何回ゆるすのか
「わたしは七たびまでとは言わない。
七たびを七十倍するまでにしなさい」。
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「わたしは七たびまでとは言わない。
七たびを七十倍するまでにしなさい」。
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昨日に続きます。
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第三に必要なことが「相手を赦す」ということです。
相手が、「尊敬する人」や「好感をもった人」であれば、
当然、受け入れることができます。
また、「普通の人」であれば、少し努力すれば受け入れられるでしょう。
しかし、相手が「嫌な人」であったり、「敵・怨讐の人」であれば、
受け入れることは簡単ではありません。
まさに、「赦せない心」が湧いてくるのではないでしょうか。
赦せない心を持つと、人間関係における様々な課題が出やすくなります。
例えば、赦せない心を持つと、「嫌いな人」が増えたり、
「人のせいにする」傾向が強まったり、「自己への否定感情」が高まったり、
「人間関係」が壊れやすくなります。
そして実は、一番近い人が赦しがたい怨讐となるのです。
まず私自身が、神様によって父母様によって
赦されている、この思いが大切です。
私自身に「神様からの赦し」を発見すれば、
隣の人を赦し、そして愛することができるのです。
☆
「赦し」に関しては皆様もご存知の有名な聖句がありますね。
マタイによる福音書18章から、抜粋します。
ペテロがイエスのもとにきて言った、
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、
幾たびゆるさねばなりませんか。
七たびまでですか」。
イエスは彼に言われた。
「わたしは七たびまでとは言わない。
七たびを七十倍するまでにしなさい。
・・・・あなたがためいめいも、
もし心から兄弟をゆるさないならば、
わたしの天の父もまたあなたがたに対して、
そのようになさるであろう」。
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「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、
幾たびゆるさねばなりませんか。
七たびまでですか」。
イエスは彼に言われた。
「わたしは七たびまでとは言わない。
七たびを七十倍するまでにしなさい。
・・・・あなたがためいめいも、
もし心から兄弟をゆるさないならば、
わたしの天の父もまたあなたがたに対して、
そのようになさるであろう」。
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真のお父様も同じようなみ言を語られています。
世の中の父母も自分の息子、娘が
罪を犯して絞首刑に処されることになれば、
その子が死ぬことを願う父母はいません。
自分の思いどおりに子を生かすことができるならば、
百回でも千回でも生かしてあげたいのが父母の心です。
母親の気持ちはなおさらそうです。
堕落した世界の女性の心もそうであるのに、
全知全能の神様がいったい何ゆえに、
終わりの日になって
審判をしなければならないのかというのです。
神様がなぜ赦してあげられないのかというのです。
神様はどれほど愛するでしょうか。
イエス様が七回ずつ七十倍赦すとすれば、
神様は七十回ずつ、
七千回以上赦さなければならないでしょう。
神様の心はそうだというのです。
☆
罪を犯して絞首刑に処されることになれば、
その子が死ぬことを願う父母はいません。
自分の思いどおりに子を生かすことができるならば、
百回でも千回でも生かしてあげたいのが父母の心です。
母親の気持ちはなおさらそうです。
堕落した世界の女性の心もそうであるのに、
全知全能の神様がいったい何ゆえに、
終わりの日になって
審判をしなければならないのかというのです。
神様がなぜ赦してあげられないのかというのです。
神様はどれほど愛するでしょうか。
イエス様が七回ずつ七十倍赦すとすれば、
神様は七十回ずつ、
七千回以上赦さなければならないでしょう。
神様の心はそうだというのです。
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イエス様もお父様も「無限に赦せ」と語られているのです。
罪深い私たちに対して、神様は
何度も赦そうとしてこられたことを忘れてはいけないと思います。
真の父母様も、私たちの罪を何度も赦し、
とりなしして下さいました。
また、真のお母様のスイスにおける登山と共に捧げられた
精誠訓読と祈祷の背後には、我々に対する
「赦し」の道をつくるためでもあったことを忘れてはいけないでしょう。
神様と真の父母様の愛と赦しに感謝して、
周りの人に対して私自身も赦しの実践をしていきたいと思います。
〈天国人(真のアベル)になるための5つの要素〉
1 私は「神の子」「中心人物」であるという自覚をもつ
2 相手を受け入れる (共感的に聴く)
(1) 心を広げる (為に生きる)
(2) 心を深める
(3) 心を清くする (純潔)
3 相手を赦す
4 相手を愛する
5 一つになる
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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