2015年09月24日

迷える羊たちよ、私たちは、十分に苦労したのか?! <真の母に関するお父様のみ言集!>



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「日本は苦労したから、もう楽にしていい」
今、お母様を非難している一部の方たちは、
そのように言っているそうですが──



今日も真のお母様のことを書きたいと思います。

クリスチャンの知人がよくこんな話をします。

「私は、いろんなキリスト教会に行っていますが、
多くの教会の玄関には次のような聖句が掲げられています。

すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。

(マタイによる福音書第11章28節)

でも、私は文字通り解釈しませんね。
やはり、イエス様の歩まれた道を少しでも行こうと思います」

そして、彼は、震災と津波で被害にあった福島で
ボランティア活動をしたり、
浮浪者の多い町の教会で炊き出しをしたり、
そのほか、いろいろと頑張っておられます。

ただ神様とイエス様の愛を受けることを求めるよりも
イエス様のように愛することを努力する・・・
そのような信仰は素晴らしいと思います。

聖句のように、私たちを慰労したい神様です。
そして、神の懐で休み元気を得たならば
いつまでも休んでいるのではなく、
神様の喜ぶことをしたい、ということになるでしょう。


「日本は苦労したから、もう楽にしていい」
今、お母様を非難している一部の方たちは、
そのように言っているそうです。

子どもは少しのことですぐに「足が痛い」とか言って甘えます。
でも、ちょっと休むと元気になります。
年を取ると、疲れを取るのに時間がかかるようです。
負傷したり健康を損ねたり、回復に個人差はあるでしょうが、
いつまでも、心は青年で、疲れ知らずでいきたいものです。。。

真の母として勝利しておられるお母様は、
勝利されているのに、最前線で歩まれています。

お母様は、韓国の大先輩である古参の食口たちや
日本やヨーロッパの草創期を歩んだ元老たちを
慰労すると同時に、奮励させておられました。

いつでも、私たちが勝利することが
私たちの幸せのためであると激励されるお母様です。
そして、御自分のことよりも
常に神様とみ旨を思い、率先して歩まれるお母様です。

お母様とともに苦労することよりも
聖句で紹介されているように、
休むことを最優先すること・・・
あくまで、それに甘んじるのがいいのでしょうか。。。

お父様の悲願を果たすために
ご苦労しておられるお母様・・・
そのお母様に背を向けて、
自分の視線から、お母様を見つめていく。。。
それは神様の願いではないし、
お母様の願いではないのではないかと思います。

親鳥の元で庇護されている雛鳥の立場では
もはやなく、
親の苦労を悟って、
願いに答える歩みをしていきたいと思うのです。

真のお父様が、お母様を証ししている
重要なみ言があります。



「伝統はただ一つ!
真のお父様を中心として!
他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。
先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、
どんな話にも従ってはならないのです。
今、先生を中心としてお母様を立てました。
先生が霊界に行ったならば、
お母様(韓鶴子夫人)を絶対中心として、
絶対的に一つにならなければなりません。
今、お母様が行く道は、
お父様が今まで立てた御言と説教集を中心として、
行かなければならないのです。
他の言葉を述べるのを許しません」


(『祝福』1995年夏季号、68ページ)


「アダムを中心として女性を創造した時と同じく、
天の男を中心として女を再創造するのです。
世界的女性完成圏を代表した一人を中心として創造するのです。
それを成してこられたかたがお母様なのです。
先生の後にぴったりとくっ付いてきたのです」


(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』77ページ、1992.7.1)


「これからは先生がいなくても、
お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。
今までは、女性が天地を代表する
摂理の代表者として立つことはできなかったのですが、
父母の愛と一体的理想を中心として、
はじめてお母様を中心とする女性全体の解放圏が
地上に宣布されたのです。
ですから、先生が一人でいても真の父母様の代身であり、
お母様が一人でいても真の父母様の代身です」


(同115−116ページ、1990.3.27)


「お母様は私の影のようです。
ついてまわる影のようなので、
私は実体をもった主体の教主であり、
お母様は対象の教主です。
それで、私は第一教主、お母様は第二教主です。
何を中心としてですか。
愛を中心としてそうだというのです」


(同116ページ、1990.5.6)


「お母様を中心として皆さんが
一体になっていかなければならない時が来ました。
もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる
特権を許諾したというのです。
お父様がいないときは、
お母様のことを思わなければなりません。
先生の代わりにお母様に侍る心をもち、
祈祷もそのようにするのです。
今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を愛さなければなりません。
先生が第一教主であれば、
お母様は第二教主であると世界的に宣布し、
天地に宣布します」


(同116−117ページ、1994.11.27)


「先生が霊界に行ったとしても、お母様が地上にいれば、
霊界と地上界の統一圏ができるので、
いつでもお母様がいる地上に来て
一緒に暮らすことができるのです。
今、統一教会のメンバーの中に
そのようなカップルがたくさんいます。
一緒に生活しているというのです。
誰も知らないところで対話しながら、
『あなた、これはどうしましょうか』と言えば、
すべて教えてくれるのです。
『きょうはどこどこでこのようなことが起きるから注意しなさい。
このような男性が現れてこのようなことがある』
と言えばそのとおりになります。
そのようなカップルがたくさんいます。
霊界に行ったとしても、地上にいる人と
一緒に生活することができるのです」


(同、117ページ、1993.10.15)



可知講師が、たくさんあるみ言の中から
ピックアップしてくださったもので、
以前、紹介したものもありますが、
今日は一挙紹介してみました。

お父様は今の時をすでにご存知で、
あらかじめみ言を語られていたのだと思います。

だからこそ、お父様のみ言に従い、
お母様に侍ることが
霊界におられるお父様に侍ることであることを
肝に銘じて歩んでいきたいと思うのです。


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2015年09月23日

真の母を語らずに、文鮮明は語れない!! 主が歩まれた茨道を、我も行かん!! 



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今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を
愛さなければなりません。


(真のお父様のみ言)



真のお母様が、お父様の聖和後、祝福家庭をはじめ
食口たちを指導することに対し
批判的に述べている人たちがいます。

可知講師の講義を参考に、聖霊について
真のお母様について書いてみたいと思います。


サンクチュアリー教会では、
お父様だけのお写真を掲げ、また
「聖書の中に、メシヤが亡くなった後で、
女性が相続することについて書かれているところはありません」
と述べているといいます。

そのことについては、以前も話しましたが、
もう少し説明しますと、
イエス様は、地上での肉身生活において、
実体の真の母を復帰することができませんでした。
それゆえ原罪を清算することができず、
十字架と復活の後で、霊的真の母である聖霊と共に
「霊的重生」の役事だけを行うようになりました。

キリスト教では、聖霊を『霊的真の母』と
表現している団体は一つもないと思います。
これは、原理講論のキリスト論において記されているものであり、
すなわち、真のお父様が解明されたものです。

新約時代は、霊的救いで終わりました。
しかし再臨主であられる真のお父様は、
実体の真の母を復帰され、原罪を清算する道を開かれました。
それゆえ成約時代を迎えることができたのです。

『原理講論』に、
「イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、
すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。
ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである」
(321ページ)
と説明されていますが、そこには示唆に富む、
意味深いものがあると言えます。

もし、重生の摂理を否定するなら、
それはお父様を否定することと同じです。

ですから、表面的には、聖書に女性が相続する
という箇所はないかもしれませんが、
真の父母という観点からすれば、
重生の摂理から、救いの業を判断すれば、
女性の立場が重要なのだということを
理解することができるのではないでしょうか。


お父様だけメシヤだとするのは、
お父様が成された摂理や、説かれた真理のみ言を
理解しているとは思えない理論です。

お母様を否定するということは、
真の父母を理解しないということであり、
お父様を新約の次元でのみ語っていることになります。

そもそも、私たちが受けた祝福も、
真の父母がおられたから頂けたものですし、
お父様の実績の大半は、真の父母としてのものです。

お母様を否定したい余りに、
ご父母様を否定し、自分たちの祝福も救いの価値も
個人次元の慰労に格下げし、
神様や御父母様の願いを考えるのではなく、
自分たちの次元に、引きずり降ろそうとしている
そんな感を受けます。

悪い夢を見ておられるのではないでしょうか。
何のために生まれてきた私たちだったのか。
私たちが慰めを受けるために、ここにいるのでしょうか。

お父様を愛するのなら、
お父様と同じ生き方をするのがいいと思います。

お父様がその青春時代を犠牲にして
解明した原理のみ言だけでも、
もう一度よく学んでみていただければ、
私たちの位置もすべきことも
見えてくるのではないでしょうか。


真のお父様は、真のお母様を第二教主として立てられました。
私たちは、その真のお父様のご意向に
絶対服従していくときであると思います。

真のお父様は、「真の父母は永遠に唯一」であり、
「空前絶後の父母」であると語っておられます。

お母様に侍ることはお父様の切実な願いなのです。
そのことをハッキリと知って、
これからもお母様を喜ばせて差し上げる
私たちになっていきたいと思います。

真のお父様が語られたみ言二つを紹介して終わります。



私が死んでも(お母様には)統一教会を
導くことができる能力もあるので、
お母様が説教する時が来るのです。

そのような時は、絶対服従しなくてはなりません。

一度決心すれば、最後まで自分一代でこの複雑な恨の峠を
すべて清算するという決心が、
私よりもお母様がもっと強いのです。

すべて掃除することができる主人になったので、
先生よりもお母様をもっと重要視することができる
統一教会の食口になれば福を受けるのです。


(『真の御父母様の生涯路程I』351〜352ページ)


お母様を中心として皆さんが
一体になっていかなければならない時が来ました。

もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる
特権を許諾したというのです。

お父様がいない時は、
お母様のことを思わなければなりません。

そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、
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今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を愛さなければなりません。

ここにおいて、先生が第一教主であれば、
お母様は第二教主であると世界的に宣布し、
天地に宣布します。


(マルスム選集265−310、1994.11.27)



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以前も同じ主題について書いていますので
参考にどうぞ ↓
「聖霊の実体、来たれり!」 人類に真の父母が必要な理由?!


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2015年09月22日

神のひとり子・ひとり娘って?! イエスと真の父母、それから私たちの違いとは?!



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イエス様は、神のひとり子と言われます。
真の父母様は、
ひとり子・ひとり娘であるといいます。

私たちと、ひとり子、ひとり娘とは
どう違うのでしょうか。
誰か他の人が、ひとり子・ひとり娘になることは
できるのでしょうか。

教会長が語られたみ言を参考に
私自身も感じることを含めて書きたいと思います。


イエス様と私たちの違いはどこでしょうか?

いろんな答え方があると思いますが、
天聖経の121ページ『救援摂理史の原理観』には、
以下のようにあります。


歴史始まって以来初めて、
神様の息子の種、真の父となるべき種が、
準備された母の胎中に、
サタンの讒訴条件なく着地したのです。
それによって、地上に初めて、
神様の初愛を独占できるひとり子が
誕生するようになりました。 


すなわち、サタンの讒訴条件がなく、
神様の初愛を受けることができた・・・
このことが素晴らしいのです。

神様がアダムとエバを、ひとり子、ひとり娘として、
全身全霊をこめて創造され、愛を注がれました。
それが、神様の初愛の基準です。

その状況と同じだというのです。
人間堕落以降、初めて再び初愛を注がれたのが
イエス様であり、
だから、ひとり子なのです。

人類は大勢誕生しましたが、
初愛を受けたのは、イエス様だけでした。

また、神様はイエス様の相対を準備したでしょうか。
もちろん、しました。
お父様のみ言にもありますね。
そして、その相対に立つ女性は
神様の初愛を受けたでしょうか。
受けないでしょうか。。。
神様の初愛を受けたに違いないのです。

では、お父様はどうでしょうか。
神様の初愛を受けられたのでしょうか。
そして、真のお母様は・・・

サタンの讒訴圏がない立場で、
神様の初愛を受けることができる・・・
これはどれほど素晴らしいことでしょうか?

残念ながら、私たちは讒訴圏が残った立場にいたので、
その素晴らしさをわかることができないのかも知れません。。。


神様は私たち一人ひとりを愛してくださっていますが、
創造本然の男性と女性の基準を初めて勝利した
真の父母だけが、
神様からの初愛を受けることができます。
完成したアダムとエバの立場に、初めて立ったからです。

真の父母様をモデルとして、
私たちも小メシヤ、氏族メシヤとなって
真の父母になりなさい、というのが
天の願いであり、責任であることを考えると、
もしも勝利したならば、
私たちも、神様の絶対的な愛を受けることでしょう。

ただし、真の父母は
永遠に一組だけ。
神様の初愛は、真の父母様にだけ
注がれるものであると思うのです。


ですから、真の父母様を正しく堂々と証しする・・・
このことがどれほど重要でしょうか。。。

正しく証ししない人たちが増えています。
私たちは手をこまねいて、見ているだけでいいのでしょうか。
真のお母様は『傍観者になってはいけません』
そのように語られます。

声を上げて叫ばないといけないのではないでしょうか。。。

今は、支流の流れが活発なような気がします。
本流がしっかりしないと、支流に流れていくのです。
決壊することがないように、
堤防を固めないといけません。。。

それが神様の願いであり、父母様の願いであり、
私の本心の叫びであると感じます。



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