2014年10月20日

最後にイチゴを食べるのは誰?! 絶体絶命の窮地で父が取った驚きの選択!!



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反対する人を憎むのではなく
愛していった
これが神様と先生の歩んだ道なのです




昨日の記事では、真のお父様が短気だった、
その思いを乗り越えてこられた、と書きましたが、
今日はそれとはまったく正反対の内容を書きます。

文亨進様の著書「はげ頭と苺」に
こんな説話が紹介されています。


ある農夫が畑仕事を終えて家路についたとき、
後ろから迫るものに気がつきました。
農夫は命の危険を感じて一目散に走り始めます。

すると、突然、目の前に崖。
後ろからは獰猛な獣が迫ってくる。
彼は思い切って崖を飛び降りました。

すると幸いにも、彼は一本の蔓(つる)をつかみ、
一命を取り留めました。

ところが、上を見上げると、崖っぷちから姿を現したのは巨大な虎。
下を見下ろすと、何と暗闇の中からもう一匹の虎が・・・

それで終わりではありません。
再び上を見上げると、黒と白の二匹の小さな鼠(ねずみ)が、
命綱である蔓をかじっているではないですか!

絶体絶命のその瞬間。
目を開けてみると、目の前に甘くて美味しそうな苺が一つ。

農夫はその苺を取り、口に入れました。
「その、おいしかったことといったら・・・」


絶体絶命の窮地にある時に、
イチゴを味わう境地はすごいと言えますが、
この説話を真のお父様に話したとき、
驚くべき返答をもらったといいます。


話を聞くやいなやお父様は、こうおっしゃいました。
「うん。それは分かるけど、
それならその苺を、そのねずみと
虎にもやらないとね!」と。

これを聞いた時、私はびっくり仰天して、
思わず気が遠くなりました。

これは考え抜かれたいい返しではなく、
正にお父様という方の存在そのものの反映であり、
それが自然と口を突いて出てきたものでした。
考える時間も取らずに、さっと示された、
この方のあまりにも深淵な高められた慈悲心
―自分の命であるその「苺」を、
よりによって自分を滅ぼそうとしている、
正にその者に与えるという心をもつこと、
その最悪の敵さえも完全に愛するという
お父様の心の前に、私は完全に圧倒され、
本当に気を失いました。
(はげ頭と苺 31ページ)



真のお父様の恩讐を愛する精神、
真の愛そのものの姿が示されています。

昨日のお父様の姿はそうではなく、
恩讐を愛するために葛藤している姿がありました。
しかし、今回の「農夫と苺」に関しては、
瞬時に恩讐を愛する姿に変貌しています。

これはまさにお父様の生き様が
恩讐を愛することに徹してこられたから、
完全に真の愛の精神を体得しているに他ならない、
そのように思わされます。

御旨の道にこのようなみ言があります。

愛を受けなかったことを恨みとせずに、
愛を授けられなかったことを
恨みとしなければならない。


まさしく、愛さずにはいられない
そのような心情が溢れています。

幼い頃から深い愛情と情熱を持たれたお父様が、
このように「恨」「怒り」を主管(コントロール)され、
真の愛の体恤者となっていかれたのは、
16歳でイエス様から召命を受け、
涙の神様に出会ったからだったと思います。
悲壮なる決意をされた思いが込められているのが
自叙伝にも紹介されている
「栄光の冠」という詩ではないでしょうか。

その時から、不断な努力をされたお父様でした。
「愛の勝利者」である文鮮明先生を
「真のお父様」と呼ぶことができることに
改めて感謝したいと思います。

それは、お父様だからできたのではなく、
万民が行くべき道を、体当たりで
切り開いてくださったのだと思います。
相続するにはあまりに程遠い者であり、
亨進様と同じように気が遠くなる思いもしますが、
行かれたその道を、ただ慕っていきたいと思うのです。



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「栄光の王冠」

人を疑えば苦しみを覚え、
人を裁けば、耐えがたくなり
人を憎めば、もはや私には存在価値がない

しかし、信じてはだまされ
今宵、手のひらに頭を埋めて
苦痛と悲しみに震える私

間違っていたのか
そうだ、私は間違っていた
だまされても、信じなければ
裏切られても、赦さなければ
私を憎む者までも、ひたむきに愛そう
涙をふいて、微笑んで迎えるのだ
だますことしか知らない者を
裏切っても、悔悟を知らない者を

おお主よ!愛の痛みよ!
私のこの苦痛に目を留めてください
うずくこの胸に主のみ手を当ててください
底知れぬ苦悩に心臓が張り裂けそうだ

されど、裏切った者らを愛したとき
私は勝利を勝ち取った

もし、あなたも私のように愛するなら
あなたに栄光の王冠を授けよう


自叙伝p64



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posted by ten1ko2 at 20:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする