2015年07月28日

21年振りに霊の親と再会! 「こんなやり方で伝道する時代になったんだね」 路傍演説を見て! 《2つの証し》



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全国に路傍演説、路傍伝道の火がついていることを
とても希望に感じます。
御父母様のノボリがはためく時、
そこに吸い寄せられてくる人たちがいます。
神様が呼んで来られるのでしょうか。

今日は、そこからのホットな伝道の証しを2つ紹介します。
まず、他教会の証しです。


私たちの教会では、今年1月から街頭路傍演説を行っています。
私たち食口が喜んで伝道に出ることで、
いろんな出会いを毎回体験させてもらっています。

街頭路傍演説の最中、一人の方がちょっと離れた所で
じっと話を聞いておられたのですが、急に駆け寄ってこられました。
そして「今は、こんなやり方で伝道する時代になったんだね、
みんな頑張っているのですね」と言われました。
「また、話を聞かせてください」とその場はその方と別れました。

数日後、その方が突然教会に訪ねてこられて
「摂理のDVDを見せてください」と言ってこられました。
その方は、10年前教会に来ていた方でした。
10年間の心情を吐露しながら、
「長い間ご無沙汰していて本当に申し訳ありません」と言われ、
また頑張っていくことを決意されました。



昔は直接伝道ではありませんでした。
しかし、今は、ノボリを出して、タスキをかけ、
堂々と「統一教会です」と演説する姿に
「今はこんな風にやっているんだ・・・」
と少なからず、感動している方も少なくありません。

うちの教会では先日、こんなことがありました。


ある婦人が一人の女性に声をかけ、
「教会に関心がある」、とのことで
教会に即動されました。

教会の紹介映像を見ていただくと、
「実は・・・」と話し出されました。
「私は21年前に教会に来ていたんです」と。

それで、所属していた教会を聞くと、
かつて私の所属していた教会だということなので、
調べてみると霊の親が判明しました。
何と、韓国からちょうど、
夏休みで日本に里帰りする予定の姉妹でした!
うちの教会にも来る予定になっていました。

ということで、先日の礼拝で
21年ぶりに再会することができたのです!!
こんなことってあるんですね。
人知を超えた、神様の御業というほかありません。。

実は、今回21年ぶりに教会に来られた方と
霊の親の姉妹は、学校の友達で、
すぐに導かれたそうです。
ところが、家の事情で、教会を反対されてから、
連絡を取ることができなくなりました。
その方のお母さんに、「一切連絡しないように」
そのように言われてしまったそうです。

また、そうこうしているうちに、
霊の親は祝福を受け、渡韓することになりました。
当時は携帯電話もありませんでしたし、
音信不通の状態が続きました。
「○○さんはどうしているかな・・・」
そう思いつつ、時が過ぎていったのです。

その方も、親の手前、教会にも行くことができず、
また、事情も重なってしまい、
教会とのコンタクトも失ってしまいました。
今回、何か、吸い寄せられるようにして、
教会に来て、礼拝に参加されました。

頻繁に来ることはできませんが、
これから、礼拝に参加して
再び、教会と縁を持つことができるようになりました。
真のお父様の聖和のことも知らずに
とても残念がっていました。



こういう劇的な出会いを神様は準備しているのです。
これからも希望を持って、
また、どんな出会いが待っているか、
楽しみにしながら、歩んでいきたいと思います。


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2015年07月27日

「サタン屈服の秘訣!」 カインができないこととは何か?! 《周藤先生のみ言》



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真のお父様は、地獄の底をも
天国に変えていくことができるお方なのです。
天国というのは場所の名称ではありません。
愛がある所が天国なのです。



今日は、周藤先生の説教、
とても長いので、一部抜粋して紹介します。
「サタン屈服の秘訣」
統一教会公式説教ブログより



カインは、いつも大きな基盤を握っています。
しかし、アベルはいつも何もないところから出発しなければなりません。
カインの背後にはサタンがいて、すべてを握っているのです。
無一文で裸一貫のアベルが、どのようにしてカインの手からすべてを、
神様に捧げさせることができるかということです。

カインの背後にはサタンがいて、そのサタンを屈伏させなければ、
カインの本心は目覚めないのです。
それでサタンを屈伏させるために、
サタンができないことを成し遂げなければならなかったのです。 
サタンはお金を持っているので、お金を見せても屈伏しません。
また、サタンは人材を持っているので、人材を見せても屈伏しません。
そればかりか、サタンは権力、学問、哲学、神学をもってしても
屈伏したためしがないのです。

「原理」でサタンが屈伏しますか? 
皆さんは「原理」があれば、サタンが屈伏すると思うでしょう。
しかし、そうではありません。
サタンは「原理」を実によく知っているのです。

真のお父様の偉大な発見は、サタンが及ばないその一点を見つけたことです。
それが犠牲の愛なのです。

本来、愛は喜びの愛ですが、復帰摂理における真の愛は、
犠牲の愛となって表れるのです。
この犠牲の愛、それだけはサタンができないことなのです。

皆さん、サタンが自分を犠牲にして他の幸せのために
尽くしている姿を見せたことがありますか? 
サタンが祈祷室に入って涙を流しながら、
神様に「どうか、このかわいそうな人たちが、一日も早く解放されて、
あなたの前に帰ってくることができますように」
と、祈っているのを見たことがありますか? 

サタンが路傍に立ち、一生懸命に人類の幸せのために
訴えるのを見たことがありますか? 
サタンは自分を犠牲にして、他の幸せのために生きることはできないのです。
なぜなら、サタンの本質は自己中心だからです。
もし、サタンが自分を犠牲にして、他の幸せのために尽くすなら、
もはやサタンはサタンであることができないのです。

皆さんが、他のために犠牲になり、尽くすとき、
それまでついてきたサタンは、離れていくのです。
屈伏するのです。

「今までの君は自己中心だったから、おれと同じクラスメートだった。
生涯の親友だったのに、私を裏切ることをするのか!」
と言って、サタンはついに離縁状を出すのです。
これがサタン分別です。

真のお父様のメッセージの中心は、そのように己を犠牲にしたとき、
サタンはついてくることができなくなり、
皆さんの前に屈伏していくということです。
そして、サタンが去って行けば、カインの本心が目覚めて、
神様のみ言を聞き、そのカインが持っているすべてを捧げてくるのです。
これがサタン屈伏の秘訣、すなわち、長子権復帰なのです。

サタン屈伏のこの秘密を探し出し、その秘密が絶対的に
不変の真理であることを確信し、
生涯を懸けて実践してこられたのが真のお父様なのです。


真のお父様は、興南収容所での証しをされたことがあります。 

興南収容所の工場では、病気であっても働かなければなりません。
ある時、ある病人が働いて帰ってきて、
与えられた食事を一口、二口、口にした瞬間、
ガクッと倒れ、そのまま死んでしまったのです。 

そこに二人の囚人が走って行きました。
それを見ていた真のお父様は、倒れた人を助けようと
走り寄ったのだと思ったそうです。
ところが彼らは、今死んだばかりの死人の口をこじ開け、
残っていたご飯を口から引き出して食べたというのです。

そのような所であっても、真のお父様はご自分に差し入れがあれば、
すべてを囚人たちに分け与えられました。
真のお父様は、サタンのできないことをしていらっしゃるのですから、
みな感動するのです。

ある時、囚人たちがお風呂から帰り、服を着替えようとすると、
自分たちの上着のポケットが少し膨れていました。
ポケットを開けて見ると、新聞紙に包まれた、
はったい粉(麦を炒って粉末にしたもの)が入っていました。

それを見た囚人たちは、どれほど感動したことでしょうか。
囚人たちは、それをだれがくれたのかと尋ねる者はいませんでしたが、
だれがくれたのかを知らない人もいませんでした。

それから囚人たちが廊下を通って外に出ようとした時、
真のお父様が外から帰って来られ、ばったり出会ったのです。

囚人たちと真のお父様は、しばらく見つめ合ったまま立っていたそうです。
すると、その囚人たちの目から、熱い涙がはらはらと流れ出たのです。
その涙は、感謝の涙であり、慕わしさの涙であり、尊敬と畏敬の涙だったのです。

それをご覧になっている真のお父様の目からも、熱い涙が流れ出しました。
その涙は、いとおしさの涙でした。

真のお父様は、「その時、先生の胸は喜びに震えたよ。
皆さんもそのような経験がありますか?」とおっしゃいました。
私たちが「ありません」とお答えすると、
「先生にはそれがあるんだよ」と語られたのです。 

このように真のお父様は、地獄の底をも
天国に変えていくことができるお方なのです。
天国というのは場所の名称ではありません。
愛がある所が天国なのです。

興南という地獄において、生命より大切な食べ物を犠牲にしながら、
囚人たちが食べて幸せを感じるその姿を見て、
うれしくてたまらないという真のお父様の心情の前に、
どうしてサタンが文句を言うことができるでしょうか。

真の愛の前にサタンが屈伏したのです。
自分を犠牲にして、相手の幸せを喜ぶ、
その真の愛の心情の前にサタンはどうすることもできなかったのです。



このみ言は、1979年12月30日聖日、
真のお父様が米国のベルベディアで、朝6時から語られた説教
「摂理から見たアベルの正道」を参考にして語られています。

11時間半にわたって語られたみ言の本質は、
「真のアベルの道は、真の愛、犠牲の愛の道」です。

私たち一人ひとりがお父様の基準を丸ごと相続するというのは、
簡単な道ではありませんが、少しでも相続できればいいのだと思います。
そして、それがまさに神氏族メシヤの道なのだと思います。

昨日も礼拝のあと、路傍伝道をしました。
35度、猛暑の中、熱中症になるんではないか、
それでも感謝して歩みました。
私一人では感謝できなかったかもしれませんが、
歩み続ける中、みんなの精誠の実りも
最後の最後にありました。

周藤先生の語られるように、
「サタンはこんな暑い中、路傍伝道はしないよな」
そんなことを思わされました。。。
また、途中であきらめて帰ってしまったとしたら、
どうだったでしょうか。

サタンは私たちをあきらめさせようとし、
決意していた思いを、途中で萎えさそうとしますが、
ヤコブがヤボク川で天使との組み打ちに勝利したのも
勝つまであきらめなかったからです。

そういう意味では、伝道はサタン分別なのだと実感します。
これからも頑張っていきます。



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posted by ten1ko2 at 09:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月26日

食口に会いたくて眠れない! お父様が恋しい理由とは?! 《教会創立前後のみ言》



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それは歴史上 最も小さい看板でしたが
ほかのどんな看板よりも
大きな内容を意味していました。




本部のYouTube公式チャンネルに
「文鮮明師・生涯路程シリーズ『伝道の出発』」
がアップされています。

この映像は、1950〜54年頃のエピソードで、
原理原本の執筆から教会創立までを紹介しています。

映像を通して、統一教会初期の時代、お父様を中心として、
先輩方がご苦労された心情が伝わってきます。





当時の様子を真のお父様のみ言を通して、
確認したいと思います。



先生が釜山の凡一洞で神様と因縁をもった
食口たちを恋しく思った時、
先生はあらゆる精誠を尽くしながら彼らを待っていました。
霊的に見れば、彼らは来るのですが、
実際には近くに来てはいませんでした。
ですから、時が来るのを待つしかありませんでした。

すべての人は神様の愛を中心として、
その行くべき道を探すのです。
しかし、ある期間、仕切りが崩れなかったのです。
それが崩れ始めれば、道が開けるのです。
そのように、ある蕩減期間が存在するのです。
個人の蕩減期間があり、村の蕩減期間があります。

その時がまだ来ていないがゆえに、
待つ時だというのです。
白紙一枚で遮られていました。
「先生! 先生! お父様! お父様!」と
叫ぶ喚声が聞こえるのです。
数多くの群衆が叫ぶ声が聞こえるのです。
これくらいの穴だけ開けておけば、
どっと噴き出てくるようなのに、
そこが幕で遮られているのです。
それが一年、二年と、年が過ぎれば
だんだん近づいて来るのです。

そのような時、神様が愛することができる
息子や娘に会いたい
と思う気持ちはどれほどでしょうか。
朝起きてちらっと遠くの山を眺めれば、
数多くの群衆が行列をなして来るように見えるのです。

朝、山に登れば夕方まで、昼食を忘れて待つのです。
神様が六千年間、失ってしまった堕落した人間を待つ、
その心情的体恤が必要なのです。
夕暮れになれば「来ないか」、
朝になれば、鶏が鳴く前に「来ないか」と、
寝ても覚めても忘れられない心情に
ならなければならないのです。

今日、皆さんが「先生が恋しい」というのは、
そのような動機の起源が
天上世界に基盤として残っているからです。
皆さんは知りませんが、この三千里半島(韓半島)に、
この運気の中にそうした基盤が残っているためです。
そして、その運気圏内で生きている人は、
先生に会いたがり、
先生のことが我知らず思い起こされるのです。
思うまいとしても、ふと思い出されるのは、
すべてそのような動機の起源を蒔いておいたためなのです。

昔、先生がお金がない時、
食口に会いたくてたまりませんでした。
御飯を食べても、寝ても覚めても落ち着かないのです。
そうして、会うべき人たちがたくさんいる所を訪ねていくのです。
愛した人を恋しがるその愛の心情をもって訪ねていくのです。
行けば、既に切符を買って待っているのです。
そんな話が信じられますか。
「先生、きのう夢の中でこうこうこういった啓示を受けました。
どこかに行かれるのでしょう」と言うのです。

そのような驚くべき事実がたくさんあるのです。
そのような基盤の上に、統一教会が建てられたのです。
先生が貧しい時にはお金が一銭もない時がありました。


(真の父母様の生涯路程 より)



真の愛に勝るものは何もありません。
そのことを実践されたのが、
真のお父様でした。

多くの迫害と苦難を乗り越えつつ、
それを条件として食口たちが
数多く伝道されていきましたけれど、
根底には、真のお父様の
真の愛の精神があったことを
改めて知ることができました。

「愛した人を恋しがるその愛の心情をもって訪ねていくのです」

今こそ、私たちが相続すべき
内容であることを実感します。。。



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