2014年09月20日

(証し) 梨花女子大事件の起こる前…?! 〈草創期の教会〉



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土より劣る身 汚れ果てし我を
捨て給わず赦し 死より蘇(いか)し給(たも)



受難の源流・今日は梁允永先生の証しです。
梁先生はご存知の通り、聖歌17番『誓い』
をはじめとして、有名な曲をたくさん書かれています。


梁允永女史は、統一教会の理念(「統一原理」)を劉孝元氏から聞き始めた。
初めの講義の内容は、神様が人間と宇宙をどのように創造されたかである。
梁允永女史は、講義を聴きながら驚いた。

人から「神様はどこにいるのか。神様はどのようにして生じたのかを教えてほしい」
などと聞かれても、今まで説明することができなかった。

ところが、劉孝元氏の講義は、梁允永女史の長年の疑問を
いとも簡単に解明していたのである。

聖書の中でどうしても理解できなかったことも、
明快に説明しているのであった。
この教会が異端ではないかという警戒は、
すでに梁允永女史の心の中から完全に消え去っていた。
梁允永女史は、翌日も講義の続きを聴いた。

講義を聴き進んでいくに及んで、
無性にこの教えを解いたかたに早く会いたい心情に駆られてきた。
“この真理を解いたかたは、神様に近いかたに違いない”
と、梁允永女史は確信したのである。
梁允永女史は、自然に込み上げてくる思いを抑えきれなくなり、
講義をしていた劉孝元氏にこう懇願した。

「この真理を解明されたかたに、早く会わせてほしい」

劉孝元氏は講義を中断して、笑みを浮かべながら答えた。
「本当にこの真理を解いた人に、会いたいのですか?」

「本当です。早く会わせてほしい」

その日の午後五時、一人のジャンパー姿の青年が
梁允永女史たちがいる部屋に入ってきた。
梁女史はその青年の顔を見ると、
六か月ほど前に一度会ったことがある青年だった。
その青年こそ、「統一原理」を解かれた統一教会の教主、文鮮明師であった。

文師は、一九五三年九月十七日に釜山からソウルに来て、
鍾路区の壽松国民学校の近くに下宿しておられた。
同年十月十八日、梁允永女史は釜山にいた妹(梁允信女史)に誘われて、
文師に会っていたのである。

初めて会ったときの文師は
「聖書だけでは乱れた世界を救うことはできない」と、
泣きながら語られ、文師が神様の道を歩むようになった動機や、
人間の救いに関して語られた。

初めて会ったときの厳粛で堅実な印象とは違って、
再び見る文師は慈しみ深く感じられたのである。
文師は梁允永女史たちに、夕方の五時から翌朝まで
イエス様や聖書について話し続けた。

梁允永女史は、劉孝元氏から講義を聴いた三日後の四月五日、
統一教会に入信した。
梁允永女史は、この教えが真理だと悟るや、
民族のために生涯をささげた伯父(梁甸伯牧師)のように、
統一教会に一生を懸ける決意を固めた。

この時からの梁允永女史の伝道活動には、目を見張るものがあった。
入信した翌朝五時から伝道に出かけたのである。
最初に訪ねたのが、知り合いの韓景職牧師(永楽教会の創立者)の家であった。
「統一原理」を伝えようとしたが、牧師に“気がふれた”と思われてしまった。

その後は、学んだ真理を李承晩大統領に伝えるため、
同大統領夫人に親しかった人々を訪ねた。
その中のひとりに、梁允永女史の学生時代の師であり、
当時の梨花女子大学校の朴瑪利亞副総長も含まれている。
朴副総長は、後の「梨花女子大事件」と文師の収監に深くかかわった人物である。

梁允永女史には、朴瑪利亞副総長を集中的に伝道するように
霊界からも夢や啓示で働きかけがあった。

そのため、同女史は毎日のように朴副総長の家を訪ねた。
梁允永女史にとって副総長は恩師でもあり、容易に訪問することができた。
ある早朝、副総長の家を訪ねると、恩師はネグリジェ姿で出て来た。
副総長はとても驚いて、

「こんなに朝早くから、何があったというの?」と言いながら家に招き入れた。

梁允永女史は興奮した口調で、副総長に語り始めた。

「先生、私は“新しい真理”を見つけました。新しい真理がこの地上に現れたので、
先生も私と一緒に行って、必ず一度聞いてみてください」

この話を聞いた副総長は、梁允永女史を変に思い、

「人は、まともな信仰をしなければなりません」と言いながら勧誘を拒んだ。

梁允永女史は副総長が煩わしく思うほど、その後も何度か接触を図った。
その甲斐あってか、一九五四年四月二十九日、
やっと統一教会に来て「統一原理」を劉孝元氏から三十分ほど聞いた。
ところが、教理の導入部分である「総序」の講義が終わろうとするとき、
副総長はいきなり立ち上がり、
 「あなたがたは、このようなことで世界を救えるというのですか?」
と言って飛び出してしまった。
ちなみに、同じこの日(四月二十九日)、
治安局情報課の職員と警務官が「統一原理」を聞いている。

このころ梁允永女史は、文鮮明師から
梨花女子大学校の総長や副総長を伝道するうえでの諸注意を受けていた。
ところが、梁允永女史は入信した翌朝から伝道に出掛けるほど
「統一原理」を伝えたい衝動に駆られていたため、
まだ話してはならないと文師から忠告されていた内容についても、
朴副総長に語ってしまっていたのである。

梁允永女史は、副総長以外にも長官(大臣)、教授、
牧師などを伝道しようとしたが、
「統一原理」を聞いても信仰を持つまでに至る人はほとんどいなかった。


かつて統一教会を迫害した
梨花女子大学の副学長・朴マリア氏を導こうとしたのが、
梁允永先生だったと初めて知りました。

しかし、上述の通り、み言を聞くまでは至りましたが、
受け入れることは出来なかったのです。

こんな素晴らしいみ言、真理であったとしても、
その人の心が受け入れなければ
その素晴らしさを理解することができない、そんなことがあります。
私たちは、聞かせさえすれば受け入れると思うのですが、
決してそうではありません。

そして、梨花女子大や延世大の学生や教授などが、
多く復帰されてきたとき、
お父様は、彼らに、そんなに教会に来ないように、
戻りなさい、と言われたにもかかわらず、
彼らはその気持ちを止めることができず
教会から帰らなかったといいます。

日本においても同じようなことがあったと思います。
立正佼成会から多くの人が導かれました。
そのとき、いろいろ問題が起こり、
お父様は戻るように言われたと聞いています。
しかし、みんな統一教会にいる方がいいと言って、
戻らなかったのです。
そのことによって、関係が断ち切られてしまいました。

私たちは、復活する(心が感動で満ちるような状態になる)
と回りが見えなくなったりします。
私もかつて学生時代、み言に出会い、
そのあと2日間の修練会であまりにも感動したので、
母に少し話してしまったことがありました。
そのこともきっかけとなり、
親からの迫害が始まりました。

心が復興するから、すべてを話してしまいたいし、
また、教会から帰りたくない・・・
そんな思いも出てくるのはわかる気がします。
また、そういうときほど、
たとえお父様から言われていたとしても、
人から言われていることは入らないときがあります。

幼子のようになってしまうのかな、と思います。
そんな全てを収拾し、足らないところは
ご自身で全て背負っていかれた真のお父様なのだと思います。


「 誓い 」

土より劣る身 汚れ果てし我を
捨て給わず赦し 死より蘇(いか)し給(たも)
いたわり育て 血の汗流して
説きたもうみ言 今ぞ心に奉(たてまつ)

知恵なく弱き身 御跡(みあと)慕いて行き
つまづき倒るれば
(かえり)み呼びたもう
峻しきいばらの 血に染みし主の道
われ今誓い行く 父の居ますみ国に

眠りより覚めて 真のみ旨知り
心ただ一つに み旨のために生き
み旨のために死なん 勝利の日来るまで
み旨受け戦う 共に戦い行かん



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