2015年08月16日

聖和3周年に向けた精誠の賜物であり、供え物?! 「天宙聖和3周年記念特別祝福式」



newsletter60.jpg


あなたがたを通して
多くの人々を祝福したのです



真のお父様の聖和3周年を1ヵ月後に控えた
7月31日に執り行われた「天宙聖和3周年記念特別祝福式」。

先日に記事でも紹介しましたが こちら
ニュースレター最新号にも掲載されていたので、
その内容を一部編集して紹介します。


数組だけで祝福式が行われるのは真のご家庭以外では異例のこと。
今回の祝福式は、真のお父様の聖和3周年に向け、
全世界の祝福家庭の精誠の土台の上で与えられた祝福であり、
特に母の国・日本に注がれた、
真の父母様の限りない愛情と恩賜であったと言えます。

今回の祝福式は、真のお母様が、韓国・清平の天正宮博物館で
数年間公務を務めてきた祝福二世の男性職員に対し、
その祝福を強く望まれ、宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長に
彼の相対候補を探すことを願われたことに端を発します。

日本統一教会の家庭教育局が、速やかに適切な相対候補を探して
個々に状況を確認し、候補者の情報を提出したところ、
わずか数日のうちに「真のお母様がマッチングを決められた」
という連絡を受けました。
7月22日のことです。
マッチングはその1組では終わりませんでした。
今回の祝福式に「3組」を祝福されるということで、

最終的には、二世の韓日カップル1組と、一世の日日カップル1組が
真のお母様のマッチングによって結ばれ、
また、既に約婚が決定していた二世の日日カップル1組を加えた計3組が、
この度の特別な祝福の恩恵に与ることとなりました。
3組のうち5人が日本所属、または日本国籍をもつ候補者です。
それは、日本にとっての大きな恩恵でもありました。

お母様は3組の祝福家庭の誕生を心から喜ばれ、
「1日でも早く韓国に来て備えなさい」と言われましたが、
あまりに早急な話であるため、簡単ではありませんでした。
必死にスケジュールを調整し、
事前に入国して交流できたカップルもあれば、
前日の7月30日までに何とか駆けつけ、
空港で初めて挨拶を交わしながら、
宿舎に直行したカップルもいました。

「なぜこの時期に祝福式が行われるのか」
「どうして私たちが選ばれたのか」
「何の資格があってそんな場に臨めるのか」……。
各々がそうした様々な心情を抱く中、7月30日午後3時、
清心国際青少年センターに3組のカップルが集う中、
教育の場がもたれました。

聖和より3年間というのは、真のお父様を偲び、
自らの不足であった過去を悔い改める期間でもありました。
この度、真のお母様は全食口が真の父母様の心情と一つとなり、
新しい出発をしていく機会が必要であるとされ、
祝福式を行う運びとなったのです。

さらに、前日30日は聖和3周年からちょうど1ヵ月前に当たり、
その日は奇しくも、文善進様が40歳の誕生日を迎えられた日でもありました。

今回の祝福式は、真のお母様が聖和3周年を越え、
次の時代の摂理を出発していく上で、善進様の家庭を
立てて行くための基台として行われたものであると言えます。
善進様が祝福式の主礼を務められるのは今回が初めてでした。



真のお母様は今回の3組の祝福を心から喜ばれ、
1組1組から直接、家族の紹介、挨拶を受けられながら、
「二世、三世の子女の模範となる生き方をしなければなりません」
「私はあなたがたを通して多くの人々を祝福したのです」
「あなたがたは真の父母を通して新しい生を得た一人一人です。
親の前に孝行を尽くす子女になるのですよ」
と激励され、また祝福してくださいました。

こうした予期せぬ恩恵と天の大きな期待を前に、
動揺や戸惑いを感じていなかった家庭は1家庭としてありませんでした。
3組が3組とも、「私たちにはこうした恩恵を受ける何の条件もありません」
と口々に述べていました。
しかし、そもそも、私たちのうち誰ひとり、
こうした恩恵を受ける資格など備えていないでしょう。
もし天の前に条件があるとすれば、
この3組が自らの様々な事情を乗り越え、天の願いに馳せ参じたという、
その一点にあったに違いありません。

また、今回の祝福は、全世界の祝福家庭が聖和3周年に向けて捧げてきた、
そうした精誠の土台の上に与えられた恩恵であると同時に、
それはまた全世界の祝福家庭と共に、天の祭壇に捧げられた
精誠の供え物であったように思われます。

また、日本の祝福家庭がこの恩恵に与ったことを考える時、
この祝福はまた、何よりも、母の国日本に対して注がれた、
真の父母様の限りない愛情と恩賜であったと言えます。

こうした天の大きな恩賜の前に、深い感謝を捧げ、
新たな決意をもって3周年を迎えていけるよう、
今一度、自らの心情を整えていくと共に、
この度、真の家庭の基台として立てられたこの3組が、
天の前に本当に模範的で幸福な家庭を築いていけるよう、
共に祈っていくことが願われています。



この証し文を読みながら、今回の祝福式は、
天の一方的な祝福であった・・・と改めて感じます。

「私たちにはこうした恩恵を受ける何の条件もありません」
そのように本人たちが話しているのも、
本心の声であると感じます。

でも、私が感じるのは、「何の条件もありません」
というわけではないような気がするのです。

『この3組が自らの様々な事情を乗り越え、天の願いに馳せ参じたという、
その一点にあったに違いありません』
これ自体が一つの条件だと思います。

主が必要な時に、受け入れて、馳せ参じるということ、
それは重要な条件なのではないか、と感じます。

また、一人ひとりにも何か条件があったに違いありません。
『天正宮博物館で数年間公務を務めてきた祝福二世の男性職員』
に対して、お母様が祝福を願っていたのも、
彼が精誠を尽くして歩んでいたに違いないのです。
他のメンバーたちも、導かれたものが必ずあるはずです。

自分の事情ではなく、天の事情を先立てていく姿。。。
聖和3周年に向けて、今、私たちに願われている姿だと感じるのです。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

参考記事
 日本に対する祝福?! 天正宮で特別祝福式、文善進様ご夫妻主礼で!!

 「天宙聖和3周年記念特別祝福式」が挙行
    統一教会公式サイト



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

《森山先生の 「2010年以降はおまけの人生」》 「大丈夫」が口癖、真の父母様のようでした!



11078206_783353331760781_1315662455948899863_n.jpg


先日、聖和された森山操先生。
いつも笑顔をたたえながら、
「霊界はうきうきワクワク」と言われていた姿が忘れられません。

生前、先生が、講演や集会をされる時に、
ドライバーをされたり、また車椅子を押されたり
身近なところで、森山先生を見つめてこられた婦人が、
光言社KMSにて、森山先生の証しをしておられました。
印象に残ったところを編集して紹介します。


森山先生には、最期の最期まで、
お付き合いさせていただきました。

ずっと、毎週、透析をされていましたが、
あるとき、人工血管が破裂してしまい、
「もう最期なのかも知れない・・・」
そんな状況になりました。

しかし、壮絶な戦いの中、
奇跡的に助かったのです。

森山先生ご自身も
「2010年以降はおまけだね。。。」
そんな風に言われていました。
本当に、誰が見ても「生かされている」
としか思えない状況でした。

森山先生は、倒れられたときに、
「神様が肩車してくれた」と言っておられました。
まさに、森山先生を支えてくれる神様がおられたのです。


森山先生が口癖のように語られていたのは、
「大丈夫」という言葉です。
どんな状況でも、「大丈夫」「大丈夫」と語られて
私たちを励ましてくださいました。

母親集会の時に、こんなことを語られていました。
「お母さんは元気でなきゃいけない」と。
「大丈夫」と言われながらも、
私たちの『母親』として、希望を与え続けた
森山先生だったんだろうと思います。

私は、森山先生と身近に接する中で感じるのが、
神様と父母様の代身である、ということです。

森山先生は、集会に参加したメンバーの中で、
特に、苦しんでいたり、傷ついている弱者に意識を強くもたれます。

また、参加していない兄弟のことをよく覚えておられて、
「○○さんは、どうしているの」
ご自分の体も大変な中なのに、
また、ご家庭も犠牲にされながら、
食口たちを愛する姿は、本当に真の父母様のごとくです。。。


ちょっとしたエピソードを紹介します。

以前、子供たちと日光尾瀬研修に行ったときのことです。
2000メートルの山に行ったのですが、
森山先生もともに、登ったのです。
と言っても、車椅子でロープウェイに乗られたのですが。。。

山頂に着いたとき、土砂降りの雨でした。
みんなで小屋に入り、ソフトクリームを食べました。

その時に、森山先生が話されたのが、
「この前、御嶽山で亡くなったお子さんが出てきて、
みんなを見て、『一緒にソフトクリーム食べたい』
って思ったみたいで、それで、雨が降って、
みんなでソフトクリームが食べれたのよ」
ということでした。



婦人は、森山先生の晩年に近くおられました。
お体が相当大変な時があり、
そんな状態でも講話をされました。

本当にお体が大変なのに、
無理をしてスケジュールを入れていたといいます。

ご自宅のアパートに着いたときに、
階段に登ることもできないので、
森山先生をおぶって階段に登ったこともあったそうです。

私も、うちの教会で講演会にお呼びした際、
森山先生を車で送迎し、その階段を
手を引きながらのぼったことがあるので、
実の母にできなかった体験を
森山先生を通してすることができたと感じます。

肉体の限界を超えて、
食口たちを愛しぬく姿は、
真のお父様の姿と重なり合いますね。。。

霊界では、お父様のお側で
さらにご活躍されていると思います。

森山先生と縁のある方のインタビューも
また、掲載されるとのことなので、
そのときに、また紹介させていただきます。。。



応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 10:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

自分中心に神様を見るのか、神を中心として見るのか?!



11174859_885763678151448_4697937728271203151_n.jpg


昨日は、昔、お世話になった学生部の先輩と
授受する時間を持ったのですが、
当時は、本当にみ旨に投入した、兄弟姉妹たちが
ほとんど、今、いなくなっているのでした。。。
心情の世界というのは、本当に変化してしまうのだと感じます。

極端な話が「拉致監禁」です。
神様・父母様に絶対的な忠誠を誓ってみ旨を歩んでいたにも関わらず、
両親の説得と、反対牧師の偽りの情報によって、
神様・父母様と決別し、統一教会を離れていくのです。
神様・父母様から見れば、本当に悲しいことです。

教会長が先日み言で語られていましたが、
自分の観点から神様を見るのか、
神様の観点から自分を見るのか、
今、その分岐点である、ということなのです。

かつても、掲載したことがありましたが、
お父様のみ言を二つ紹介します。


私が死んでも(お母様には)統一教会を
導くことができる能力もあるので、
お母様が説教する時が来るのです。
そのような時は、
(お母様に)絶対服従しなくてはなりません。

一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠を
すべて清算するという決心が、
私(お父様)よりも、お母様がもっと強いのです。

(お母様は)すべて掃除することができる主人になったので、
先生よりもお母様をもっと重要視することができる
統一教会の食口になれば福を受けるのです。

 (『真の御父母様の生涯路程I』351〜352頁)



お母様を中心として皆さんが
一体になっていかなければならない時が来ました。

もう先生がいなくても、
お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。

お父様がいない時は、
お母様のことを思わなければなりません。

そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、 
祈祷もそのようにするのです。

今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を愛さなければなりません。

ここにおいて先生が「第一教主」であれば、
お母様は「第二教主」であると世界的に宣布し、
天地に宣布します。 

 
(文鮮明み言選集265−310、1994.11.27)



このお父様のみ言をどう解釈されるのでしょうか。。。

そして、今は、お母様と路線を離れておられる
真の御子女様ご自身もかつて、このようなみ言を語られました。


お母様はお父様と完全に一体になられているので、
お母様はお一人の身体ではなく、
神様と真のお父様が投影されて現れる真のお母様として、
三位一体の実体であられます。

お父様は、地上に実体としていらっしゃるお母様を通して
生きた役事を続けられることでしょう。


2012年9月17日(真のお父様の聖和式直後)
「基元節勝利のための統一教世界指導者特別集会」



今は、ご自身で祝福をされておられると聞いています。
しかし、『原理講論』 に次のような箇所があります。


父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。

堕落した子女を、善の子女として、
新たに生み直してくださるためには、
真の父と共に、真の母がいなければならない。

(264〜265頁)



ゆえに、父一人では「重生」できないのです。
真のお母様を否定すれば、
真のお父様の勝利圏をも否定することになるのです。

真の父母様を分けて考えること自体が非原理的なのです。
真のお母様を否定するならば、
真のお父様の勝利をも否定することになるのです。
真のお母様なしには祝福を通しての「重生」は不可能になるのです。

しかし、このことは無視されて、
お母様を否定し、ご自身の道を行かれているのです。

真のお母様のみ言です。


祝福を受けた皆さんも同じです。
脇道に行くなという話です。

それは真の子女を助けてあげる道ではありません。
そのことを皆さんは理解しなければなりません。
このようなことは、私が収拾します。
そして整理します。
私がいなくなった後代のことを考えて、
このようにせざるを得ません。

私たち(の行く道)は世の中とは違います。                  

もし、「少し助けてあげよう」と思うなら、
それ(支流)に対して揺らいではいけません。                            (むしろ支流の中心者を)助けてあげないことが
助けてあげることです。

皆さんは「蕩減」ということが分かっています。
蕩減なくして発展はありません。


7月23日「元老牧会者特別午餐会」(天正宮博物館)



私自身がわき道にそれて、支流に向かうなら、
支流が大きくなってしまいます。
そういう意味で、問題は「私」なのです。

聖和3周年まで、2週間を切りました。
今こそ、本流をしっかりと見つめながら、
歩む決意が必要です。

今日も、先日紹介した方は、路傍演説をしておられます。
昨日は、朝8時から、夜8時まで叫んでいたそうです。

かつて、万物復帰で、朝から夜まで歩んでいた
兄弟姉妹たちのことを思うと、
また、彼らは、いつまで歩むのか、
そんなこともいわれずに、ただ毎日毎日歩んでいたことを思うと、
夕方一度、歩むのを終えたのですが、
休憩しているときに、いても立ってもいられずに、
また、叫び始めたのだそうです。

そんな心情を携えて、「私」も
頑張っていかないといけないのではないでしょうか。。。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 10:45 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする