2014年09月11日

そこに愛があるから! 徹夜で祈られたお父様 〈草創期の教会〉



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先生(文師)を恋しく思って
教会に駆け込んでくるのは、
みんなにその原因があるのではなく、
先生にあるのである。
一人一人の名前を呼びながら
みんなのために
夜を徹して祈っているからだ




「受難の源流」という
武田吉郎氏の書いた書籍をたまたま目にしました。
『文鮮明師の西大門刑務所収監の真相』という副題があり、
お父様が西大門刑務所に収監されるに至った背景と経緯を紹介していますが、
同時に、韓国統一教会の草創期の様子も記されています。

お母様も「草創期の教会にかえりましょう」と言われましたが、
今、私たちが持たなければならない心情の世界を相続するにおいて、
とても参考になるものだと思うので、
これも不定期に何度か紹介したいと思います。


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今回は、史吉子先生が伝道されたときの証しです。
史吉子先生は当時、梨花女子大学の薬学科4年生でした。
高校生の時、金日成大学の学生から次のように詰問されたといいます。

「おまえはキリスト教徒だ。
神様はどこにいるのか? 
神様はどのような形をしているのか? 
神様も天国なども存在しない。
無いものを信じているのは馬鹿だ。
宗教は阿片だ。
このままでは、この南(大韓民国)は崩壊してしまう。
われわれはこの国を解放するために来たのだ」

この質問に返答できず、
共産主義を屈服させるために
神学を熱心に勉強する決意を持ちました。
しかし、いろんな教会に行っても、
自分で勉強しても明確な回答を得ることはできませんでした。
そんな中に、統一教会が大学に広まりました。
悪い噂も流れている中でしたが、
あることをきっかけに礼拝に行くことになりました。
そのときの証しです。


もちろん教会に行けば、薬を飲まされたり、
一度座ればそこから離れられない
電気装置があるという、うわさを聞いていたので、
ふたりは警戒して教会の隅の方に座った。
そのときは、水曜日の礼拝である。
ふたりは、その礼拝に参加して驚いた。

史吉子さんが通っていたメソジスト教会の礼拝は、
一時間ほどで必ず終わる静かな雰囲気のものであった。
それに対し統一教会の礼拝は、
狭い畳の部屋に膝を付き合わせるようにして座り、
文鮮明師の説教を聞きながら泣いたり笑ったりするのだ。

文師は涙を滝のように流しながら祈る。
信徒たちも
「アボジ(お父様)! アボジ!」と叫びながら泣いた。
「ここは大変な所だ。気がふれた人たちが集まっている」
このように感じた史吉子さんは、
恐ろしさと不安で祈りの時間も目をしっかりと閉じることはできなかった。

礼拝に来ている人は、先ほどまで泣いていたかと思えば、
今度は急に笑いだす。
信者たちが泣いていたのは、文師が神様とイエス・キリストの
悲しい心情を切々と訴えたからである。
笑ったのは、これからの未来の素晴らしい世界のことを話していたからだ。

史吉子さんは、逃げ出したい気持ちになったが、
周りの人があまりにも親切にしてくれるので断りきれず、
「統一原理」を聞くこととなった。

史吉子さんは「統一原理」を聴いて、
「これなら共産主義者と闘っても勝てる」と思った。
さらに講義を聴きながら、いつの間にかイエス様の悲しい心情に触れ涙を流した。
一緒に行った金正恩さんも、同じように泣いた。

史吉子さんの文師に対する第一印象は、
みずみずしいサニーレタスのようにとても清らかだったという。
それからというもの、史吉子さんは上級生と館長の立場を活用して、
寄宿生を伝道し始めた。

ある日、史吉子さんは学生課長に呼び出された。

「あなたは統一教会に行って、裸で踊ったのではありませんか?」

「踊ったこともありませんが、なぜ先生はそう言われるのですか?」

「統一教会に深入りすれば、裸で踊らされるようになります」

この言葉を聞いた史吉子さんは、次のように語った。

「文鮮明先生という偉大な指導者と出会ったので、
そのかたの後をついて行くのであって、
学生として間違ったことは何もしていません」

「あなたはまだ間もないので分からないでしょうが、
統一教会は必ずおかしなことをさせます」

「もし、先生がそのように言われるのでしたら、
統一教会に行って教理を聞いてみてください。
そして、間違いがあるかどうか確かめてください。
間違いがあれば私たちを諭してください」

「統一教会に行くことは、聖書に違反するので行きません」

史吉子さんと学生担当の教授との間で、このようなやり取りが続いた。

史吉子さんはある授業中、黒板を見ると文先生の顔が黒板に大きく現れ、
黒板の文字が見えなくなった。
授業中に無性に文先生に会いたい思いに駆られ、
授業が手につかなかったこともある。

文師はある日、このような現象について次のように語られている。
「先生(文師)を恋しく思って教会に駆け込んでくるのは、
みんなにその原因があるのではなく、先生にあるのである。
一人一人の名前を呼びながらみんなのために夜を徹して祈っているからだ」

文師のこのような熱い祈りによって、迫害の中にあっても
教会員たちはその困難を乗り越えて統一教会に集ってきたのである。



史吉子先生は、統一原理を通して
共産主義を克服する理論を得ることができました。

そして、先生だけでなくして、当時の食口たちが、
お父様を恋しく思い、教会に駆け込み、
また、迫害を乗り越えて伝道活動をしていきました。
その原因は、食口にあったのではなく、
お父様が名前を一人ひとり挙げながら
夜を徹して祈ることにあったのです。
まさに相続していくべき姿なのだと思います。


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