2014年10月04日

今日は何の日?! 10月が「解放と祝福の月」になった所以(ゆえん)、以南出監記念日!



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風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木に
なるわけにはいきませんでした




10月は、解放と祝福の月であると言われます。
今日、10月4日は、第39回天勝日であり、
かつ以南出監59周年の歴史的な一日です。

天勝日は、ワシントン大会勝利の後
宣布されたものですが、
その20年前の以南出監というものがあったからこそ
成された宣布だったと思います。

「以南出監」は、梨花女子大事件後の醜聞の中、
お父様が兵役忌避で収監された西大門刑務所から、
3ヵ月ぶりに無罪釈放になった、記念の日です。
以北の興南に対峙して、以南と呼ばれています。

それは、まさしく愛で屈服させるという、天の勝利にふさわしいものでしたが、
真のお父様の所内での様子や、釈放前後のことを、
『受難の源流』より、ピックアップして紹介します。


文鮮明師が西大門刑務所に入ったとき、
刑務課長は文師を見てあざ笑った。
「統一教会が何だかんだ言っても、結局はこのありさまだ」

このとき文師は、次のように決意している。

「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」

「屈伏させる」という意味は、人格的行動を通して
自然に尊敬の念を持たせることを示している。

収容所の中では、文師のうわさが広がっていた。
同師は人々から何と呼ばれても、何も答えず静かに座っていた。
約二週間が過ぎると、文師に対する態度が少しずつ変わり始めた。
それは、囚人たちが朝早く起きてトイレに行こうとすると、
文師はいつも祈祷していたからだ。

刑務所の中にはさまざまな人々がいた。
ある牧師は文師を見るとひどい剣幕で、
「おまえの教えとは、一体全体何だ?」と食ってかかってきた。
このような牧師も、やがては文師の人格に触れ親しくなった。

囚人の中には、皆から厄介者扱いされていた人がいた。
「こんなやつは死んだほうがいい」と、人々から思われていた囚人である。
だれからも嫌われていたその男に、文師は接触しながら彼をたしなめた。

「文さんが来てから、あの男が変わった」
「彼は文さんの言うことなら従う」
このようなうわさが、刑務所内に立ち始めた。

人々はこのような文師の姿と、収監されている信徒たちと同師との触れ合い、
さらには先に述べた面会に来る信徒たちとのようすを見て、
「世間では、あのように統一教会の悪口を言って反対しているが、文氏はできた人物だ」と、
文師に対する見方が変わっていったのである。

文師は、囚人たちに対して常に父母の心情を持って接した結果、
彼らから尊敬を勝ち取ったのだった。
刑務所内では、不思議なこともあった。

文師の知らない所で、自分だけで餅を食べた囚人がいた。
ところが、どうしたことかその餅が喉に引っかかって飲み込めなくなったのだ。
その後、男はこの話を文師にしようとしてやってきたが、
その男がその話を言う前に、同師はそのことを知っていた。
文師はその人になぜ朝、食べた餅が喉に引っかかったかを説明した。

さらに、ある囚人に天使が現れて、
「おまえは何番のあのかたの所に行ってあいさつをせよ。
そして、差し入れがあれば全部ささげなさい」と叱りつけた。


文師の無罪判決の記事は、どの新聞も人々が見過ごしてしまうような
小さなものでしかなかった。
文師の逮捕やスキャンダルを大きく扱ったときと比べると、
あまりにも落差があった。
信徒たちは、マスコミを通して文師と統一教会の悪い印象が
払拭されることを願ったが、その期待は完全に裏切られた。

そのため、文師が無罪であったことを知らない人も多かった。
大勢の人々の心に残ったものは、「統一教会」が、
いかがわしい教団であり、「文鮮明」教祖は淫らな人物というイメージである。

十月四日、午後九時四十分、文師は釈放された。

三か月ぶりに教会に戻った文師は、出迎えた信徒一人ひとりと握手をして
彼らにねぎらいの言葉を述べた。
それを聞いて教会員たちは涙を流した。
文師は切ったリンゴを彼らに一つひとつ渡したあと、
夜が明けるまで語り続けた。
梁允永女史は、そのとき文師が語られた言葉の一部を、
次のように記憶している。

「わたしが韓国だけで裁判を受けると思っているのか! 
これから世界的な裁判の場がわたしの前に迫ってくる。
しかし、わたしは神様の御旨を成し遂げる時まで少しも屈することなく、
ひるまず、この道を行く」

文師は、言葉で表すことのできない苦難の道を歩んだ信徒たちを愛し慰め、
これから行く道を示されたのである。

十月九日(日)聖日礼拝が行われた。
文師の説教の題目は「真理はすべてのものを捨てることから出発」であった。

十月十日(月)「文鮮明先生出獄歓迎会」が、
ソウル・青坡洞本部教会の二階で開催された。
その日文師は、教会員にポップコーンとリンゴを親しく分配された。



刑務所に入った時には、あざ笑われたお父様でしたが、
自叙伝には、人々がお父様の姿に屈服し、
面会に押し寄せる食口の様子を見て感嘆したと書かれています。
釈放の日には刑務所長と課長らが
丁重に見送り、彼らも3ヵ月後には
教会の信者になっていたということです。

真のお父様は、ダンベリーの時もそうですが、
西大門刑務所に入られる時も、
すでに予想しておられたのでしょう。。。
しかし、『わたしは神様の御旨を成し遂げる時までこの道を行く』
その決意は凄まじいものでありました。

さらには、「わたしがここにいる間に、必ず彼らを屈伏させる」
この決意も揺るがないものでした。
真の愛によって、囚人たちを自然屈服させていく精神、
これは今の私たちにおいても相続すべきものだと思います。

以南出監記念日を期して、改めて私たち祝福家庭が
決意していく内容ではないか、そのように感じます。


自叙伝のみ言

デマによって後ろ指をさされ、
(もてあそ)ばれた痛みを忘れることはできません。

大勢の人が私を激しく責め立てて、
三千里半島に私の体が立つ場がなくなっても、
一切を耐え忍んで乗り越えてきましたが、
その悲しみは今も心の片隅に物寂しく残っています。

風雨に曝(さら)され、火に焼かれても、
絶対に燃えて死ぬ木になるわけにはいきませんでした。

焦げた木の枝にも春が訪れるように、
新芽は必ず生えてきます。

強い信念を心に抱き、堂々と歩いて行けば、
世の中も正しく私を理解してくれるでしょう。


「平和を愛する世界人として」
第三章より



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posted by ten1ko2 at 10:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする