2014年12月25日

私が文先生をメシアだと確信した理由(わけ)?! 《中村信一牧師の証し》



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今日はクリスマス。
イエス様の生涯を知らない、あるいはクリスチャンでない人も、
イエス様のことを誰もが意識する一日です。

さて、キリスト教の牧師でありながら、
文鮮明先生を真の父として受け入れた方がおられます。

日本和協教会の中村信一牧師です。
数少ない、貴重な方の一人でしょう。。。
真のお父様を、再臨主としてどのように確信したのでしょうか。


わたしは文先生をメシヤであると確信してから、
今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。
そのことをどうして確信するに至ったかをお話しします。

わたしは五十年間、いかなる迫害があっても聖書を捨てず、
牧師として過ごしてきました。
今日も統一教会は、迫害を受けていますが、
初期はもっと激しい迫害の中にあったのです。

そのようなとき、ある週刊誌を手にしたのです。
そこには、統一教会のスキャンダルを暴露するために、
統一教会の会員が寝泊まりしているホームに、
新参者を装って進入した人の証言が掲載されていました。

その記事を見て、驚きました。
男女問題のスキャンダルを暴こうと入ったその人物は、
男女問題を一つも発見することができなかったというのです。

人間が堕落するときは、やはり男女問題です。
この男女問題を勝利したか、あるいは皆無でないにしても、
男女が同じ屋根の下に生活していながらも、
清い関係を保っていけるというこの団体に、
大変素晴らしいものを感じたのでした。


ところで、わたしは牧師ですから、文先生が究極の救い主であるかどうかは、
聖書にその根拠を求めざるを得ません。
その秘密を聖書から見つけることができたとき、
それはどれほどの喜びであったでしょうか。

旧約聖書の「詩篇」第六八篇四節には、
次のように記されている箇所があります。

「神のみまへにうたへ その名をほめたゝへよ
乗て野をすぐる者のために大道をきづけ 
かれの名をヤハとよぶ その前によろこびをどれ」

上記の文は、文語体ですが、口語体のある聖書の訳は、
次のようになっています。

「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ」

同じ箇所でも、このように訳が違うのです。
わたしは学生時代、ヘブライ語を学んでいたため、
なぜこのように訳が異なるのかが、よく理解できるのです。

前述した文語体の「野をすぐる者」とは、
「荒野(路程)を勝利した者」という意味ですが、
ヘブライ語では、「雲に乗ってくる者」と同じ言葉なのです。

ですから、来臨のメシヤは、「荒野路程を勝利されるかた」
でもあられるという解釈ができるのです。


人間は、自分を愛するという自己保存の本能的なものを持っています。
ですから、文先生が自ら進んで荒野四十年路程を乗り越えられたということに、
わたしは本当に感動したのです。

韓国でのキリスト教の摂理が失敗したとき、
なぜ、命を懸けて北朝鮮に行かれて、
今一度、伝道活動をしなければならなかったのでしょうか。

興南硫安工場で、死の峠を幾度も越えるような道を、
なにゆえ行かなければならなかったのでしょうか。
人間はだれでも、自ら選んで荒野路程を行く人はいません。

これらのことを研究してみるときに、
「荒野路程を勝利された文先生は、来臨のメシヤである」
ということが、はっきりと見えてきたのです。



ある日、中村牧師が、早朝祈祷会を行っている最中、
『不思議な団体の青年たちが参加してきた』そうです。
それが統一教会との最初の出会いでした。

多くのクリスチャンたちが、『この団体とは関わらないほうがいい』
そのように言われていましたが、何か興味を持ったそうです。
最初の出会いは、松本ママ。
そして、講義をされたのが、桜井節子先生だったようです。

講義の終末論に感動しました。
「キリスト教の終末は、一般的に天変地異が起こることを意味しています。
ところが、「統一原理」での終末は、
“すべてのものが破壊されるのではなく、新しい秩序がそのときから始まる”
という内容でした。
それを聞いて、わたしは非常に感動したのです」

イエス様をイメージするクリスチャン、しかも牧師ともあろう方が、
真のお父様を受け入れるのは、簡単ではなかったでしょう。
2000年前もしかり、だったと思うのですが。。。


お父様のみ言

荒野路程で押し寄せる風を
避けようとして逃げれば、
荒い鳥のえさとなってしまう。




イエス様がサタンを屈服させる方法として
「柔和謙遜になれ!
従順屈服せよ!
犠牲的奉仕をせよ!」
と教えてくれたのである。


「御旨の道」より



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 中村牧師略歴

1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。




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2014年12月24日

個性を輝かせるための5つの「実感」?! 《多田講師の家庭力UP↑講座》



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久しぶりに「家庭力アップ講座」を紹介します。

愛が子供に届く三段階。
今回は、「愛することで『個性真理体』を確立する」です。


「個性真理体」は、自分の存在を肯定する感覚を育てます。
子どもの心が、安定して、何事にも前向きになるのです。

個性真理体とは、「個性」と「真理体」の二つの言葉からできています。

まず「個性」というのは、神様と私たちは、親子ですから、
親なる神様は、子供に、世界にたった一つの特別な個性を与えてくださり、
その個性を愛してくださっているわけです。
ですから、「個性」というのは、
私たちの他のどこにもない「独特性」のことです。

また、「真理体」というのは、神様が私たちに与えてくださった、
誰でもが持つ、普遍的に共通するものです。
人間には、目があり、口があり、鼻が、誰にでも同じように顔についています。
すなわち、「真理体」というわけです。

しかし、目や口や鼻の大きさや形や太さなど、同じ人はいません。
これが「個性」ということになります。

私たちは、一人ひとりが、「個性真理体」として神様が愛で育み、
認めていただいている尊い大切な神様の子女です。
また、神様は家族というものも同じように
愛と真理で育んでくださっているわけです。


子供が、「個性真理体」として認められるためには、
家庭の中で、以下の5つの内容についての、感覚をもち、
いかに実感するかが大切になります。

第一に、自分はここにいるべき存在だ。
第二に、周りの家族は、自分の存在を喜んでいてくれる。
第三に、自分の存在が家族に幸福をもたらしている。
第四に、私は自分が好きだ。
第五に、自分を愛してくれる人がいる。


子供がこのような内容を実感してこそ、「個性真理体」として
家庭の中に存在できるようになるのです。


しかし、現実は様々な環境の中で、また最も大切な親子の絆が薄くなることによって、
多くに子女たちは、心が正常に、つまり素直に働かなくなってしまい、
素直さが乏しくなっているのです。

それによって、子供の口から、「めんどくさい」とか、「疲れる」とか、
「自分が好きになれない」とか、「忘れた」とか、
「苦労したくない」という言葉が多く出てくることが見受けられます。

これは、愛の減少感を感じている結果としての表現なのです。
つまり、「個性真理体」として認められていないのです。
このような言葉を発することで
子供としてのメッセージを親たちに送っているのです。


26歳の独身の女性に一対一で4日間、原理講義をしたことがあります。
講義をしながらいろいろと話をしましたが、その女性の話が
「めんどくさい」とか「忘れた」とか「疲れる」との話が多いのです。
なかなか気持ちが前向きにならないのです。

三日目は、山にでも登ったらいいのではと提案してみましたが、
「疲れるから」とか、「めんどくさい」と言って受け付けてくれませんでした。

しかし本人は、仕事では、残業しても気にならないとのことでした。
どうしてなのかを聞いてみましたら、お金になるからとのことでした。
価値観が、心を中心にしたものから、
お金を中心にした考え方に変化しているのではないかと心配になりました。

それで、4日目にもう少し家庭のことを聞いてみると、
最初は、「忘れた」と言っていましたが、粘り強く聞いていくと、
実は母親がいつも妹と比較して、「どうしてそんなに暗いのか」とか
「することが遅い」と本人に言っていたというのです。

少女の時代に、「個性真理体」として受け止めてくれる環境がなかったのです。
そして愛の減少感に敗北してしまっていたのです。
それゆえに、「めんどくさい」とか「疲れた」とか
「忘れた」ということを言っていたのです。



子供の個性に私たちは敏感にならないといけないと思います。
学力ができているとか、運動神経がいいとか、
もちろんそれだけで、人の優劣が決まるわけではありません。

しかし、本当に一人ひとりの個性を発揮させるには、
一番、身近にいる親の認識が重要なのだと思います。

子供が「個性真理体」としての自覚ができるように、
親である私自身が環境を整えていかないといけないと思います。


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2014年12月23日

父の涙の祈祷に号泣、草創期の烈女! 朴奉愛先生の場合 《受難の源流より》



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十字架を負い、困難な立場に立っても
『お父様! 私がいますので心配しないでください』
と言える子女となれるようにお導きください。


1950年代のお父様の祈り



「受難の源流」
今回は、『最も恐れられた女性議員』
朴奉愛(パクポンエ)先生の証しです。


朴奉愛女史と統一教会の出会いは、
同女史の知人であった保健社会部(日本の旧厚生省に当たる)の婦女局長、
金順華(キムスンファ)女史を訪ねたことから始まる。
ちなみに、金順華女史の長男は、世界基督教統一神霊協会の
第二代、四代、六代の協会長となった金榮輝(キムヨンヒ)氏である。

「聖書の勉強をしてみませんか? 
ソウル運動場の裏の小さな家に、聖書を
科学的に解説してくれる青年がいるので一緒に行きませんか?」

金順華女史のこの言葉がきっかけとなり、朴奉愛女史はその青年を訪ねた。
1955年2月22日のことである。
朴奉愛女史は、朝、三時間、昼、三時間、
夜、三時間の講義を劉孝元氏から三日間聴いた。

「統一原理」を学んだ朴奉愛女史は、喜びに満たされた。
家に帰ろうとすると、劉孝元氏は
「重要な講義がまだあるので、聞いていってください」と、言った。

“重要な講義とは何だろう?”と思った朴奉愛女史は、
さらに講義を聞くことにした。

講義の内容は、イエス・キリストの再臨に関するものであった。
そこでは、 
「イエス・キリストは雲に乗って再び来るのではなく、
肉身をもって来られる。
それも、来臨する国はこの韓国である」
というのである。

このことを聞いた朴奉愛女史は衝撃を受け、
その日は床に就いても眠れなかった。

同女史は民主党員であり、全国を巡回しながら
政治活動をしていた人物だった。
「統一原理」を学んだ後の朴奉愛女史の決意は、次のようなものであった。

「私は今までに社会、政党、婦人運動をしてきたが宗教運動はしてこなかった。
この『原理』こそ、私の余生をささげる運動であり、歴史の最後の革命である」

文師はそのとき、朴奉愛女史のために祈りをささげた。

その祈りは、今まで聞いたことのない魂の奥深くまで染み通る涙の祈祷だった。
朴奉愛女史は、その祈りを聞きながら号泣した。
涙を抑えることができず、気が済むまでその場で泣き続けた。

もちろん、このときの文師の祈りは、残されていないが、
1950年代の祈りを通して、
このころの文師の内的世界を垣間見ることができる。
以下は、1950年代の文師の祈祷の一部である。



「人類に対してこられたイエス様と神様には、
悲しみが晴れる間がなかったということを知っています。
二千年前のイエス様を回顧してみるとき、
イエス様は人知れず涙を流されました。
また、飢えや迫害の路程で悲しくて泣かれたことも知っています。

イエス様がこのような道を歩まれたので、
その後に従った多くの聖徒たちも、
血の道や死の道も意に介さず闘ってきたという事実を私たちは知っています。

天の城に行く道は、十字架の道です。
それゆえ、自分の十字架を背負って、
ゴルゴタの山頂まで行かなければなりません。

十字架を負い、困難な立場に立っても
『お父様! 私がいますので心配しないでください』
と言える子女となれるようにお導きください。
困難な立場に置かれている子女たちを見て、
悲しまれるお父様を慰めてあげることのできる
子女たちとなれるように、切にお願い申し上げます」



朴奉愛女史が「統一原理」を聞いて三か月もしないうちに、
「梨花女子大事件」が起きた。

朴奉愛女史の長女は、そのとき梨花女子高校の三年生であった。
その長女は、統一教会に通っているという理由で退学措置を受けた。
梨花女子大学校だけでなく、高校でも同じことが行われていたのである。
朴奉愛女史は、娘の学校を訪ねた。

そのとき、顔見知りの校長は、朴奉愛女史を笑顔で迎えた。

「どうして、学校に来られたのですか?」

「私の娘が退学させられるというので来ました」

「何ですって? 朴先生のお嬢さんをだれが退学させると言ったのですか?」

校長は聞き返した。

「私の娘が統一教会に通っているという理由で、
退学処分を下して追い出したそうではないですか?」

朴奉愛女史は、1954年、民主党の婦女指導部長に就いた実力者で、
雄弁家としても有名だった。
同女史は、校長にさらに詰め寄った。

「私の娘が梨花女子高等学校の校則の何条を破って、退学になるのですか? 
この答えだけを話してください。
学則を破ったのでしたら、退学させられてもしかたないでしょう」

校長の顔は蒼白になり、しどろもどろになった。

朴奉愛女史は、このとき46歳である。
同女史は日本の東京女子体育専門学校を卒業し、
学生のときから「喉から鉄の響く声が出る」と言われたほどの正論を吐く、
能弁な女性であった。
それだけではない。

「民主党の中で、朴奉愛の口がいちばん恐ろしい」

とまで言われていた。
悪に対しては絶対に妥協せず、徹底的に最後まで闘う女傑だった。
朴奉愛女史は、校長にさらに言葉を浴びせかけた。

「統一教会に通っていることが、退学の条件になるのですか? 
入学するとき、いつそのような条件で娘を入学させたのですか? 
国家の憲法が信教の自由を保障しているのに、
梨花女子高校は憲法を無視するのですか?

今、この学生のなかにはムーダン(巫女)や占い師の娘もいるはずなのに、
なぜ統一教会だけを問題としているのですか? 
梨花女子大学が退学をさせたので、
この高校も統一教会に通っている生徒を退学させるのですか?

あなたの学校では、いつから学則を変えて
大学の学則を取り入れるようになったのですか? 
私の娘は、私が通っている教会に私が連れて行きます」

校長は何も言えなかった。
学校側は朴奉愛女史との闘いを不利とみたのか、退学処分を撤回した。


朴奉愛女史は、自分の娘の退学問題で闘っただけではなかった。

後に、統一教会をつぶすために作られた
「宗教団体審査委員会」をも解体に導いた。
朴奉愛女史は、同委員に一人ひとり会って次のように訴えたのである。

「言論人や法律家であるあなたがたが良い悪いと言って、
宗教が栄えたり滅んだりするのではありません。
それは、神様がなさることです。
歴史的な汚点を残さないようにしてください」

朴奉愛女史は、上記の審査委員会をなくすために、
民主党を脱党して自由党に入党してまで闘った烈女であった。



朴奉愛先生は、民主党婦女指導部長を経験されながらも
統一教会に入教されました。

後に、リトル・エンジェルス団長
さらには、国際女性勝共連合理事長
などの要職を歴任された方です。

証しを読んでいるだけで、
まさに『烈女』という言葉が浮かんできます。

「もし、自分の娘が高校生ではなく、
梨花女子大生だったら、大学に乗り込んでいた」
そんなことも言われていたそうです。

実際に、朴奉愛先生の娘さんが、
梨花女子大生だったら、梨花女子大事件も
変わっていたかも知れないな・・・

そんなことも思わされるほどですね。

こういう強い気概を
今こそ、私たちは持たなければならないのではないでしょうか。。。


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