相手を受け入れるというのが2番目のポイントですが
昨日は、共感して、よく聴くという話をしました。
今日は、その続きです。
少しアレンジしています。
☆
相手を受け入れるためには、
「心の器」が必要ですが、
心の器を三つに分けて考えたいと思います。
心を「広く」、「深く」、更に「清く」していくというのです。
(1) まずは、「心の広さ」です。
これは、自分のことだけでなく、
他者のことを自分のこととして、時には自分のこと以上に思うこと、
それはまさに“為に生きる”「公的精神性」です。
「幸せ」には二種類があります。
一つは「自分を喜ばせる」という幸せです。
自分の願いや欲望が叶うと幸せを感じます。
もう一つは、「相手を喜ばせる」という幸せです。
相手の願いが叶ったり、悩みが解決されたり、
嬉しそうにしていることを見ることも幸せです。
自分を喜ばせるだけでなく、
相手を喜ばせる幸せを求める人は、
自分に対しても自信と誇りを持って生きています。
何よりも、相手の為に生きることが大切だということです。
(2) 次に「心の深さ」です。
喜怒哀楽の情感や、人の心の機微、
情緒を理解する「情的感性」です。
自然界を見ることを通して、
神様の創造のみ業の素晴らしさに触れることができます。
真のお父様は、神様の心情を誰よりもご存知であり、
また、私たちの心の隅々まで理解しておられる方です。
お父様は公的な場では、本当に堂々としておられます。
まさにメシヤの立場です。
しかし、個人的には本当に『親』です。
お父様は霊的に敏感なので、その人がどんな性格であり、
何を感じ、考えているのか明確にわかります。
しかし、それでも私に関心を持ってくださり、
『あなたのために生まれてきた』
と思うほどに私を愛してくださいます。
だから、まさに『親』なのです。
(3) さらには、「心の清さ」も重要です。
それは、純潔、純粋さ、純情さ、純朴さです。
そして、それは言い換えれば
神に対する「絶対貞操」と言えます。
心の清さを保つことは心の大きさにつながり、
善悪を分別する、心の強さも表わすものです。
カトリック信者は神父さんに懺悔し、
罪を贖ってもらうわけですが、
私たちは祝福を通して原罪を清算して頂きました。
また日々の精誠を通しても罪の清算をし、
清い(聖い)者となっていくのです。
☆
今までのところまでを整理してみますと、
私たちがこの時代にふさわしい天国人(真のアベル)になるためには
5つの要素が必要となります。
1 私は「神の子」「中心人物」であるという自覚をもつ
2 相手を受け入れる (共感的に聴く)
(1) 心を広げる (為に生きる)
(2) 心を深める
(3) 心を清くする (純潔)
ここまで、今日お話しました。
あとの3つは以下です。
3 赦す
4 愛する
5 一つになる
もう少し続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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