること──であると話されます。
わたしはこの「独り娘」という言葉について、
真のお父様が600巻の講演集の中で
400か所以上の所で話しておられるのを見出しました。
真のお父様は2000年前のイエス様と同じく、
救い主として来られましたが、わたしたちは良く理解できていませんでした。
しかし真のお母様はより深くより鋭く理解しておられました。

神様の摂理と独り子、メシア、救い主について理解を進める必要があります。
近頃、「メシア」「救い主」という言葉は世間であまり使われなくなりました。
我々の教会の中でもあまり使われなくなっています。
ところが真のお母様は真の父母を証する時はいつもこの言葉を用いられます。
現在、数多くの学者が「独り娘」をとりあげ、その意味を研究しています。
真のお母様の位置です。

お父様は信じるけれどお母様は・・・と言う人がいますが、
それは間違っているし、愚かしいことです。
世界で一番美しい言葉は何だと思いますか?
英国のある文化調査機関が多くの人を対象に調査したところによれば
それは「お母さん」という言葉だといいます。

わたしの母はいつもわたしを信じてくれました。
風邪を引けば最初に気付いてくれました。
成績が良かった時最初に気がついてくれたのも母でした。
何でも家族の誰よりも先に気付いてくれるのです。
真のお母様も同じです。

統一原理は終末には救い主が父母として来られると明言しています。
真の父母がいなければ誰も救われません。
真の父母は独り子、独り娘であると私たちは信じています。
2000年前、神様はイエスを独り子として送られました。
彼を通してのみ救いを受け、神様の愛を感じることができます。
今日、私たちは真の父母の生涯路程を知り、
真の父母がイエスの立場で来られたということを理解しました。
真の父母は人類と世界の救い主であられます。
統一家の食口の皆さん、私たちは神の歴史の新しいページを書いているのです。

私たちは単にニューヨーク家庭教会のメンバーではありません。
私たちの使命はただ教会員にとどまるのではなく天一国の主人になることです。
天一国が見えますか。
天一国の主体はだれですか。
私達です。
私達が天一国の主人です。
これこそ神の国であり主体は私の家庭、あなたの家庭です。

真のお母様は、許し、愛し、一つになることを強調されました。
お父様がニクソンのウォーターゲート事件で用いられて以来、
久しぶりにこの言葉を聞いて衝撃を受けました。
許すことなしに授受作用はできません。
そして授受作用なしに力を得ることができません。
愛は力です。
神様を中心とする愛こそ最強です。
その愛で一つになれるのです。
真のお母様が再び神様の独り子、独り娘を中心として、
このみ言を統一運動と世界に与えて下さいました。
70億人類を救う道はこれしかありません。
今年初め、真のお母様は尋ねられました。
「今、私たちの目的地はどこでしょう。
どのようにすれば皆が同じゴールにたどり着くことができますか」
天聖経によれば私たちは3つのことをしなければなりません。
1)真の父母様の伝統を相続すること。
命を懸けて、父母様の遺業と伝統を実践しなければなりません。
これが神様の第1祝福です。
2)真の父母様の教えに従って家庭理想を完成しなければなりません。
UTSで学んでいる時、カトリックの神父さんが
「統一教会の理想は素晴らしすぎて実現不可能だ」
と言ったことがあります。
実践するにはあまりに理想主義的だというのです。
しかし深く慎重に学べば、理想的すぎる事はないことが分かります。
3)氏族メシアの責任分担を果たして
自分の家庭から神の国を実現しなければなりません。
このことなしに天一国に飛躍することはできません。
自分と自分の家庭が備わっていなければ、
氏族が整うことはありません。
真の父母様と神様が天一国を用意して下さっていたとしても、
まず自分と家庭を省みなければ実現はできません。




以前、お世話になった教会長が
「お母さん」に関しての韓国の詩を
訳して、紹介してくださったことがありました。
(サモニムが日本語に訳しています)



お母さんはそれでも構わないと思っていました。
一日中、畑で死ぬほど大変な思いをして働いても。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
冷や飯をひとかたまり、適当にかまどに座ってお昼に間に合わせても。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
真冬に川の水で素手で洗濯をしても。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
お腹が一杯だ、食べる気がしないと言って、
家族をみな食べさせ、自分は飢えても。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
かかとが割れて布団が音を立てても。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
つめを切ることもできないくらい、すり減ってくずれても。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
お父さんが怒り、子供たちが心配を掛けても揺らがない。

お母さんはそれでも構わないと思っていました。
お母さんに会いたい。
お母さんに会いたい。
それがただ愚痴だと。

夜中に突然起きて、部屋の隅で限りなく声を殺して
泣いたお母さんを見たあとでは。
ああ!
お母さんはそれではいけなかったのです。


「お母さん」本当に素晴らしい言葉です。
しかも私たちは、「真の母」と呼べる方をいただいている
そのことがどれほど感謝であるか知れません。
真のお母様、ありがとうございます。



応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 15:55 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月11日

そこに愛があるから! 徹夜で祈られたお父様 〈草創期の教会〉



10462876_1502161306683705_8168874743392416325_n.jpg


先生(文師)を恋しく思って
教会に駆け込んでくるのは、
みんなにその原因があるのではなく、
先生にあるのである。
一人一人の名前を呼びながら
みんなのために
夜を徹して祈っているからだ




「受難の源流」という
武田吉郎氏の書いた書籍をたまたま目にしました。
『文鮮明師の西大門刑務所収監の真相』という副題があり、
お父様が西大門刑務所に収監されるに至った背景と経緯を紹介していますが、
同時に、韓国統一教会の草創期の様子も記されています。

お母様も「草創期の教会にかえりましょう」と言われましたが、
今、私たちが持たなければならない心情の世界を相続するにおいて、
とても参考になるものだと思うので、
これも不定期に何度か紹介したいと思います。


無題.jpg


今回は、史吉子先生が伝道されたときの証しです。
史吉子先生は当時、梨花女子大学の薬学科4年生でした。
高校生の時、金日成大学の学生から次のように詰問されたといいます。

「おまえはキリスト教徒だ。
神様はどこにいるのか? 
神様はどのような形をしているのか? 
神様も天国なども存在しない。
無いものを信じているのは馬鹿だ。
宗教は阿片だ。
このままでは、この南(大韓民国)は崩壊してしまう。
われわれはこの国を解放するために来たのだ」

この質問に返答できず、
共産主義を屈服させるために
神学を熱心に勉強する決意を持ちました。
しかし、いろんな教会に行っても、
自分で勉強しても明確な回答を得ることはできませんでした。
そんな中に、統一教会が大学に広まりました。
悪い噂も流れている中でしたが、
あることをきっかけに礼拝に行くことになりました。
そのときの証しです。


もちろん教会に行けば、薬を飲まされたり、
一度座ればそこから離れられない
電気装置があるという、うわさを聞いていたので、
ふたりは警戒して教会の隅の方に座った。
そのときは、水曜日の礼拝である。
ふたりは、その礼拝に参加して驚いた。

史吉子さんが通っていたメソジスト教会の礼拝は、
一時間ほどで必ず終わる静かな雰囲気のものであった。
それに対し統一教会の礼拝は、
狭い畳の部屋に膝を付き合わせるようにして座り、
文鮮明師の説教を聞きながら泣いたり笑ったりするのだ。

文師は涙を滝のように流しながら祈る。
信徒たちも
「アボジ(お父様)! アボジ!」と叫びながら泣いた。
「ここは大変な所だ。気がふれた人たちが集まっている」
このように感じた史吉子さんは、
恐ろしさと不安で祈りの時間も目をしっかりと閉じることはできなかった。

礼拝に来ている人は、先ほどまで泣いていたかと思えば、
今度は急に笑いだす。
信者たちが泣いていたのは、文師が神様とイエス・キリストの
悲しい心情を切々と訴えたからである。
笑ったのは、これからの未来の素晴らしい世界のことを話していたからだ。

史吉子さんは、逃げ出したい気持ちになったが、
周りの人があまりにも親切にしてくれるので断りきれず、
「統一原理」を聞くこととなった。

史吉子さんは「統一原理」を聴いて、
「これなら共産主義者と闘っても勝てる」と思った。
さらに講義を聴きながら、いつの間にかイエス様の悲しい心情に触れ涙を流した。
一緒に行った金正恩さんも、同じように泣いた。

史吉子さんの文師に対する第一印象は、
みずみずしいサニーレタスのようにとても清らかだったという。
それからというもの、史吉子さんは上級生と館長の立場を活用して、
寄宿生を伝道し始めた。

ある日、史吉子さんは学生課長に呼び出された。

「あなたは統一教会に行って、裸で踊ったのではありませんか?」

「踊ったこともありませんが、なぜ先生はそう言われるのですか?」

「統一教会に深入りすれば、裸で踊らされるようになります」

この言葉を聞いた史吉子さんは、次のように語った。

「文鮮明先生という偉大な指導者と出会ったので、
そのかたの後をついて行くのであって、
学生として間違ったことは何もしていません」

「あなたはまだ間もないので分からないでしょうが、
統一教会は必ずおかしなことをさせます」

「もし、先生がそのように言われるのでしたら、
統一教会に行って教理を聞いてみてください。
そして、間違いがあるかどうか確かめてください。
間違いがあれば私たちを諭してください」

「統一教会に行くことは、聖書に違反するので行きません」

史吉子さんと学生担当の教授との間で、このようなやり取りが続いた。

史吉子さんはある授業中、黒板を見ると文先生の顔が黒板に大きく現れ、
黒板の文字が見えなくなった。
授業中に無性に文先生に会いたい思いに駆られ、
授業が手につかなかったこともある。

文師はある日、このような現象について次のように語られている。
「先生(文師)を恋しく思って教会に駆け込んでくるのは、
みんなにその原因があるのではなく、先生にあるのである。
一人一人の名前を呼びながらみんなのために夜を徹して祈っているからだ」

文師のこのような熱い祈りによって、迫害の中にあっても
教会員たちはその困難を乗り越えて統一教会に集ってきたのである。



史吉子先生は、統一原理を通して
共産主義を克服する理論を得ることができました。

そして、先生だけでなくして、当時の食口たちが、
お父様を恋しく思い、教会に駆け込み、
また、迫害を乗り越えて伝道活動をしていきました。
その原因は、食口にあったのではなく、
お父様が名前を一人ひとり挙げながら
夜を徹して祈ることにあったのです。
まさに相続していくべき姿なのだと思います。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)



2014年09月10日

子育てはいつまで必要か?! 祝福まで?死ぬまで? 〈多田講師の家庭力UP講座〉



10151935_861042230589552_1028231501_n.jpg


子供が地獄の3丁目に行ったら、
愛しますか?
一緒に行ってみようという覚悟
できているでしょうか。



先日、地区主催で多田部長をお迎えしての
『良き親になるための一日セミナー』に参加しました。

以前、聞いたこともありましたが、
改めて参加して得るものがたくさんありました。
「家庭力アップ講座」としてブログでも紹介し、
重複しているところもあると思いますが、
何度かに分けて、紹介したいと思います。
(多少、私なりに分かりやすく
編集していますので、御了承ください)


この前、お父様の聖和2周年記念式を前後として
世界中の責任者を集めての会議がありました。
その中で、家庭教育をテーマとした会議があり、
私はそこに参加させていただきました。

韓国・アメリカ・日本の模範事例を発表したのですが、
日本においては、実は私が発表しました。
それで、私がびっくりしたのは、
親父ギャグが世界でも通じたこと(笑)。

実は、私の発表が大変好評でした。
世界のいろんなところから、「来て欲しい」と言われて、
何と、アフリカからも要請があったのです。
家庭、親子の問題は、日本だけでなく、
世界の問題であると実感しました。

基元節を通して、真の父母様が勝利されました。 
以降は、『私たちが真の親になって欲しい』と願っておられるのです。
今までの信仰ではなく、家庭がそろって天国にいく
時代に変わりました。家庭時代です。
父母と子女がひとつになるのです。
完全に一つになることを願われています。
父母とは、誰のことでしょうか。
私たちのことなのです。

さて、私たちは子供に対して、どのように接しているでしょうか。
子供が嫌いなのは、上から目線です。
すなわち、指示命令です。
押し付けて、そのときの言うことは聞いても
後で必ず反発します。

また、親の作った心の枠組みで、親も子供も苦しみます。
「礼拝・修練会・訓読会に参加すべきだ」
すなわち、『べき論』です。
従わない場合、「こんな子供を育てたのは誰のせいか」
そうやって、自分を追い込んでいませんか。。。

それは必要だけれど、もっと大事なのは信頼なのです。
親子関係の信頼が必要です。
信頼は信仰から生まれてきます。
すなわち、子供を信じる心から生まれるのです。

信頼関係があると教会に来るようになるし、
最終的には、祝福を受けるようになります。
信頼とは、愛を通い合うことです。

みなさん、信仰の目的は何でしょうか?
「愛」なのです。
今までは愛のない信仰でも良かったのかも知れません。
しかし、今はそういう時代ではありません。
心情生活が必要なのです。

皆さん、子供が地獄の3丁目に行ったら、
愛しますか?
「わが子だから」と言って愛することができますか?
地獄の3丁目に行ったら、
一緒に行ってみようという覚悟できているでしょうか。

証しを紹介します。

ある祝福二世がいました。
その子は、本当にすばらしい信仰を持っていました。
ところが親元を離れ、一人で生活をしているうち、
男女問題を抱えるようになりました。

そのことが親にばれました。
彼は、教会の教えを知っているので
自分は地獄に行ってもいい、とまで思っていました。

親はどうしたでしょうか。
予想外の反応をしたのです。
「お前が行くなら、お父さんも一緒に行くよ」
すなわち地獄の3丁目に一緒に行く、といわれました。

子供は、その言葉に驚きました。
「お父さんが来てもらったら困る・・・」
それで、子供は、必死に祈りました。
「神様、お父さんを地獄に入れないでください」
そんな中で、本人の気持ちが整理されました。
外的にも分別して、問題を自分で解決し、
とうとう教会に帰ってきたのです。

私たちの子供は、神様の子供なのです。
そのことを実感することが重要です。
信じぬくこと、信仰が必要なのです。
子供は、天から授かりました。
この子がいなければ、私は親になれないのです。

子育てはいつまで必要でしょうか? 
死ぬまでですか?
子供が祝福を受けるまで?
そうではありません。
私が真の親になるまで続けないといけません。
「この子を通して親になって欲しい」
神様がそのように願われて、
私を真の親にするためにこの子が与えられたのです。



不定期に続きます。

応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)