2015年05月19日

(証し)愛せないことが地獄だった! 暴言と暴力の義父に書写を勧めたら…?!



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自分に愛がないこと、愛せないことが
地獄であると悟った女性がいます。
そして、「奇跡だ」というような出来事が…!
感動的な証しを紹介します。


3.11東日本大震災の津波で、義父(ちち)の家は全壊しました。

「俺の人生はいったい何だったんだ。
津波に三回も遭って、三回目で全部流されてしまった…」
と義父は泣きました。

89才の義父に、主人と一緒に同居を勧めましたが、
「故郷を離れたくない」と言って、
仮設で独り頑張ることを選びました。
次第に、認知症とアルコール中毒の症状が義父に現れ、
とても一人にはできないことから、
すぐに我が家に連れてきて同居をはじめました。

しかし、その同居生活は本当に凄まじいものとなりました。

激しい怒りを撒き散らす以外に何もできなくなってしまった義父は、
連日あらゆる暴言と暴力を浴びせるようになりました。
私は恐ろしくて食事を共にできなくなり、
同じ空気を吸うのが辛くなると、家の外に逃げました。
自分の心に嫌悪感が沸くことこそが地獄なのだと思いました。

主人も父に対する怒りを押さえられなくなっていき、
私たちは何かの事件を起こしてしまうかもしれない、とまで思いました。

入院すれば看護師さんたちに嫌な思いをさせてしまい、
「このままでは家庭が壊れてしまいますよ」と、
看護師長さんは義父の施設入所を勧めました。

その時、荒れ狂う義父に「書写を勧めてみよう」と思い立ちました。

すると不思議なことに、義父は書写にはとても関心を示し、
集中して筆を持ちました。

私も本当に必死で書写をしながら、
心の復興と家庭の平和を心底願いました。
書写をし、瞑想しながら、義父の人生を辿ってみると、
ぼろぼろ泣けてくるのでした。
本当に大切にされたことがなく、
深く傷ついているのは義父自身だと感じられ、
多くの反省と気づきが与えられました。

そんな義父に私が泣いて謝ると、
義父は「頭を丸めたい」と言いました。
その頃から、義父は生まれ変わったように、
穏やかになっていきました。

情感が戻ってきた義父は、
亡くなった義母とずっと一緒にいたいということで、
祝福を受けてくれるまでに変わり、
さらには、義父と私の変わる姿を見て、
主人と主人の姉までが祝福を受け入れてくれました。

そして驚いたのは、義父が娘の祝福結婚を応援してくれたことです。

「まあ良いことじゃないか。応援してやれ」と義父が言うと、
主人は「俺は別に反対してないよ」と言ってくれ、
娘とそのお相手は「奇跡が起きた!」と喜びました。

書写を続けるうちに、家族の心がとても生き生きとし、
親子三世代が祝福家庭になることができました。

天の父母様と天地人真のご父母様に心から感謝いたします。
ありがとうございました。



とても、素晴らしい証しです。

家庭は愛の学校だ、といいます。
また、天国の縮図だといいます。
幸せの基地だといいます。
しかし、現実を見てみると、
様々な問題ばかりで、解決の糸口がないように
思えることもあるかもしれません。

たとえば、問題を起こしている家族がいるとしたら、
その人が問題だ、その人を変えるには
どうしたらいいか、と考えてしまうかもしれません。
この婦人は、お義父さんに嫌悪感が沸く
自分の心が地獄だと感じました。
そして、自分からまず愛の実践をしていきました。

この婦人の姿を通して、
「人を変えるのは、まずは自分から」
そんなことを感じます。

悔い改める姿に一番反応したのが、
一番大変だった、お義父さんでした。

おそらく、お義父さんも本心では、
「このままではいけない・・・」
そう思っていたのでしょう。

また、お義父さんの変わった姿に
ご主人やお義姉さんも変わっていきます。

今、「私」の周りで起きる出来事も
「私」の姿勢次第で、
プラスにもマイナスにも
変化していくのだと感じます。

また、浅川先生は、
「み言を書写することにより、
私の心も磨かれていきます」
と語られているように、
み言の力と悔い改めの力が
相互作用を生み出したのだと思います。
私たちも相続すべき内容です。

すべての問題は
御父母様によって解決するといいます。
神様の愛を体恤し、勝利された御父母様。
自叙伝は、そのエキスがつまった
教科書であると思います。




あふれるほど愛を受けた人は、
人のために、
神様のために働くことができます。

家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。
家庭は、家族を包む囲いであって、
愛を閉じ込める所ではありません。
かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、
絶えず流れていかなければなりません。
いくら愛があふれ出ても、
家庭の愛は渇くことがありません。
神様から受けたものだからです。
神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、
いや掘れば掘るほどもっと澄んだ水があふれ出てくる、
そのような愛です。
その愛を受けて育った人は、
誰でも真の人生を生きることができるのです。


自叙伝p233


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2015年05月18日

「私は祝福を受ける資格がない?!」 罪ある人、傷のある人に、ご父母様はどう接するのか?!



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私たちの神様は
永遠不変であられます。
その方の息子、娘になる
道を拒むのでしょうか。
私は皆さんに真実を
知らせてあげたいです。
そうして、皆が神の子女と
なることを願います。


ウィーン国連での講演より
5.11



周藤先生の証しを紹介します。
祝福前の一人の女性、
その女性に対する父母様の姿です。
(一部、編集しています)


1971年の暮れのことです。
その時、韓国で祝福の講義を担当していました。

講義が終わって、夜10時くらいだったでしょうか。
修練所に一本の柿の木があったのですが、
そこから、何か悲しげな声がします。

何かと思って、外に出て、
声のする方に行ってみると、
一人の修練生が祈りながら、泣いていました。

彼女のところに寄って尋ねました。
『どうしたの?』
彼女は、何も言いませんでした。

しかし、その後、ぽつりぽつりと
自分の身の上を話してくれました。

自分は、過去に、性的虐待を受けた経験があるということ。
そして、私の講義、祝福の価値を
聞けば聞くほど、こんな自分は受けられない、
本当に申し訳ない・・・
さめざめと泣きながら、話したのでした。

私は、何と言っていいかわかりませんでしたが、
「新しい出発をしようね」
そんな風にして送り出したように思います。


その修練会が終わってから、
私は、旧本部教会に行きました。
修練会の報告をするために、
御父母様へ挨拶に行ったのです。

2階のお部屋の前で、
挨拶をさせていただくと、
お父様が
「入ってきなさい」
そのように言われましたので、
部屋に入らせていただきました。

すると、先日、柿の木で泣いていた
あの女性が座っていたのです。

そして、その女性は
お父様にこっぴどく叱られていました。

「お前は、何だ!
こんなところまで、勝手に来て!!」
何か、そんな風に叱られていたと思います。

その女性は、お父様の前にじっと黙って、
座ったままでした。

すると、少ししてから、
お父様の表情ががらっと変わったのです。

お父様は、満面の笑みを浮かべながら、
その女性を見つめていました。
私から見れば、その女性を
抱きしめたくてたまらないような
そんな雰囲気でした。

女性はうれし泣きをしていました。
お父様に心から愛された・・・
赦された・・・そんな雰囲気でした。

その様子を、お母様がじっと見ておられました。
そして、お父様がお母様に目配せをされたのです。

お母様は、すぐさま部屋に下りていかれ、
少しして、何かを手にされて戻ってこられました。
手には、指輪とネックレスがありました。

そして、お母様は、それを
女性につけてあげたのです。
その女性は、本当に嬉しそうでした。

お父様は、
「わかったんだね。
帰ってがんばるようにね」
そんな風に声をかけられました。

車に乗る準備をして、
私が見送ろうとしたら、
何か、階段の足音が聞こえてきました。

お母様でした。

その女性を見送りにこられたのです。
手を振りながら、女性を見つめている目からは、
熱い涙が流れていました。

ほんのわずかの時間でしたが、
それでも別れたくない、
娘を見つめる母の心情でした。



周藤先生の証しからは、
その女性が何のために来られ、
また、その後、どうなったのか、
詳しい報告はありませんでした。

でも、推測するに、
女性の境遇を直接話さなかったとしても、
お父様は悟ったであろうし、
また、その女性は
お父様に心から愛され赦されて、
そして、祝福に向かっていったに違いありません。

お父様、そして、お母様からも
本当に愛されたのです。

イエス様が姦淫の女に対して、
「罪のない者がまず石を投げつけるがよい」
と言い、最終的に
「私もあなたを罰しない」と、許しを示されたように
ご父母様は、それ以上の父母の愛で
許して愛していかれるのだと、
このような証しを通しても知ることができます。

お母様は、ヨーロッパの集会でも、
食口たちには、子供たちに話すように
話されています。

字幕では、敬語になっていますが、
実際には、「わかったの」
「しなくちゃいけないのよ」
そんな感じで、息子、娘に話すように
語られているのです。

真の愛ゆえに、
私たちを愛してくださっている
真の父母様に深い感謝を捧げつつ、
その愛に孝行を返していく者となるべく、
頑張っていきたいと思います。


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2015年05月17日

真のお母様が素晴らしい理由は、真のお父様に染められたから?!



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☆オーストリアで食口の歓迎を受けるお母様☆


わたしが、期待していた以上に
講演してくれて、ありがたい。

お母様は
「わたしが再創造した」




真のお父様は、お母様を
どのように見ておられたのでしょうか。

史吉子先生が「証言」で
真のお母様を証ししておられます。
一部、編集して紹介します。



真のお母様は、十三人のご子女様を育てられました。
年子(としご)のご子女様も多いのです。
ですから、“真のお母様が、真のお父様の所に来られたのは、
子供をお生みになるためではないか?”と思うほど、
続けて真のご子女様をお生みになったので、
お母様は、ほかのことに責任を持たれることができませんでした。

ですから、初めは真のお母様が、
このようにごりっぱになられるとは、
だれも考えることができなかったことでしょう。

真のお父様のみ言に、「真のお母様が最初に来たとき、
神様と、ご飯を食べることしか知らなかった。」と、あります。
神様を信じることと、ご飯を召し上がることです。
「お母様は、原理もよく知らず、
何も知らない白紙の状態で、わたしの所に来た」
と、おっしゃったのです。

そして、
「わたしが再創造した」と、語られました。

真のお父様が、“知識が豊富で、
有能な女性を真の母として迎えようか。”
と、考えてみられても、
真の母にふさわしい人はいなかったというのです。

それで、“わたしは、むしろ手ずから
再創造することができる人を連れて来て、
わたしの腕で、わたしの力で育ててみよう。”と考えられ、
そのようにして迎えられたかたが、
まさしく真のお母様であられたというのです。

ですから、この世の中で信仰や知識などを学んだのではなく、
真のお母様は、完全に真のお父様の教育を受けられた結果、
再創造されたのです。

真のお父様が、神様からメシヤの使命を受けられ、
ご自身が完成するその過程は、どれほど難しい道であったでしょうか?
真のお父様は、このように語られたことがあります。


「完成したアダムとなった後に、
この世の中から一人の女性を捜し出して、
その女性を完成したエバとして
立てなければならないのが
アダムの使命であるということを知っていれば、
また、それがこのように難しいことである
ということを知っていれば、
わたしは、このメシヤの使命を辞退していただろう。」


真のお母様が、公的な場に登場されて、
巡回講演をされるとき、真のお父様が期待していた以上に、
とてもりっぱに講演されるので、
お父様は、このようにおっしゃいました。


「わたしが、期待していた以上に講演してくれて、
ありがたい。
聖書にも、神様は一人の男性(アダム)を先に創造され、
一人でいるのは良くないので、男性を眠らせ、眠ったときに、
そのあばら骨を取ってエバをつくられたというみ言がある。
これは、アダムにぴったり合った愛の対象として、
女性を創ったという意味である。」



アダムが完成するようになれば、そのアダムの最も重要な使命は、
一人の女性を捜し出して、エバとして完成させることです。
神様は、真のお父様を完成させ、お父様は、エバを完成させるのです。

ですから、真のお父様に、業績がどれほどたくさんあったとしても、
真のお母様をこのように完成させ、全人類の前に、
真の母として立てられたその実績が、最高のものであるというのです。
それができなければ、真の父母になることができないのです。

それゆえに、真のお父様の誇りであり、
最終的な結実体は、真のお母様です。
真のお母様お一人を立てられたということが、
真のお父様の最も難しく、
最も貴重で誇らしい実績であられるというのです。

真のお父様は、食口に対しては容赦しても、
「真のお母様には一切、容赦がなかった。」と、おっしゃいました。
なぜならば、「絶対的で、最高の標準として、
完璧な母として立てるためである。」と言われたのです。



お父様は、お母様のことを

「私が他の人は死ぬような立場にあっても
たくさん助けたが、
お母様に対しては
祈祷をしてあげられない」


そのように語られています。

他の人には赦しがありますが、
お母様には、ご自身と同等な立場に
立たなければならないために
赦しがなかったのです。

真のお父様の最大の実績、
それが真のお母様なのです。

最前線でご活躍されている
真のお母様に心から感謝しつつ、
ヨーロッパでの歩みのご成功を
心からお祈りしたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 08:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする