2014年10月07日

豚の目には豚が見える?! ただ一点、神を見つめているか?   



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「不平不満」が不幸を連れて来る
「感謝する心」は神様を近づける



本部の先生が韓国のクリスチャンの証しを交え、
お話してくださっています。
心に残る内容だったので、要約して紹介します。


あるお母さんは、若くしてご主人を亡くされました。
残された一人娘を手塩にかけて育て、有名な大学に通わせ、留学もさせました。
そして、娘は著名な大学の教授になりました。

娘は高校卒業後、教会を離れ、世の中で生活していましたが、
母親の勧めで教会に通うようになり、
礼拝に出て、教会にしばらく通うと失望が大きくなりました。
なぜなら、あちこちで女性たちが集まって男の噂話をしたり、
長老がはじめて会った自分に息子の大学入学を頼みに来るし、
会議室では争う声がドアの外に漏れ出ました。
あまりにも腹が立った娘は、母親の手を引いて、家に帰ろうと促しました。

その時、今まで静かなだけの母親が毅然として話をしました。
「私は生涯、教会に通いながら神だけを見て生きてきたが、
お前はぴったりの日に来て、本当に多くのものを見たんだね」
この言葉を聞いた娘は大きな衝撃を受けました。
娘は母が何も考えずに教会に通っているのかと思っていましたが、
母はそのような母ではなかったのです。
母の見るレベルと自分の見るレベルは天地よりも大きな差があったのです。



このお母さんの言葉は、信仰者として
私たちに訴えかけるものがあると思います。

私たちは、自分の見る目線で物事を見てしまいます。
例えば、蟹だったら蟹がその目で見えるものは、
遠くのものではなく、近くにあるものだけです。
遠くのものはよく見えません。
近くにあるものはよく見えるのです。

偽りが見えるならば、私が偽りのそばにいるのです。
そして、傲慢が私の目に見えるとしたら、私の近くに傲慢がいるのです。

韓国の昔話に、豚の目には豚が見え、詐欺師の目には詐欺師が最もよく見え、
仏の目には皆が仏に見えるという話があるそうです。

本当に人に仕える人の隣りに行くと、よく仕えることだけが見えるようです。
そして祈る人の隣に行くと、祈りの力を見ることになるのです。

信仰者は、目で見ることを越えて見ることを知っています。
人の目に見えないことを祈祷と精誠を介して
見ることができなければなりません。
また、蟹のように目の前しか見えなくなるのではなく、
信仰者の目で遠くの神を見ることができないといけないのです。

真のお父様は、人間が罪から逃れられないのは、
不平不満の心によるのであり、
信仰生活の本質は、
神様に感謝する心だと、語られています。

目の前の「不平不満」を遠ざけ、
信仰の目で遠くの神を見つめ、
「感謝する心」を私に近づけるとき、
神様と真の父母様と私が一つの因縁で結ばれるのです。


以前、訓母様が「今年は困難な年なので、
(悪いものは)見ざる、言わざる、聞かざるです」
そのようなみ言を語られたと聞きました。

悪いことがあってもそこだけを見つめることなく、
このお母さんのようにただ一点、神様のみを見つめる、
また真の父母様のみを見つめる私となることが
今の私たちには必要なのだと思います。。。



この罪悪の世の中にいる私を、
何がそこから移動させないようにしているのでしょうか。
それは不平不満です。
このような不幸の与件がこの社会を覆っています。
これが、死亡の世界を越えていくにおいて、
私たちが征服すべき一つの必須的な戦場だということを、
皆さんは知らなければなりません。

(17―18、1966・11・6)

信仰生活の本質は何でしょうか。
神様に感謝する心です。
そのような心があるとき、それが、堕落の因縁を越えて
神様と私が一つの因縁で結ばれる基になるのです。


(29―338、1970・3・14)



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posted by ten1ko2 at 10:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする