2015年02月23日

ここに初めて神の子が来た! 《開拓伝道の証し、長谷川ママの場合(前篇)》



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☆今月福岡市内で行われた230組が参加した祝福式☆


“ここに神の子が来たんだ”
“この人たちをいかにして
天に帰すかが、私の責任だ”
という思いが込み上げてきました。

福岡に着いて一日目から
涙を流しながら訴えたのです



今日は教会初期に導かれ
開拓伝道などで、ご活躍された
長谷川みつえさんの証しを紹介します。

1962年8月7日から88日間、
福岡で開拓伝道をした時の内容です。
キリスト教会も訪問されながら、
初日から路傍伝道もされました。
「天はキリスト教会だけでなく、
大衆にも救いのみ手を
伸べていらっしゃる」そんな動機でした。


路傍伝道するとき、最初にそこにいた靴磨きのおばさんや、
バナナのたたき売りのおじさんに、
「すみません。私は人々の救いのために、
神様のみ言を伝えなければなりませんので、
この場所を少し貸してください。」
と、お願いしました。

すると、「いいよ。私たちも聞いているから、一所懸命に話しなさい。」
と言って、快く受け入れてくれたのです。

私は、そのときはメガホンで、
「親愛なる皆様!」と言って、
向かい側の通行人にも聞こえるような大きな声で叫びました。

“汝らの聖なる声の届くところ、サタンが退く。”とか、
“大きな声ほどいい。”と教えられていたので、
できる限り大きな声で訴えたのです。

そのとき初めて、“ここに神の子が来たんだ。”という自覚とともに、
“この人たちをいかにして天に帰すかが、私の責任だ。”
という思いが込み上げてきて、涙がぽろぽろ流れてきました。

このように、福岡に着いて一日目から涙を流しながら訴えたのです。


その夜は、ある教会の礼拝堂を借りて休みました。

伝道するためには、早く、安くて落ち着ける場所を
探さなければなりませんでした。
そうしなければ、いい人と出会っても、
み言を語って教育することができないからです。
そこで、ある不動産屋に飛び込みました。

不動産屋の人は、私に“人助けの神様”と呼ばれている
おばあさんを紹介してくれました。
それで、その人を訪ねて行くと、
そのおばあさんは目を丸くして、
私を上から下までじろじろと見詰めるのです。

私は、「おばあさん、最低の部屋でいいんだけれど、
空いている部屋はありませんか?」と、尋ねました。
「あるよ。」と言われたのですが、
そこは一畳の部屋で、周囲がすべてベニヤ板で囲まれていました。

その部屋の賃貸料は、百円で安かったのですが、
万年床で、しらみがいるような所でした。
乞食のような日雇い労働者が、
生活に困って訪ねて来るような所だったのです。

私は、どうしてもそこに泊まる気がしなかったので、
どうしようかと思い、ちゅうちょしていると、
おばあさんは、「では、私の部屋に来て寝なさい。」と言うのです。

その夜は、そのおばあさんのベッドに私が寝て、
おばあさんがベッドの下で休みました。
このように、そのおばあさんは、とても私によくしてくれたのです。

ある日、おばあさんは、「あなたはいつも帰りが遅いから、
あなたを待っていたら私が眠れないので、
あなたの部屋を作ってあげましょう。」と言うのです。

そうして、おばあさんは、庭の一角に三畳ほどの
私の部屋を作ってくれたのです。
日雇いの人が、おばあさんの管理する部屋に泊まっているので、
私の部屋は、あっという間にでき上がりました。

室内には、本を並べる棚や、机の代わりになる
木の箱を準備してくれました。
そして、布団も一組、用意してくれたのです。


そこで私は、あるだけのお金をはたいて、大きな黒板を購入し、
毎日、歩き回りながら伝道しました。

最初の十日間は、全く結果が出ませんでした。
それで泣きながら、毎日、教会を訪問し、路傍で叫んだのです。

そのときの私の慰めは、自分の食べる一つのパンを半分、
ホームレスの人たちに分けてあげ、一緒に
パンを食べながら話し合うことでした。
私が一所懸命に路傍伝道していると、
その人たちが手をたたいてくれるのです。

また、通行人が路傍で私の話を聞いて、
「おばさんは、りっぱな話をするな。おれは感心したよ。
これをあなたに献金するよ。」
と言って、献金してくれた人もいました。


十数日間、毎日、教会を訪問しても、
み言を聞いてくれる人がいません。
そのようなとき、ある人からクリスチャンが経営している喫茶店で、
朝食祈祷会があると聞き、そこを訪ねてみることにしました。

そのとき、私はなぜか、その朝食祈祷会で
祈祷することになったのです。
そのとき、霊界から押し出されたように、
泣きながらお祈りをしました。

祈りが終わると、数人が私の所にやってきて、
「あなたの祈りに聖霊を感じました。
どうか私の教会の祈祷会に来てください。」
と、誘われたのです。

熱心なクリスチャンは、家庭集会に私を呼んでくれました。
そこで、私は家庭集会に行き、
「実は、お願いがあります。
私がここに来たのは、クリスチャンの皆様に、
神様が聞いてほしいと願っていらっしゃることを
聞いていただきたいからです。」と、お話ししたのです。

そこでみ言を聞いたある親子は、
すべての物を持って来て献身的に協力してくれました。
そのかたは、今は、昇天されましたが、
私はこのかたのことを今でも忘れることができません。



開拓伝道をされた先輩たちは、
本当に切実な思いで過ごされたに違いありません。
その切実な心情に神様が導いてくださり、
新しい生命が復帰されていきました。

その土台の上に、今の「私」がここにいるということに
改めて感謝したいと思います。

明日に続きます。



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