2014年10月05日

(証言)お父様の連行! 統一教会への醜聞、デマはこうして始まった! 



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縄にて打たれる身 引かれ行く姿
   カメラフラッシュも 審きの日を告ぐ
   ののしるユダ人 あざける祭司ら
   避け得ぬこの道 われまた行くのか



昨日の話に関連し、お父様が西大門刑務所に
入られるまでの経緯が気になりました。
『受難の源流』を少し遡って紹介します。

当時は、梨花女子大事件の後で、
事実無根のデマが吹聴されていた頃でした。
無罪釈放の3ヵ月前にそれは起こりました。


文鮮明師は、どのようにして拘束されたのだろうか。
文師が拘束されるのを目撃した信徒の話をまとめてみることにしよう。

1955年7月4日夕方、文師がソウルにある統一教会(奨忠洞教会)の
礼拝堂の後ろ側の部屋に一人でおられた。
そこに、二人の刑事がやってきて、

「ちょっと聞きたいことがあるので、一緒に警察署まで来てほしい」

と言って文師を連行した。
この日は、雑誌社や「平和新聞」記者も教会を訪ねている。

そのとき、文師は台所で食事の準備をしていた二人の女性に、
「行って来る」とだけ言い残して出て行った。
信徒たちは、すぐに文師が帰って来ると思っていたが、戻らなかった。

文師がソウルの治安局特殊情報課(中部警察署)に連行されたときの状況を、
信徒の李秀卿氏は次のように述べている。

「先生が奨忠派出所の方に向かわれながら、“安心していなさい”
というようなまなざしで後ろを振り向かれたりされるので、
涙がにじんでお顔を拝見することができなかった。
空色のズボンと空色の半袖の開襟シャツに白いゴム靴で行かれたが、
刑事たちが“ちょっと連れて行く”と言っていたその道が、
刑務所に行く道であったとは! 
その堂々とされた慈悲深いその日のその姿が、今も目に焼きついている」

李秀卿氏は、重い足どりで教会に戻ると、
そこは空き家のような気がしてむなしさが襲ってきた。
教会にいた信徒たちは、ことの重大さを知り混乱していた。
泣いている者もいれば、祈っている者もいた。

そこに、文師に同行して治安局まで行った劉孝元氏が戻って来た。
劉孝元氏の姿は失意に沈み、目からは涙がこぼれていた。
信徒たちは父母を失った孤児のようであった。

文師が拘束されてから迫害や嘲笑を受けたが、信徒たちは共に力を合わせた。

「このような時こそ、熱心に祈りましょう」

こう言って、午前零時、三時、六時、九時と三時間おきに祈りの時間を持った。

治安局の取り調べは、拘束された者だけではなかった。
何人かの信者も治安局から呼び出され、尋問を受けている。

(梨花女子大を)退学させられた姜貞遠さんは七月七日、
治安局で朝九時から夜八時まで調べられた。
彼らは罪状を暴露しようと、あらゆる手段をもって尋問した。
文師との肉体関係があったかどうかについても迫っている。

音楽科講師だった梁允永女史も、治安局に三回呼ばれて取り調べを受けた。
治安局がいちばん立証したかったのが、文師の不倫な男女関係であった。

このとき治安局長は、梁允永女史に牧師たちをはじめ梨花女子大学総長からも、
統一教会を訴える八十余通の投書が送られてきたことを打ち明けている。

この後も、検察官が梁允永女史の自宅を訪ね調査を重ねた。

「文先生が寝た部屋はどこか? 寝るとき、だれが布団を敷いたのか?」

投書に書かれている文師の淫らな男女問題を、検察官は検証しようとしたのである。

梁允永女史に対する事情聴取は、それだけではなかった。

ソウル市内の龍山警察署の捜査主任からも調べられている。
同主任は日本帝国主義時代から三十年間、捜査官として働いてきたベテランである。
彼は梁允永女史に次のような質問をしている。

「現在、売られている月刊雑誌『実話』に書かれている統一教会のことは、
事実かどうか率直に話してほしい」

『実話』の記事は、文鮮明師の女性に対するスキャンダラスな報道のことを指している。

「三十年も捜査官をしておられるなら、
人の目を見ただけで一瞬にして判断できるでしょう。
私の目が嘘を言っているかどうか見てください」

梁女史の言葉を聞いて、捜査官は尋問をやめた。

文鮮明師がソウル地方検察庁に送検される1955年7月13日、
多くの人々が集まってきた。
世を惑わすと言われる男を一目見ようとやってきたキリスト教徒、
大学の関係者たちである。
報道陣は、一斉にカメラのシャッターを切った。
群衆は文師の姿を見てあざ笑った。

「あれが偽キリストか?」

「あれが世を惑わす悪人だ!」

文師はこの時、一言も弁明しなかった。

この様子は、見ていた信徒たちに二千年前の
イエス・キリストをほうふつさせた。

イエス・キリストがイスラエルの民衆の前に引きずり出され、

「イエスを十字架につけよ!」

と言われたとき、イエス・キリストは
何一つ弁明しなかったのと酷似していたからである。


上述した内容を読めば、劉孝元先生が作詞された
『苦難と生命』(聖歌13番)を思い起こす人も多いでしょう。

     義人聖人聖徒ら成せずに残す道
   結ばる復帰業(わざ) 主は立ち呼びたもう
   すべての天使天軍 成されぬ御意(みこころ)
   秘められし御旨 主はたずねたもう

   世人の姿で歩まれるわが主
   行く道苦しも いかでか拒むや
   永遠のエデンにましますわが主の
   行かれし誉れ われは喜ぶ

   主が行くその道 死の場もわれは行く
   恐れず雄々しく 立ちてわれ行く
   行かんとするわれ 誰が妨ぐ
   行くべきこの身を 誰が妨ぐ

   縄にて打たれる身 引かれ行く姿
   カメラフラッシュも 審きの日を告ぐ
   ののしるユダ人 あざける祭司ら
   避け得ぬこの道 われまた行くのか




お父様の嫌疑は無罪釈放という形で終わりました。
しかし、デマと噂は残りました。
現在、統一教会のイメージとして残され、
噂の根拠とされるものは、その多くが
この時のデマが発祥だといいます。

昨日の記事を読んだ、韓国在住の日本食口が
『韓国では、いまだに当時の如何わしいデマを
そのまま鵜呑みにしている人がたくさんいます(特に年配の人)。
私の職場にもそのような方がいました。
最初は、休み時間など、汚物のようによく悪口を言われました』
そのように伝えてくれました。

しかし、『今は受け入れてくれるようになった』ということです。
『やはり常にともに仕事をしながら、苦楽をともにしながら、
謙虚に為に生きて、信用してもらうことから、解いていく道しかないのだな』
そのように感じるといいます。

統一教会に対して、過去のスキャンダルを始めとして
今も中傷・罵倒を浴びせかける人たちがいます。
本当にそうなのかではなく、
噂だけが一人歩きしている部分が多くあります。
言うに言えない事情もあるのですが、
真のお父様はすべてを飲み込まれていかれました。
そんな世界を相続する私たちに
ならないといけないのではないかと思うのです。


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自叙伝のみ言


延世大・梨花女子大事件が紙面を賑わしたことで、
その時までに誕生していた新興宗教のありとあらゆる悪い噂が
全部私たちの仕業になってしまいました。
「そうかもしれない」で始まったデマは、
そのまま「そのとおりだ」となって、
私たちに襲いかかってきました。

激しく叩かれて、私たちの教会は大きな痛手を被りました。
無念で、腹も立ち、声を上げて抵抗したかったのですが、
私は何の声も出さなかったし、
彼らと争いもしませんでした。
なぜなら、私たちの行く道はあまりにも険しく、
目的の場所ははるか遠い先にあって、
争っている時間はなかったのです。

ところが、噂は静かになるどころか、日が経つにつれて
ますます増殖し、異常なほどの広がりを見せました。
誰彼となく立ち上がって私を指さしました。
……私がよりによって裸になって踊りを踊る
という噂まで出回ったのです。

……この種の誤解を解消しようとすれば時間が必要です。
そのことをよくよく承知している私は、
一言の弁明もしませんでした。
人を知ろうとしたら、その人と
付き合ってみなければ本当のことは分かりません。


p138〜139より


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