「日本は苦労したから、もう楽にしていい」
今、お母様を非難している一部の方たちは、
そのように言っているそうですが──
今、お母様を非難している一部の方たちは、
そのように言っているそうですが──
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今日も真のお母様のことを書きたいと思います。
クリスチャンの知人がよくこんな話をします。
「私は、いろんなキリスト教会に行っていますが、
多くの教会の玄関には次のような聖句が掲げられています。
すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
(マタイによる福音書第11章28節)
でも、私は文字通り解釈しませんね。
やはり、イエス様の歩まれた道を少しでも行こうと思います」
そして、彼は、震災と津波で被害にあった福島で
ボランティア活動をしたり、
浮浪者の多い町の教会で炊き出しをしたり、
そのほか、いろいろと頑張っておられます。
ただ神様とイエス様の愛を受けることを求めるよりも
イエス様のように愛することを努力する・・・
そのような信仰は素晴らしいと思います。
聖句のように、私たちを慰労したい神様です。
そして、神の懐で休み元気を得たならば
いつまでも休んでいるのではなく、
神様の喜ぶことをしたい、ということになるでしょう。
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「日本は苦労したから、もう楽にしていい」
今、お母様を非難している一部の方たちは、
そのように言っているそうです。
子どもは少しのことですぐに「足が痛い」とか言って甘えます。
でも、ちょっと休むと元気になります。
年を取ると、疲れを取るのに時間がかかるようです。
負傷したり健康を損ねたり、回復に個人差はあるでしょうが、
いつまでも、心は青年で、疲れ知らずでいきたいものです。。。
真の母として勝利しておられるお母様は、
勝利されているのに、最前線で歩まれています。
お母様は、韓国の大先輩である古参の食口たちや
日本やヨーロッパの草創期を歩んだ元老たちを
慰労すると同時に、奮励させておられました。
いつでも、私たちが勝利することが
私たちの幸せのためであると激励されるお母様です。
そして、御自分のことよりも
常に神様とみ旨を思い、率先して歩まれるお母様です。
お母様とともに苦労することよりも
聖句で紹介されているように、
休むことを最優先すること・・・
あくまで、それに甘んじるのがいいのでしょうか。。。
お父様の悲願を果たすために
ご苦労しておられるお母様・・・
そのお母様に背を向けて、
自分の視線から、お母様を見つめていく。。。
それは神様の願いではないし、
お母様の願いではないのではないかと思います。
親鳥の元で庇護されている雛鳥の立場では
もはやなく、
親の苦労を悟って、
願いに答える歩みをしていきたいと思うのです。
真のお父様が、お母様を証ししている
重要なみ言があります。
☆
「伝統はただ一つ!
真のお父様を中心として!
他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。
先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、
どんな話にも従ってはならないのです。
今、先生を中心としてお母様を立てました。
先生が霊界に行ったならば、
お母様(韓鶴子夫人)を絶対中心として、
絶対的に一つにならなければなりません。
今、お母様が行く道は、
お父様が今まで立てた御言と説教集を中心として、
行かなければならないのです。
他の言葉を述べるのを許しません」
(『祝福』1995年夏季号、68ページ)
「アダムを中心として女性を創造した時と同じく、
天の男を中心として女を再創造するのです。
世界的女性完成圏を代表した一人を中心として創造するのです。
それを成してこられたかたがお母様なのです。
先生の後にぴったりとくっ付いてきたのです」
(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』77ページ、1992.7.1)
「これからは先生がいなくても、
お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。
今までは、女性が天地を代表する
摂理の代表者として立つことはできなかったのですが、
父母の愛と一体的理想を中心として、
はじめてお母様を中心とする女性全体の解放圏が
地上に宣布されたのです。
ですから、先生が一人でいても真の父母様の代身であり、
お母様が一人でいても真の父母様の代身です」
(同115−116ページ、1990.3.27)
「お母様は私の影のようです。
ついてまわる影のようなので、
私は実体をもった主体の教主であり、
お母様は対象の教主です。
それで、私は第一教主、お母様は第二教主です。
何を中心としてですか。
愛を中心としてそうだというのです」
(同116ページ、1990.5.6)
「お母様を中心として皆さんが
一体になっていかなければならない時が来ました。
もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる
特権を許諾したというのです。
お父様がいないときは、
お母様のことを思わなければなりません。
先生の代わりにお母様に侍る心をもち、
祈祷もそのようにするのです。
今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を愛さなければなりません。
先生が第一教主であれば、
お母様は第二教主であると世界的に宣布し、
天地に宣布します」
(同116−117ページ、1994.11.27)
「先生が霊界に行ったとしても、お母様が地上にいれば、
霊界と地上界の統一圏ができるので、
いつでもお母様がいる地上に来て
一緒に暮らすことができるのです。
今、統一教会のメンバーの中に
そのようなカップルがたくさんいます。
一緒に生活しているというのです。
誰も知らないところで対話しながら、
『あなた、これはどうしましょうか』と言えば、
すべて教えてくれるのです。
『きょうはどこどこでこのようなことが起きるから注意しなさい。
このような男性が現れてこのようなことがある』
と言えばそのとおりになります。
そのようなカップルがたくさんいます。
霊界に行ったとしても、地上にいる人と
一緒に生活することができるのです」
(同、117ページ、1993.10.15)
☆
可知講師が、たくさんあるみ言の中から
ピックアップしてくださったもので、
以前、紹介したものもありますが、
今日は一挙紹介してみました。
お父様は今の時をすでにご存知で、
あらかじめみ言を語られていたのだと思います。
だからこそ、お父様のみ言に従い、
お母様に侍ることが
霊界におられるお父様に侍ることであることを
肝に銘じて歩んでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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