2015年07月26日

食口に会いたくて眠れない! お父様が恋しい理由とは?! 《教会創立前後のみ言》



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それは歴史上 最も小さい看板でしたが
ほかのどんな看板よりも
大きな内容を意味していました。




本部のYouTube公式チャンネルに
「文鮮明師・生涯路程シリーズ『伝道の出発』」
がアップされています。

この映像は、1950〜54年頃のエピソードで、
原理原本の執筆から教会創立までを紹介しています。

映像を通して、統一教会初期の時代、お父様を中心として、
先輩方がご苦労された心情が伝わってきます。





当時の様子を真のお父様のみ言を通して、
確認したいと思います。



先生が釜山の凡一洞で神様と因縁をもった
食口たちを恋しく思った時、
先生はあらゆる精誠を尽くしながら彼らを待っていました。
霊的に見れば、彼らは来るのですが、
実際には近くに来てはいませんでした。
ですから、時が来るのを待つしかありませんでした。

すべての人は神様の愛を中心として、
その行くべき道を探すのです。
しかし、ある期間、仕切りが崩れなかったのです。
それが崩れ始めれば、道が開けるのです。
そのように、ある蕩減期間が存在するのです。
個人の蕩減期間があり、村の蕩減期間があります。

その時がまだ来ていないがゆえに、
待つ時だというのです。
白紙一枚で遮られていました。
「先生! 先生! お父様! お父様!」と
叫ぶ喚声が聞こえるのです。
数多くの群衆が叫ぶ声が聞こえるのです。
これくらいの穴だけ開けておけば、
どっと噴き出てくるようなのに、
そこが幕で遮られているのです。
それが一年、二年と、年が過ぎれば
だんだん近づいて来るのです。

そのような時、神様が愛することができる
息子や娘に会いたい
と思う気持ちはどれほどでしょうか。
朝起きてちらっと遠くの山を眺めれば、
数多くの群衆が行列をなして来るように見えるのです。

朝、山に登れば夕方まで、昼食を忘れて待つのです。
神様が六千年間、失ってしまった堕落した人間を待つ、
その心情的体恤が必要なのです。
夕暮れになれば「来ないか」、
朝になれば、鶏が鳴く前に「来ないか」と、
寝ても覚めても忘れられない心情に
ならなければならないのです。

今日、皆さんが「先生が恋しい」というのは、
そのような動機の起源が
天上世界に基盤として残っているからです。
皆さんは知りませんが、この三千里半島(韓半島)に、
この運気の中にそうした基盤が残っているためです。
そして、その運気圏内で生きている人は、
先生に会いたがり、
先生のことが我知らず思い起こされるのです。
思うまいとしても、ふと思い出されるのは、
すべてそのような動機の起源を蒔いておいたためなのです。

昔、先生がお金がない時、
食口に会いたくてたまりませんでした。
御飯を食べても、寝ても覚めても落ち着かないのです。
そうして、会うべき人たちがたくさんいる所を訪ねていくのです。
愛した人を恋しがるその愛の心情をもって訪ねていくのです。
行けば、既に切符を買って待っているのです。
そんな話が信じられますか。
「先生、きのう夢の中でこうこうこういった啓示を受けました。
どこかに行かれるのでしょう」と言うのです。

そのような驚くべき事実がたくさんあるのです。
そのような基盤の上に、統一教会が建てられたのです。
先生が貧しい時にはお金が一銭もない時がありました。


(真の父母様の生涯路程 より)



真の愛に勝るものは何もありません。
そのことを実践されたのが、
真のお父様でした。

多くの迫害と苦難を乗り越えつつ、
それを条件として食口たちが
数多く伝道されていきましたけれど、
根底には、真のお父様の
真の愛の精神があったことを
改めて知ることができました。

「愛した人を恋しがるその愛の心情をもって訪ねていくのです」

今こそ、私たちが相続すべき
内容であることを実感します。。。



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