2014年12月16日

真の父母は、誰も憎むことができない?! 〜自分を殺そうとする怨讐を愛し抜く〜



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“歴史的抱擁”の意味とは──



真のお父様の姿を思い浮かべながら、
真の愛に勝利されたお父様のことを書こうと思ったら、
史吉子(サキルジャ)先生の証しを見つけました。

題目は、
「私は慕わしさのあまり悲しみの涙に濡れて生きる人である」 
です。
一部、紹介します。


神様の愛に完全に一体化されたお父様の生涯は、
「自分を殺そうとする怨讐を愛し抜く」、その一言に尽きるでしょう。
怨讐に対していかに愛して尽くし、感動させて、その怨讐を自ら喜んで屈伏させる、
その闘いの連続であったのです。

世間では、怨讐を殺そうとするのが普通でしょう。
しかし、それでは悪循環です。
“殺されたから自分も殺す”という、
果てしない血みどろの闘いを完全に断つ道は何かといえば、
怨讐が自ら感動して屈伏するように愛する以外にないのです。


お父様はそれを、日本という国に対しても、そのまま適用されました。
お父様は学生時代、日本で抗日運動をされました。
その結果、日本の官憲からひどい拷問を受けられたのです。
けれどもお父様は、
「一瞬たりとも日本人を憎まなかった。むしろ、悔い改めの祈りを続けた」
と言われるのです。

お父様は拷問を受けられながら、次のように祈られたのでした。

「ああ神様、私がこの日本の子供たちを救わなければならないのに、
まだ親として名乗る責任を果たせないでいるばかりに、
この子供たちは、私が親であることを知らないでいるのです。
ですから、こうして私を苦しめているのです。
どうぞ、この日本の子供たちを許してください」

それはちょうど、十字架にかかられたイエス様が、
自分を殺そうとする者のために許しを請うていかれた、その姿と全く同じです。

ですから今、原理のみ言を聞くために、
日本で多くの人がたやすく統一教会に入ってくるのは、
お父様があの時に、そのような深い許しの心情の基盤を
この日本において築いていかれたからなのです。

もしあの時に、“この日本人め”と恨む心や憎しみを残していかれたならば、
絶対に皆さんは、その憎しみの壁にぶつかって、
このみ旨の道に入ってくることはできなかったのです。


このように、お父様の心情の世界は神様と一体化されているので、
絶対にだれをも憎むことができないのです。
もし憎んだりされると、胸が苦しくてたまらなくなるそうです。

ですから、憎らしい怨讐に対しても
“いかにしてより深く愛してあげようか、尽くしてあげようか”と、
そのことばかりに心を砕かれるというのが、真のお父様なのです。
そこにゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)も屈伏し、金日成主席も屈伏したのです。

お父様が金日成主席に会われたとき、お父様には
“この殺人魔。韓国を血畑に荒らしたこの者め”という感情もあったそうです。
けれども、金日成がもう一度、暴力でもって戦争を起こしたならば、
世界は大変なことになってしまいます。
そこでお父様は、金日成を親の立場で愛していかれたのです。

お父様はそのことを後に、
「金日成をいかに愛するか、という最後の祈りをハワイでやった」
と言われました。

そのように祈っていると、“全世界の者が『金日成を殺せー。殺人魔だー』と言っても、
もし、金日成を生んだ親がそこにいたならば、その気持ちはどうだろう。
『私の息子が自分の目の前で死ぬのは見たくない。
どういう方法を使っても、法律を変えてでも、
息子を殺さないで生かして、もう一度良い子に戻したい』
という心を持つのではないか。
それが親である”という思いが、心情に響いてきたというのです。

それでお父様は、金日成に対して、親として愛する心を準備してから北韓に向かわれ、
その結果、あのような歴史的な“抱擁”の場面となったのです。

そしてそのことを、金日成本人が敏感に感じ取ったというのです。
その証拠に、彼は死ぬまで、息子である金正日書記に、
「私は世界中の偉い人に会ったが、文先生に会ってからは文先生が恋しくてたまらない。
どうしてだろう。
会いたいなあ、会いたいなあ」
と言っていたというのです。


このように、お父様の深い愛、神様から来た愛があるので、
全世界の者が皆、お父様に向かわざるを得ないし、
お父様に従ってこざるを得ないのです。
そのような愛の基準を持たれたかたが、真のお父様であられるのです。

お父様は人類の親ですから、あの子もこの子も、
五色の人種が等しく地獄の苦しみからはい上がって、
楽しく神様の子供として暮らすことができるように、
帰ってきてほしいと願っておられます。
そのような真の愛を持たれた真の父母であられるからこそ、
子供を良い子にするために、いろいろな指導をされたり、
私たちをしかっておられるのに、世間の人たちは、そのことが分からないのです。



教会を批判する人たちは、
お父様と金日成主席の出会いに対しても、
「パフォーマンスだ」とか、
「利益を考えて、会ったのだ」とか、
いろいろ言われる人がいます。

しかし、お父様にとって、金日成は、恩讐でした。
そんな恩讐に対しても、ハワイでの祈りを通して、
「親の立場」をもって、接していったのです。

真の愛の精神を貫かれた真のお父様。
イエス様と全く同じ試練を乗り越えていかれました。
お父様もイエス様も、
生きて働かれている神様が、
同じような思いを乗り越えていかれたからこそ、
「恩讐を愛する」道を行かれたのだと思います。

そんなお父様を「真のお父様」
そう呼べることに感謝をしつつ、
真の愛に貫く歩みをしていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

洗礼ヨハネ的人物は世界にいる?! 黄煥ァ先生、入教3日目の出来事





今回は、黄煥ァ先生が語られた証しですが、
黄先生が導かれてすぐに、ある霊能者が現れたといいます。
その証しを紹介します。


終末になると、多くの霊能者たちが出現します。
世界中で、終末に対する予言や、天からの啓示を伝えるような現象がありますが、
韓国では神様と直接会話をし、
問答をするという水準の霊能者たちが相当数いるのです。

大田(韓国の忠清南道)に一人の素晴らしい霊能者がいるという話を聞いて、
私に講義をされた初代協会長の劉孝元先生が手紙を出しました。

「あなたはとても天から愛される信仰心の厚いかたで、
天の父に何でも質問すれば回答を受けるかたですから、
統一教会とはどういうところかを神に聞いてみてください。
そしてその返事を送ってください」
と書いて送ったのです。その霊能者は権昌林といい、
当時34歳でお父様よりも年上でした。

その人はそういう手紙を受け取ったので、水行をし、心を清めて、
「統一教会とはどういうところでしょうか」
と、天に祈ってみたのです。
正しい返答をこいねがう祈りをしているとき、天から啓示が下りてきました。
「おまえは早くソウルに行け。
ノアの箱舟の戸を閉める時が迫った。
早く行かなければおまえは死ぬ」。

彼は、今まで受けたさまざまな啓示に対して、
「誰にも言うな。おまえだけが知っていなさい」
と言われるほど天から愛され、
天と直接会話を交わしていた人ですから、
「他のどの復興師や牧師、長老が救われなくても、自分だけは救われる」
と思っていたのです。
ところが、「早く行かなければ死ぬ」という啓示が下りたのですから、
大変なことだったのです。

さらに、
「今までおまえに教えたいろいろな啓示の巻紙をみな持っていって、証ししなさい」
という啓示を受けました。
「今まで誰にも言うなと言ったけれども、そのかたには証ししてもいい。
すべてをそこで証ししなさい」
というのです。

それで、その啓示の巻紙を持って訪れてきたわけです。
それは、私が原理を聞き始めて三日目ごろのことでした。
前日、劉先生が私に、
「あすは権昌林というかたが来ることになっており、
素晴らしい証があるのではないかと思います」
と言いました。
教会に来たら会えるというのです。
私は、毎日のように原理講義を受けに教会に行っていたので、
その日も学校が終わって行ってみると、
そのとおり、そのかたが来ておられました。

いろいろな啓示の巻紙を開いては、
「これはこういうときのお祈りの内容で、
こういう天からの答えでした」
「こういう啓示が下りました」と説明してくれました。
とにかくたくさん持ってきているのです。
私はそのようなお祈りもせずに来ましたが、
何十年も祈りの生活をし、神より直接啓示を受けたその人の話を
みんな聞いたのですから、証を得たわけです。
その素晴らしい啓示の内容を、劉先生のそばで共に聞くことができました。

それは土曜日のことでした。
その次の日が聖日で、三大門
(「三つの門」の意味、この教会には、門が三つあったことからこう呼ばれていた)
の小さな教会で礼拝に参加することになったのです。
権さんも私も一緒に参加しました。

私が最初に教会の礼拝に参加したころの人数は、20名くらいです。
縁側と部屋にぎっしり詰めて座っても、20名以上入れないような家でした。
正座していると、ひざが挟まれてしまい、中の人は立ち上がれないほどです。
お父様もやはり正座しておられました。

礼拝には一定した形式や順序もなく、黙祷から始まって、賛美歌を一緒に歌い、
お父様がお祈りされたあと賛美歌、聖書拝読と続き、
お祈りをして、説教がなされました。

礼拝の時間は三時間くらい続いたのですが、始めから終わりまで涙でした。
説教をされるお父様は言うまでもなく、全食口が泣き続けるのです。
表現が大げさかもしれませんが、礼拝後は床に涙がたまり、
そのままでは乾かないので、雑巾でふかなければならないほどでした。
そしてこの権昌林さんも、霊的に基準の高いかたですから、初めから涙を流していました。

礼拝が終わると、雰囲気がガラッと変わります。
それこそ天国のように、朗らかで、明るく、みんな喜びいっぱいに満ちるのです。

一方、礼拝が終わるや否や 逃げ出すように帰っていく人もいました。
迫害が非常に激しく、統一教会の礼拝に出たことが知れたら、
夫から殴られ、けられ、引きずられる、という体験を持っているからです。
それでも時間を割いて来るのです。

そうでない人たちは残って、一緒に昼食を取るのです。
少し生活の豊かな食口がもちや果物などを持ってきており、
それを分けて取りながら、楽しく食事をするのです。
何もないその当時、りんご箱を二つ置き、
その上にベニヤ板を敷いて、食卓代わりにしました。
おかずといっても、一つか二つくらいあるだけです。
そこには私のような若い学生や青年たち、そして壮年や婦人もいました。

その権昌林さんも私たちと一緒に昼食を取るように、食事を準備しました。
彼としては、「先生は素晴らしい先生だし、説教も感動したけれども、
自分は来客のようなものだし、年も上だから、
最低、先生とお膳を囲んで食べられる」、と思ったのです。
ところが、先生の前のお膳は一人用の小さなもので、
そこには御飯と汁のほかに三、四個のおかずが置かれていました。
自分より若い先生のほうにそのお膳をあげて、
自分は食口たちと一緒にお膳を囲むことになったのです。

このことに彼はつまずきました。
「何で自分にこんな待遇しかしてくれないのか」
と寂しい思いをしたのです。

本当は、あれほどの霊的基準があり、苦労の信仰生活もしたと思いますから、
それくらいは当たり前に消化できなければならないはずです。
たったその食事の件だけで、心が傷つき、ろくに食事をしないのです。

食べるふりを少しした程度で、さじを置き、
食事が終わるのを待って、立って言いました。
「素晴らしい説教で、非常に感動いたしました。
み旨を知ったからには、伝道しなければなりません。
これからみ言を伝えにまいります」
丁寧な言葉でそのようにあいさつをして出たのです。
私は本当だと思っていましたが、それっきり、帰ってきませんでした。

六か月ほどたってから、その人が半身不随になったという話を聞きました。
そしてその翌年には亡くなったのです。

お父様は、「彼は洗礼ヨハネ的使命を持っている人だ」
と言われました。
終末には洗礼ヨハネは一人ではありません。
世界には、何人もの洗礼ヨハネ的使命を担う人がいるのです。

劉協会長もそういう 一人でした。
お年もお父様より六歳上です。
教会の行事のときなども、天使長的、洗礼ヨハネ的立場で行いました。

この権さんも洗礼ヨハネ的使命を持っていたのです。
それを果たせないまま離れていったために、
半身不随になり、とうとうこの世の人ではなくなってしまったのです。
これが、初期の教会では一つの大きな衝撃的ニュースとなりました。


やはり、洗礼ヨハネのような人物は
特別な使命があると同時に、
試練もあるということだと思います。

この霊能者の方も本当に素晴らしい霊性を備え、
今まで、多くの証しを立て、精誠をつんでこられました。
ある意味、再臨の主である、
真のお父様と出会うためである、
そう言っても過言ではないと思います。

しかし、たった食事の席でもてはやされなかった
たった、その一点において、
つまづき、離れてしまったのです。

使命の大きい人ほど
最後の最後に足元をすくわれないように、
そういう警告なのだと思います。。。

洗礼ヨハネも、イエスをいったん証すことまではしましたが
その後、別の道を行きました。
そして、最期は悲惨でありました。
いったん証して、その後にひとつの試練があるのでしょう。

最後まで、メシアを証し続けるというのは、
ある意味、大変なことでありますが、素晴らしいことであると思います。
私たちは、その素晴らしい立場を
与えられていると思い、さらに感謝していきたいと思います。


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2014年12月13日

イエス様の上座に文先生?! 続・黄煥ァ先生の場合 《受難の源流》より



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「受難の源流」
昨日の黄煥ァ(ファンファンチェ)先生の証し、続編です。
表題は、「イエス様より上にいた若い青年」です。


その夜、黄煥ァ氏は梁允永女史の家に行き、十人ほどで文師の話を聞いた。
話の途中、文師は後ろに座っていた延禧大学校の女学生に

「昨日、何か霊的に受けたものはないか?」と尋ねた。

文師は彼女に見た夢を話すように勧めたが、
彼女はなぜかためらって、話し始めなかった。
その日、統一教会に来たばかりの
キリスト教の信仰を持っている黄煥ァ氏が、そこにいたからである。

彼女は、文師に質問した。

「すべてを話してもいいのでしょうか?」

「見た夢のすべてを話しなさい。何も隠すことはない」

文師にこのように言われた女学生は、昨夜見た夢について話し始めた。

夢は次のような内容であった。

「高い階段を上ると、この世では見ることのできない
ピカピカ光る玉座がありました。
そこは三段階になっていて、いちばん下は空席で、
二つ目の段にはイエス様が座っておられ、
その上を仰ぎ見ると若いかたが座っていらっしゃいました」

若いかたとは、文鮮明師のことである。

イエス・キリストを神様のように思ってきた黄煥ァ氏にとっては、
到底受け入れることのできない内容であった。
イエス様が下の玉座で、文師がその上にいたということは、
イエス様より文師のほうが偉いということを意味していたからである。

「これこそ、統一教会は邪教だ。サタン(悪魔)の集団だ!」
このように黄煥ァ氏が叫んでも不思議ではなかった。
ところが黄煥ァ氏はこのとき、

「そういうことも、ありうるかもしれない」
という思いが自然とわいてきたという。
その日の文師の話は、早朝五時まで続いた。

教会で朝食を済ませた後、黄煥ァ氏は教会を出ようとした。
すると講義をした劉孝元氏は、講義の続きを聞くように迫った。
黄煥ァ氏は学校に行かなければならないことを劉孝元氏に説明したが、
それでも同氏は講義を聞くように勧めた。

黄煥ァ氏が、「学校に行きます」と誘いをきっぱり断ると、
劉孝元氏は寂しい表情をした。
黄煥ァ氏が劉孝元氏の顔を見ると、
人間がこれほど寂しい顔つきができるのかと思うほどの表情だった。

劉孝元氏がしょんぼりした理由は、
統一教会が創立された1954年5月1日から半年あまり、
劉氏は毎日のように講義をしてきたが、
ほとんど入信する人がいなかったからである。
一度、講義を聞いても、再び聞きに来る人がいなかった。

黄煥ァ氏が講義の続きを聞かないで学校に行くのを見て、
もう二度と教会に来ないと劉孝元氏は思ったのである。

ところが、黄煥ァ氏は学校の帰り、再び教会に姿を現した。
劉孝元氏は黄煥ァ氏を見つけ、素足で走って行き、彼を迎えた。
こうして黄煥ァ氏は「統一原理」を再び学び始めた。

このころ、統一教会に来た学生たちは知性に富んだ者が多かった。
また、信ずるに値する何の基盤もなかったせいか、
教会に来て特別な夢や幻を見る人が大半だった。
大学生の黄煥ァ氏も、その例外ではなかった。
講義を聞いた三日目の夜、黄煥ァ氏は次のような不思議な夢を見ている。

黄煥ァ氏は白いガウン(礼服)を身にまとい、大きなホールに入った。
そこは天井も床も壁も真っ白である。
そこには、バンケット用の円卓がたくさん並べられ、
その上には白いテーブルカバーが掛けられていた。
また、そこにいた男女もみな白いガウンを着ていたのである。

黄煥ァ氏がホールの中央まで進んで行くと、足がひとりでに止まった。
そのとき、
「おまえたちは今、再臨のイエス・キリストとともに宴会の場に参席している」
と、空中からはっきりした声が聞こえてきた。

1954年11月、黄煥ァ氏が統一教会に通い始めたころの礼拝参加者数は、
約二十人だった。



み言を聞いたばかりであり、クリスチャンだった黄先生が、
「イエス様が下の玉座で、文師がその上にいた」
という夢の内容を受け入れるということは、
簡単なことではなかったと思います。

しかし、それを受け入れる度量というか、
素直さ、純粋さが黄先生にはあったのだと思います。

教会に導かれると不思議な夢を見る人が多いです。
うちの教会でも、いつも見たことのないような先祖が出てきたり、
また、お父様が夢に現れたりします。

一つ、証しをします。



先日、祝福を受けられた93歳のご婦人。
足も悪く、なかなか、教会に来ることも難しいので、
紹介した婦人が、訪問に行きました。
総序と創造原理の講義案を持って、
み言を伝えに行ったのです。

その日の朝、いつものように出発式をしました。
そのとき、教会長は、
「何か、夢を見られましたか?
祝福を受けて、父母様の夢を見る人がいますから」

それで、婦人が尋ねてみました。
「○○さん、何か、昨日、
夢とか見ませんでしたか?」

そうしたら、本当に夢を見ていたのです。
「見ましたよ。
何か、とても綺麗な女性の姿でしたね。
知らない人だけど、本当に素敵でした」
それで、婦人が父母様のお写真を見せました。

「この方ですか?」

「あぁ、そうだと思います!」

祝福のときにも、父母様のお写真をお見せしましたが、
実際、高齢ということもあって、忘れていたようです。

祝福を受けた方は、み言をほとんど知らなくても、
真の父母様との因縁を結んだ立場にあるのだな。
そのことを改めて思わされました。

黄先生の証しは、もう一回、続きます。。。


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